飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

「闇と光」「ポジティブ信仰」の陰謀説

2009-03-21 12:10:57 | 日本

 

ふるいちまゆみさんは、不思議な人だ!!
その語るところ、一々核心を衝く、
そして、陋習に風穴を開ける!!


 

なかでも、闇を根源のフォースと観る直感は正しい。聖書に『はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 』


 つまり、闇は始めより存在したのである。


 闇は、意識であり、本源の存在であると言うことである。そこから、光と闇を分けられた、とある。光を昼とし、闇を夜とした、とある。闇を悪とは一言も言っていない。


聖書にことさら、拘泥するわけではない。ただ、闇を悪の代名詞のように表現する事は、陰謀とまで言わないとしても、間違いである。闇から、すべては生まれたのであるから、闇はすべての元、大元であることは正しい。 


闇から、光が生まれ、それによって影が生まれた。その影が夜であり、いわゆる夜の『闇』が、現象世界の闇なのである。


 その光とは何か? 太陽であり、あるいは宇宙の数多の光である。そして、重要なことは、人こそ、光として闇の世界に放たれた光である。本来、光の天使である。 


光は、闇を照らす。すると昼となる。同じく、光の存在である人間は、混沌の世界に光を放つ。即ち、秩序を与えるのである。そう言う存在であることになる。 


闇から使わされた光が、人間である。闇は根源のフォースであることになる。


 

【転載開始】過激なタイトル 「闇と光」「ポジティブ信仰」の陰謀説 http://cocorofeel.exblog.jp/10492269/



さて
闇とはなんでしょう。
光とはなんでしょう。
闇の言葉の意味を考えたことはありますか?
光の言葉の意味を考えたことはありますか?

自ら考えだした答えでもないのに
何故、闇=悪、悪魔、光=善、神となるのでしょう。
これを誰が決めたのでしょう。
いつから闇と光の言葉が流行しだしたのでしょう。
光、光と騒ぎ、闇を処理せよとかのネット上に氾濫する動きは
私が何度も批判してきた精神世界系のムーヴメントだとは思いませんか。
精神世界を批判する人でもこの闇と光のパターンにはまっていませんか。
よくある宗教的発想・思考だと思いませんか。
ものすごい流行語だと思いますよ。

物事を”闇=悪、光=善”のパターンで固定して考えると人間は無知になります。
脳を使わなくなります。
本来のハタラキを失います。

闇に光を当てろ!光で包め!的な安易な刷り込みは
過去に何度も書いた私の嫌いな安易なポジティブ信仰ともよく似ている。
心に思っていなくてもありがとうを言い、感謝の言葉を口にしよう、
何でもポジティブに発想しよう、そうすれば人生が上手くいく、幸福になる、成功する。
あれと同じです。

本当にそう思いますか?
世界はポジだけで光だけで出来ているのですか?
まず、闇でしょう。
闇があるからこそ光が輝くのでしょう。
写真でもネガとポジがあります。

闇といえば夜。
夜は何のためにあるのですか?
心身を休めるためですよね。
人間以外もみなそうです。
夜は磁場も落ち着きます。

休めるための夜がなければどうなりますか?
一日中太陽が照り輝く日中だとどうなりますか?
心身は休まりますか?
きっとイライラするでしょうね。
時間の感覚はどうなりますか?

見えない体の中も闇です。
地球の内側も、私たちが立つ大地の下も闇です。
大切な闇の体があるからこその命です。

こうやって考えるだけで
闇は縁の下の力持ち的存在ですよね。
闇のほうが光っぽくないですか?
闇は光だと思いませんか?
なのにどうして闇が悪者になっているのでしょう。
誰が悪者にしているのですか?
誰が加担しているのですか?

宇宙は闇です。
恐ろしいほどの静寂の美の闇です。
その闇に私たちは生きているのです。
どうしてその闇が悪者になっているのでしょう。

光の宇宙へという言葉を時々みるけれどあれは一体何?
宇宙は闇でしょ。

闇=悪にするなら
無意識世界・潜象界は悪になってしまいます。
更にいえば、全てが沸き出でる統一場も悪になってしまいます。
こんなおかしな話はありません。

しかし、暗いところは怖いと思う人は多いでしょう。
夜は夜道は暗いから怖い、私も子供の頃はそうでした、今でもまだ少しあります。
しかし室内の照明を少し暗めにするのは落ち着きます、好きです。
人間は何故暗いところが夜が怖いのか。
(*人によっては暗いほうが好きな人もいるでしょう。)
心身が休まるのに落ち着くのに何故、怖いのか、
これを考えることのほうが大切なのではないでしょうか。

ポジティブ信仰も「闇と光」説も
本来しっかりみつめ考えなくてはいけないことに重い蓋をすることです。
人間は馬鹿になるだけです。
馬鹿にするための陰謀ならこの流行がよくわかります。

詩「すべてはつながっている」でも書いたように世界は色んな色で出来ています。
この世界を闇と光の黒白の2色にして、光という名の一色にする必要はないでしょう。

最後に
闇と影・陰は、意味が全然違いますよ。

何度も言うけれど、私は言葉を大切に使っていきたいと思う。




10年ほど前に足裏指圧さんで見せてもらった例の水の結晶写真。
ありがとうとか愛とかの言葉はきれいな結晶になるというのは本当?
言葉の意味を知らない海外の人がやっても同じ?
日本語以外でもなるの?
幼児でもなるの?

私が考えるには、本当に水の結晶が変わるなら
言葉の意味を知ってるからだと思うよ。
一つの言葉で意味が逆だったり違う内容だったりするからね。

こういうところからも
ありがとうのポジティブ信仰が出てるんだろうね。

心の中でアカンベしながら言葉でありがとうを言うなんてゾッとする。
私の一番嫌いなこと。
こんなことしてると分裂を起こしそう。
世界はもっと混乱し、酷くなりそう。

心からそう思い言葉にするなら
世界は劇的に変化するかも知れないけれど
そうじゃなきゃ、世界は悪くなるだけ。
あ~、やっぱり陰謀だ。

どうやっても好きになれないポジティブ信仰。
上っ面の言葉は絶対使いたくない。

またまた袋叩きにあいそうな嫌われそうなことをあえて書きました。
私って反逆児?【転載終了】


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