飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

不思議な少年!! その92

2010-12-10 18:47:54 | 物語

エルサレムの祭典でのイエス。人はすべて神の子なることを示す!! 


 人は、全て神の子である。イエスは神の子であるとして、反感を買った。ましてや、人皆神の子と言うならば、総反感を買うところであろう。

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記事に無関係>  


 しかし、クリスチャンの一部では、イエスは神の御子という言葉の意味には、イエスこそ唯一人の神の御子というニュアンスが含まれている。そんなはずはない。それには、この章が明快である。


 すごすごと退席した祭司のようにならないために、無知は啓かなければならない。。 


 これは、寓話であるが、ある時、無知な人間と、そうではない人間が居た。二人は罪を犯した。果たして、どちらの罪は深いか? との問いに対して、どう応えるか?


 無知な人間は、無知故に罪を犯したのだ。そうでない人間は、罪と知っていながら、犯したのである。何れが深刻かという問題である。投稿者は前者と応える。しかし、多くは無知な人間に同情するであろう。知らないから、仕方なかったと言うだろう。


 そして、知って犯した罪はより深い、と言うであろう。法律用語の悪意(知っていること)の罪という奴である。しかし、実際は逆だ。


 知って犯す罪は、改めることが出来る。知らずに犯す罪は、何度でも繰り返す。故に、無知による罪は、改まることがないから、より深刻である。


 これを無明の罪という。人間は無明から抜け出さなければならない。。


  エルサレムの祭典でのイエス。虚弱者をいやす。治療の実地教訓。人はすべて神の子なることを示す。


 祭日が来たのでイエスと十二弟子はエルサレムに行った。安息日の前日、彼らはオリーブ山に達し、北方にオリーブ山を仰ぐ一軒の宿屋にとまった。


 安息日朝早く彼らは羊の門からエルサレムに行った。


 門の近くにあるベテスダの霊泉は病気の人で一杯であった。それは一定の時刻が来れば天使が来て池に治療の霊験あるものを注ぐから、一番先きに入って洗った者がいやされると信じていた。


 イエスと十二弟子は池の近くに立っていた。


 そしてイエスは、そばに一人の男がいるのを見た。彼は三十八年もの間病んでいた。他人の手がなければ、彼は動くことができなかった。

 

 イエスは彼に言った、「わが兄弟よ、男よ、治りたいか。」

 その男は答えた、「何とかして治りたいのです。しかし私は、体が自由がききません。そして主の使いがやってきて、池に治癒力をふり注ぐとき、もう一人の歩ける男が、先きにその泉の中に入り、私は治らぬままになっています。」


 イエスは言った、「僅かの人しか治癒に恵まれないようなこの池に主の使いを遣わしたのは誰か。わたしは知っている。それは神ではない。彼はすべての人に対して平等に扱うからだ。天国の病の治る泉では、一人が他の人より機会に恵まれているということはない。

 健康の泉は、あなたの魂の中にある。そこには、しっかり錠のかけられた扉がある。鍵は信仰である。そしてすべての人は、この鍵をもつことができる。そこでその扉の錠を外し、病の治る泉にとびこみ、健全になることができるのだ。」


 するとその人は希望満々たる気分になり目を挙げて言った、「どうかこの信仰の鍵を与えて下さい。」


 イエス、「わたしの言ったことを信ずれば、あなたの信仰通りになる。起きて床をとりあげて歩め!」


 その人はすぐ立ちあがって去っていった。ただ神に感謝しますと言ったきりであった。


 そして人々が誰にいやされたかと聞けば、彼は答えた、「誰か知りません、池で見知らぬ人の一言でわたしはよくなりました。」


 イエスがこの人をいやした時これを見ない人が多かった。そして彼は十二弟子と共に宮の庭に行った。


 宮でイエスはその人を見て言った、「見よ、あなたはよくなった。これからのち生命を大切にするのだ。行ってこれからのち罪を犯してはならない。そうしないともっと悪いことが起るよ。」


 その人は今やっと自分をなおしてくれた人の誰かということが分かった。


 彼は祭司たちにこの話をしたが、彼らは大変怒って言った、「律法は安息日にいやすことを禁じている。」


 しかしイエスは言った、「わが父は安息日でも外の日と同様に働く。神はその雨、その日光、その露を送り、草を生えさせ、花を咲かせ、収穫を促すことは安息日もほかの日も同じだ。

 もし安息日に草が生え、花が咲くことが正しいなら、確かに悩める人を救うことは悪しくはない。」


 すると祭司たちはますます怒った、彼が神の子であると公言したからである。


 主立った祭司アビフは言った、「この奴はわが国民と律法に対して危険人物だ、自分を神の子と言う、生かしておけない。」


 しかしイエスは言った、「アビフよ、あなたは学者だ。生命の律法(おきて)を知っている筈だ。神の息子が人の娘を娶(めと)ったと創世記に書いてあるその神の子とは誰であったか。

 それはわれらの父アダムだ。彼はどんな人であったか、父があったか、或は星のように天から降って来たか。神から来たとモーセは言っているのをわれわれは読んでいる。もしアダムが神から来たなら、彼は誰かの子孫であったか、息子であったか、どうか。

 われらはこの神の子の子供である。それで尋ねる、博学な祭司よ、もし神の子でなければ、われらは誰の子か。」


 祭司は急用があるとて行ってしまった。


 イエスは言う、「人はすべて神の子である。人々が神聖な生活を送れば、いつも神とくつろぐ。人々は神のみわざを見てこれが分かる。そしてその聖名(みな)によってこのようなわざを行うことが出来る。

 雷電暴風は、日光や雨露と同様に、神の使者である。

 もろもろの天の美徳は神の聖手(みて)にある。すべての忠誠な子らは、このような美徳とこのような力を用いることが出来る。人間は地上に神の意志を行うための神の使者である。そして人間は病人をいやし天の霊をつかさどり、死人を生かすことが出来る。

 わたしにこのような力があると言っても、何の不思議もない。人間は誰でもこのようなことを行う力がある。しかし先ず低い自我のすべての情欲を克服しなければならない。これをやろうと思えば克服することが出来る。

 それであるから、人間は地上の神である。そして神をあがめる者は、人間をあがめなければならない。それは神と人間とは、父と子とが一体であるように、一体であるから。

 見よ、わたしは言う、時が来た、死者は人の声を聞いて生きる。それは人の子は神の子であるから。あなたがたイスラエルの人々よ、聞け、あなたがたは生きながら死んでいる、墓の中に閉じこめられている。


 (無知と不信よりも深い死はない。)


 しかし、すべての人間はいつかは人間の声によって明らかにされた神の声を聞いて生きるだろう。あなたがたはみな神の子であることを知り、聖なる言葉によって、神の聖業を行うだろう。あなたがたが生命に来る、即ち神の子なることを認めるなら、正しき生活をした人間で、生命の野にあって目を開く。

 しかし、罪の道を愛する者は、この復活にあって法廷の前に立ち、人々と自分自身に負う負債を払えと宣告されよう。何事であれ、誤った行為は再三再四繰り返して行わねばならないが、いつかは完全な人間の姿になる。


 時が来れば、最低のものと最高のものとが、共に立ち上がって光に歩む。


 わたしはあなたがたが神に告訴しようか。否、あなたがたの預言者モーセは既にそれをやった。そして若しあなたがたがモーセの言葉を聞かなければ、わたしの言うことも聴かぬだろう。モーセはわたしのことについて書いているからである。」


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            

第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 

 
第九十一章 エルサレムの祭典でのイエス。虚弱者をいやす。治療の実地教訓。人はすべて神の子なることを示す。


1)祭日が来たのでイエスと十二弟子はエルサレムに行った。

2)安息日の前日、彼らはオリーブ山に達し、北方にオリーブ山を仰ぐ一軒の宿屋にとまった。

3)安息日朝早く彼らは羊の門からエルサレムに行った。

4)門の近くにあるベテスダの霊泉は病気の人で一杯であった。

5)それは一定の時刻が来れば天使が来て池に治療の霊験あるものを注ぐから、一番先きに入って洗った者がいやされると信じていた。

6)イエスと十二弟子は池の近くに立っていた。

7)そしてイエスは、そばに一人の男がいるのを見た。彼は三十八年もの間病んでいた。他人の手がなければ、彼は動くことができなかった。

8)イエスは彼に言った、「わが兄弟よ、男よ、治りたいか。」

9)その男は答えた、「何とかして治りたいのです。しかし私は、体が自由がききません。そして主の使いがやってきて、池に治癒力をふり注ぐとき、

10)もう一人の歩ける男が、先きにその泉の中に入り、私は治らぬままになっています。」

11)イエスは言った、「僅かの人しか治癒に恵まれないようなこの池に主の使いを遣わしたのは誰か。

12)わたしは知っている。それは神ではない。彼はすべての人に対して平等に扱うからだ。

13)天国の病の治る泉では、一人が他の人より機会に恵まれているということはない。

14)健康の泉は、あなたの魂の中にある。そこには、しっかり錠のかけられた扉がある。鍵は信仰である。

15)そしてすべての人は、この鍵をもつことができる。そこでその扉の錠を外し、病の治る泉にとびこみ、健全になることができるのだ。」

16)するとその人は希望満々たる気分になり目を挙げて言った、「どうかこの信仰の鍵を与えて下さい。」

17)イエス、「わたしの言ったことを信ずれば、あなたの信仰通りになる。起きて床をとりあげて歩め!」

18)その人はすぐ立ちあがって去っていった。ただ神に感謝しますと言ったきりであった。

19)そして人々が誰にいやされたかと聞けば、彼は答えた、「誰か知りません、池で見知らぬ人の一言でわたしはよくなりました。」

20)イエスがこの人をいやした時これを見ない人が多かった。そして彼は十二弟子と共に宮の庭に行った。

21)宮でイエスはその人を見て言った、「見よ、あなたはよくなった。これからのち生命を大切にするのだ。

22)行ってこれからのち罪を犯してはならない。そうしないともっと悪いことが起るよ。」

23)その人は今やっと自分をなおしてくれた人の誰かということが分かった。

24)彼は祭司たちにこの話をしたが、彼らは大変怒って言った、「律法は安息日にいやすことを禁じている。」

25)しかしイエスは言った、「わが父は安息日でも外の日と同様に働く。

26)神はその雨、その日光、その露を送り、草を生えさせ、花を咲かせ、収穫を促すことは安息日もほかの日も同じだ。

27)もし安息日に草が生え、花が咲くことが正しいなら、確かに悩める人を救うことは悪しくはない。」

28)すると祭司たちはますます怒った、彼が神の子であると公言したからである。

29)主立った祭司アビフは言った、「この奴はわが国民と律法に対して危険人物だ、自分を神の子と言う、生かしておけない。」

30)しかしイエスは言った、「アビフよ、あなたは学者だ。生命の律法(おきて)を知っている筈だ。神の息子が人の娘を娶(めと)ったと創世記に書いてあるその神の子とは誰であったか。

31)それはわれらの父アダムだ。彼はどんな人であったか、父があったか、或は星のように天から降って来たか。

32)神から来たとモーセは言っているのをわれわれは読んでいる。もしアダムが神から来たなら、彼は誰かの子孫であったか、息子であったか、どうか。

33)われらはこの神の子の子供である。それで尋ねる、博学な祭司よ、もし神の子でなければ、われらは誰の子か。」

34)祭司は急用があるとて行ってしまった。

35)イエスは言う、「人はすべて神の子である。人々が神聖な生活を送れば、いつも神とくつろぐ。

36)人々は神のみわざを見てこれが分かる。そしてその聖名(みな)によってこのようなわざを行うことが出来る。

37)雷電暴風は、日光や雨露と同様に、神の使者である。

38)もろもろの天の美徳は神の聖手(みて)にある。すべての忠誠な子らは、このような美徳とこのような力を用いることが出来る。

39)人間は地上に神の意志を行うための神の使者である。そして人間は病人をいやし天の霊をつかさどり、死人を生かすことが出来る。

40)わたしにこのような力があると言っても、何の不思議もない。人間は誰でもこのようなことを行う力がある。しかし先ず低い自我のすべての情欲を克服しなければならない。これをやろうと思えば克服することが出来る。

41)それであるから、人間は地上の神である。そして神をあがめる者は、人間をあがめなければならない。それは神と人間とは、父と子とが一体であるように、一体であるから。

42)見よ、わたしは言う、時が来た、死者は人の声を聞いて生きる。それは人の子は神の子であるから。

43)あなたがたイスラエルの人々よ、聞け、あなたがたは生きながら死んでいる、墓の中に閉じこめられている。

44)(無知と不信よりも深い死はない。)

45)しかし、すべての人間はいつかは人間の声によって明らかにされた神の声を聞いて生きるだろう。あなたがたはみな神の子であることを知り、聖なる言葉によって、神の聖業を行うだろう。

46)あなたがたが生命に来る、即ち神の子なることを認めるなら、正しき生活をした人間で、生命の野にあって目を開く。

47)しかし、罪の道を愛する者は、この復活にあって法廷の前に立ち、人々と自分自身に負う負債を払えと宣告されよう。

48)何事であれ、誤った行為は再三再四繰り返して行わねばならないが、いつかは完全な人間の姿になる。

49)時が来れば、最低のものと最高のものとが、共に立ち上がって光に歩む。

50)わたしはあなたがたが神に告訴しようか。否、あなたがたの預言者モーセは既にそれをやった。そして若しあなたがたがモーセの言葉を聞かなければ、わたしの言うことも聴かぬだろう。モーセはわたしのことについて書いているからである。


【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 91

Jesus at the feast in Jerusalem. Heals an impotent man.
Gives a practical lesson in healing. Affirms that all men are the sons of God.

THE feast time came and Jesus and the twelve went to Jerusalem.
2) Upon the day before the Sabbath day they reached Mount Olives and they tarried at an inn before Mount Olives on the north.
3) And in the early morning of the Sabbath day they went in through the sheep gate to Jerusalem.
4) The healing fountain of Bethesda, near the gate, was thronged about with people who were sick;
5) For they believed that at a certain time an angel came and poured a healing virtue in the pool, and those who entered first and bathed, would be made whole.
6) And Jesus and the twelve were standing near the pool.
7) And Jesus saw a man near by who had been stricken eight and thirty years; without a hand to help he could not move.
8) And Jesus said to him,
My brother, man, would you be healed?
9) The man replied,
I earnestly desire to be healed; but I am helpless and when the angel comes and pours the healing virtues in the pool,
10) Another who can walk, steps in the fountain first and I am left unhealed.
11) And Jesus said,
Who sends an angel here to potentise this pool for just a favored few?
12) I know it is not God, for he deals just the same with every one.
13) One has no better chance in heaven's healing fountain than another one.
14) The fount of health is in your soul; it has a door locked fast; the key is faith;
15) And every one can have this key and may unlock the door and plunge into the healing fount and be made whole.
16) And then the man looked up in hopeful mood and said,
Give me this key of faith.
17) And Jesus said,
Do you believe what I have said? According to your faith it shall be done. Arise, take up your bed and walk.
18) The man at once arose and walked away; he only said,
Praise God.
19) And when the people asked,
Who made you whole? the man replied,
I do not know. A stranger at the pool just spoke a word and I was well.
20) The many did not see when Jesus healed the man, and with the twelve he went his way up to the temple courts.
21) And in the temple Jesus saw the man and said to him,
Behold you are made whole; from henceforth guard your life aright;
22) Go on your way and sin no more, or something worse may fall on you.
23) And now the man knew who it was who made him whole.
24) He told the story to the priests and they were much enraged; they said,
The law forbids a man to heal upon the Sabbath day.
25) But Jesus said,
My Father works on sabbath days and may not I?
26) He sends his rain, his sunshine and his dew; he makes his grass to grow, his flowers to bloom; he speeds the harvests just the same on Sabbath days as on the other days.
27) If it is lawful for the grass to grow and flowers to bloom on Sabbath days it surely is not wrong to succour stricken men.
28) And then the priests were angered more and more because he claimed to be a son of God.
29) A leading priest, Abihu, said,
This fellow is a menace to our nation and our laws; he makes himself to be a son of God; it is not meet that he should live.
30) But Jesus said,
Abihu, Sir, you are a learned man; you surely know the law of life. Pray tell who were the sons of God we read about in Genesis, who took to wife the daughters of the sons of men?
31) Our father Adam; who was he? From whence came he? Had he a father? or did he fall from heaven as a star?
32) We read that Moses said, He came from God. If Adam came from God pray, was he offspring, was he son?
33) We are the children of this son of God; then tell me, learned priest, Who are we if not sons of God?
34) The priest had urgent business and he went his way.
35) And Jesus said,
All men are sons of God and if they live a holy life they always are at home with God.
36) They see and understand the works of God, and in his sacred name they can perform these works.
37) The lightnings and the storms are messengers of God as well as the sunshine, rain and dew.
38) The virtues of the heavens are in God's hands, and every loyal son may use these virtues and these powers.
39) Man is the delegate of God to do his will on earth, and man can heal the sick, control the spirits of the air, and raise the dead.
40) Because I have the power to do these things is nothing strange. All men may gain the power to do these things; but they must conquer all the passions of the lower self; and they can conquer if they will.
41) So man is God on earth, and he who honors God must honor man; for God and man are one, as father and the child are one.
42) Behold, I say, The hour has come; the dead will hear the voice of man, and live, because the son of man is son of God.
43) You men of Israel, hear! you live in death; you are locked up within the tomb.
44) (There is no deeper death than ignorance and unbelief.)
45) But all will some day hear the voice of God made plain by voice of man, and live. You all will know that you are sons of God, and by the sacred Word, may do the works of God.
46) When you have come to life, that is, have come to realize that you are sons of God, you who have lived the life of right, will open up your eyes on fields of life.
47) But you who love the ways of sin will, in this resurrection, stand before a judgment bar, and be condemned to
pay the debts you owe to men and to yourselves.
48) For whatsoever you have done amiss must be performed again, and yet again, until you reach the stature of the perfect man.
49) But in due time the lowest and the highest will arise to walk in light.
50) Shall I accuse you unto God? No, for your prophet, Moses, has done that; and if you hear not Moses' words you will not hearken unto me, for Moses wrote of me.

 【続く】


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4 コメント

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『パッション』をDVDで見た。 (mn)
2010-12-13 17:32:35
『パッション』をDVDで見た。
>アンナ・カタリナ・エンメリックが幻視したイエスの最期は、2004年にメル・ギブソン監督によって映画化された(『パッション』)。
>アンナ・カタリナ・エンメリック
http://www.weblio.jp/content/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF
>パウロ;より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD
>パウロはローマへ赴く前に、現地の信徒たちに宛てて一通の手紙を記している。帝国の都ローマにいる信徒たちに、キリスト教信仰の真髄をしっかりと知ってもらう必要があると考えたのである。
彼はその手紙のなかで、わけても人間の救いについて、次のように論じている。
「人は、正しい行いを積むことによって、神の義と認められて救いに導かれるのではない。人が神の前に義と認められるのは、ひとえに神の子イエス・キリストを信じることによる。律法を守り行う者は、かえっておごり高ぶることになりかねない。しかし、イエス・キリストに現された神の義は、律法を守れない者にも、律法を知らない者にも、救いの可能性を開いたのである。神の子であるイエス・キリストが十字架につけられた意味は、ここにある。これを信じ、これを受け入れるとき、人は無条件で義とされる。神の前には、ユダヤ人と異邦人の区別も、奴隷と主人の区別も、男と女の区別もない」
このようなパウロの主張は、当時のユダヤ教とは真っ向から衝突するものであった。そのため、ユダヤ人およびユダヤ主義的キリスト教徒のなかに、パウロに憎悪と敵意を抱く者がいても不思議はなかった。
信仰をともにする教会の共同体であっても、多くの人が集まればさまざまな問題が生じてくる。彼がしばらく滞在したことのあるコリントの教会は、パウロが去ってのちしばらくすると、信仰の立場の違いや人間関係における対立のために、互いに一致できない状態が続いていた。 そこでパウロは、コリントの信徒たちに宛てて複数の手紙を書いている。
「神の子であるイエス・キリストが受けた十字架という恥辱に、神の栄光の力が現された。キリストの福音はそこに始まる。信仰の原点もそこにある。 それゆえ信徒は、みずからを誇ってはならない。人間は『土の器(うつわ)』にすぎないのである。だが、イエス・キリストを神の子と信じるとき、十字架に現された神の力が『土の器』を突き動かす」
パウロはその力を「愛の働き」と言い表し、コリントの信徒に向けて、次のように書き送っている。
「人が並はずれた能力を持ち、賞賛に値する行為を果たしても、そこに愛がなければ無に等しい。愛こそは人を謙虚にし、信仰に導き、希望を抱かせる。知識は、いずれすたれよう。永続するのは信仰と希望と愛である。そのなかで、最も偉大なものこそ愛である」
この言葉は、生涯結婚しなかったパウロが、後世の全人類に向けて残した「愛の賛歌」である。[5]
(感想)
① >人が神の前に義と認められるのは、ひとえに神の子イエス・キリストを信じることによる。
② >みずからを誇ってはならない。人間は『土の器(うつわ)』にすぎない
③ >人が並はずれた能力を持ち、賞賛に値する行為を果たしても、そこに愛がなければ無に等しい。愛こそは人を謙虚にし、信仰に導き、希望を抱かせる。
◎映画化された『パッション』で言いたいことは①~③だと思った。
『パッション』に関する論議 [編集]
教皇空位論を信奉する、超伝統主義カトリック教徒としても知られ、その信仰の篤さは自宅近くの丘にチャペルを建設してしまったほどである。2004年2月公開の『パッション』(日本公開は2004年5月)では、イエス・キリストの処刑までの12時間をリアルに描いた。
公開前から、ユダヤ人団体などはこの映画が人々を反ユダヤ主義的な行動に駆りたてるのではないかとの懸念を表明していた。また、ネット上でも活発な論争が行われた[3]。
イエスへの拷問シーンが緻密に描かれているため、米国公開時にはキリスト教徒の女性観客が心臓発作で死亡する事件があり、また公開阻止デモが行われた。その一方で、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が「聖書の内容に忠実だ」とコメントするなど物議を醸している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%96%E3%82%BD%E3%83%B3
返信する
>大陰謀-ラプチャー(携挙)はフリーメーソンの秘儀 (mn)
2010-12-14 23:30:47
>大陰謀-ラプチャー(携挙)はフリーメーソンの秘儀
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-287.html
【転載開始】
>【ディスペンセーショナリズムとイルミナティ

「再臨が近い、いつ携挙されるか分からない、大患難時代がすでに始まった、今は終末の時代だ…
19世紀から20世紀にかけて作られ、広められ、今教会にはびこっているこれらの教えは、犯罪者、家庭放棄者、イルミナティから金をもらっていた偽預言者によるものである。
………………………………
ヤコブ・シフは、イルミナティの走狗。イルミナティから金をもらっていたということは、スコフィールド・バイブルが、イルミナティの世界統一政府建設に貢献する目的で制作されたということを強力に示していると思われる。
………………………………
これは、ディスペンセーショナリズムのシステムは、世界統一政府のための道具であるとの私の主張を裏付けるものである。
その一番の主眼は、『クリスチャンから戦闘意欲を奪う』ことにある」。

【プロテスタントに侵入したオカルト】

「近年、プロテスタントの教会では『聖霊による賜物』ということで数多くの『預言者』が活動している。問題はそれが本当に聖 霊による賜物であるかどうか、また本当の預言であるかどうかである。サタンは光の天使を装うので、聖霊を装うことも、マリア、イエス、使徒を装うこともす る。人間にも侵入する。主イエスと共に過ごした弟子たちでさえ、いとも簡単にサタンに侵入された。
………………………………
また、聖書は翻訳される度にも、出版される度にも、修正が加えられている。や修正というより、大胆すぎるほどの大幅な変更が重ねられてきた。重要な言葉がなしくずしに聖書から消され、代わりに『可能性思考』、『繁栄の神学』、『インナーヒーリング』などの新たな考えが吹き込まれ、主イエスの言葉が正反対の意味の言葉にさえ変えられた。
そうして、巧妙に教会の信仰は骨抜きにされてきたのである。
そもそも、聖書がすべて神からの啓示によって書かれたものであるというなら、度重なる改訂の必要はないはずである。
………………………………
では、なぜ聖書は、これほどまでに何度も改訂がなされてきたのか。
『フラムの子ら』のプロテスタントに対する目的は、プロテスタントのあらゆる教派を神の愛から『自由・博愛・平等』というフリーメーソンの旗印=人間愛のレベルに引き下ろし、キリストから引き離すことにある。
………………………………
彼らは、説教や集会でキリストを賛美するかのように見せかけて巧みにサタンを崇拝し、集まった人々の額や右腕に獣の印を押している。
集まっている人々はそれと気付かないうちに獣の印を受けているのである。

【転載終了】
(感想)
カトリック、プロテスタント、どちらも世界統一政府NWO=サタンに侵略されているな?!



返信する
カレイドスコープの (mn)
2010-12-15 23:32:10
カレイドスコープの
『2012年の反キリストは頭文字「M.R」という説』を読んだ;
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-283.html
次の米大統領・最有力候補はミット・ロムニー。(「M.R」)
彼はモルモン教徒(末日聖徒イエス・キリスト教会)で、その宗教はイルミナティ、フリーメーソンと深い関係にあるらしい。
>#モルモン教はユダヤの諜報機関
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/zas22.html
>モルモン教・イルミナティの地下都市建設
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-235.html
(感想)
>反キリストに関する暗号 獣は、M. ROMNEY
は、「以下は、あくまで「参考の外」として、お読みください。」として
さいごに【聖書の暗号 The Bible Code】が書いてある;
最初「これはやりすぎかもな!」とボクはそう感じたんだけど、
でもね、世界統一政府構想=NWOはある、ことを確認した。
返信する
>911の虚構ZERO(日本語字幕) (mn)
2010-12-16 23:23:42
>911の虚構ZERO(日本語字幕)
字幕提供 千早@オーストラリア ★阿修羅♪ 掲示板より
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/291.html
>ZERO 9/11の調査報告 1/9 日本語字幕版
http://www.youtube.com/watch?v=8AYb77_2Tk8
>ZERO 9/11の調査報告 2/9 日本語字幕版
http://www.youtube.com/watch?v=veJQKbXTysI&feature=related
>ZERO 9/11の調査報告 3/9 日本語字幕版
http://www.youtube.com/watch?v=jd8kRoFs8iE&feature=related
>ZERO 9/11の調査報告 4/9 日本語字幕版
http://www.youtube.com/watch?v=IaClbMcwuks&feature=related
>ZERO 9/11の調査報告 5/9 日本語字幕版
http://www.youtube.com/watch?v=6f5AqDAhYBM&feature=related
>ZERO 9/11の調査報告 6/9 日本語字幕版
http://www.youtube.com/watch?v=eVpQeHbcVrc&feature=related
>ZERO 9/11の調査報告 7/9 日本語字幕版
http://www.youtube.com/watch?v=Nx0_LqwgbQg&feature=related
>ZERO 9/11の調査報告 8/9 日本語字幕版
http://www.youtube.com/watch?v=Ad69wS5nWQU&feature=related
>ZERO 9/11の調査報告 9/9 日本語字幕版
http://www.youtube.com/watch?v=4Kr4Zq7nRGg&feature=related
(感想)
天使たちが高らかに歌い勝利する。
堕天使、悪魔は地獄の底でのたうちまわる。
それははじめから決まっていること。

<返事>
mn 様
コメント有り難うございました。返事が遅れました。

 いつも沢山の情報有り難うございます。必ず、完視聴します。

飄平
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