飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

不思議な少年!! その84

2010-09-26 19:29:09 | 物語

イエス、スカルの人々を教える。悪霊にとりつかれた者をいやす!! 


 エクソシズム(悪魔払い)の原点がここにある。イエスは少なくとも最強のエクソシスト(悪魔払い師)でもある。悪霊(あくりょう、あくれいとも読む)とは、一体何者か。サタンとも言われるが、そうではない。広義にはそう呼ばれるが、個性を持った人の霊である。

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記事に無関係>  

 

 只、当人の思いと行いによって、自ら地獄(煉獄ともいう)と呼ばれる場所を居所としている魂達である。それが人に憑くというのは、どういう事か? 思念が同通するからである。丁度、発信機と受信機の原理と全く同じだ。同調回路を経て、受信機は発信された信号を受信する。すると声が聞こえ、映像が見える。


 同じ思念を微弱に発信していると、同通して、繋がる。携帯電話と同じだ。すると、人格が変わる。私の中の他人が登場する。これが憑依である。しかし、元々は同通する思念がその者に存在することが原因だ。

 心の中の思念と、行為を点検することが重要となる。電源を切った、携帯電話に初ながらない。docomoにヤフーは繋がらない。あるいは特定の番号にしか携帯電話は繋がらない。


 イエスはいみじくも語っている。

 『自分の行動や邪念で、こんな危険に自分をおとしいれた。これを解決するのは容易な問題ではない。しかしこれを解決するのはお前自身しかない。


 最近、親切な方から、エクソシズムについてのカトリックのエクソシストの実話を教えて頂いた。その類の情報をかつて接したことがあったが、これは正当なカトリックの儀式に基づいた由緒ある実録である。その通りだと思われる。転載は出来ないが、紛れもない真実である。


 しかし、これはカトリックに限ったことではない。宗教に関係なく存在する。人間はその本質は霊だからである。



イエス、スカルの人々を教える。悪霊にとりつかれた者をいやす。悪霊をその居所に送る。多くの人々をいやす。祭司たちはイエスがスカルに居ること快しとしないが、イエス彼らの好意をとらえる。


 イエスはスカルの市場で人々を教えた。


 悪霊にとりつかれた人が彼に連れて来られる。この悪霊は兇暴で情欲深く、被害者を地上に投げつけた。そこでイエスは声を張りあげて言った、「いやしき霊よ、この人の体をはなれて、お前の居るところに帰れ。」


 すると霊は近くにいた犬のからだにはいりたいと願った。


 しかしイエスは言う、「なぜこのたよりなき犬を苦しめるか。その生命はわたしの生命がわたしに大切であるように、犬には大切なものだ。お前の罪の重荷をどんな生き物にでも負わせることは、お前のなすべきことではない。

 お前は自分の行動や邪念で、こんな危険に自分をおとしいれた。これを解決するのは容易な問題ではない。しかしこれを解決するのはお前自身しかない。

 お前はこのように人にとり憑いて、二重に自分の容態を悪くしている。お前自身の棲家(すみか)にもどって何ものもそこなわなければ、やがてお前自身が自由になるだろう。」


 悪霊は人から出て行って自分の居所にもどった。今までとり憑かれた人は感謝し、目をあげて神を讃美した。


 それから、多くの人々は病人を連れてきた。イエスは聖言(みことば)によってみなこれをいやした。


 会堂の司は、エルサレムから来たイエスが、町で説教していると聞いて大いに心を悩ました。彼らはノエスがサマリヤ人の間に改宗者をつくって闘争(あらそい)を起そうとして来たと思った。


 そして、彼らは役人を遣わし、会堂に彼を連れて来て、町に来ているわけを聞こうとした。


 しかし、イエスは使者に言った、「帰って行って会堂の祭司や司(つかさ)に、わたしは悪事をしていないと言ってもらいたい。わたしが来たのは、痛める心をいたわり、病人をいやし、悪霊につかれた者を解いてやるためだ。

 わたしが来たのは、律法を破るためでなく、却ってこれを成就するために来たと、彼らの予言者がわたしについて言っていると告げてほしい。」


 使者は帰って行って、イエスの言った通りを会堂の祭司や司に復命した。


 司はびっくりして、祭司たちと共にイエスの居る市場に行った。


 イエスは彼らを見て言った、「サマリヤ全部から尊敬されている人々を見よ、彼らは正しき道に人々を導くよう命ぜられた人々だ。そして、わたしが来たのは、彼らの働きを助けるためであって、妨げるためではない。

 人の子らには二種類ある。公正、真埋、平等、正義と確かな礎石(どだいいし)の上に人類を打ろ建てようとする者、次ぎに霊のやどる聖なる宮をこぼち、自分の仲間を貧窮や罪悪に陥らしめようとする者で、聖なる正義の兄弟団は一致協力して、現代のさわがしい争闘に対抗しなければならぬ。

 ユダヤ人であろうと、サマリヤ人であろうと、アッシリヤ人またギリシャ人であろうと、一切の争闘、不和、嫉妬、増悪を踏み捨てて、人間の同胞主義を宣伝しなければならぬ。」


 それから、イエスは会堂の司に言った。「正義のために合同すれば興り、分裂すれば滅びる。」


 そしてイエスは司の手を握った。合いの光が彼らの魂を満たし、人々はただ驚くばかりであった。


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            

第十四部 イエ スのキリスト奉仕者としての第一年
 

第八十三章 イエス、スカルの人々を教える。悪霊にとりつかれた者をいやす。悪霊をその居所に送る。多くの人々をいやす。祭司たちはイエスがスカルに居ること快しとしないが、イエス彼らの好意をとらえる。


1)イエスはスカルの市場で人々を教えた。

2)悪霊にとりつかれた人が彼に連れて来られる。この悪霊は兇暴で情欲深く、被害者を地上に投げつけた。

3)そこでイエスは声を張りあげて言った、「いやしき霊よ、この人の体をはなれて、お前の居るところに帰れ。」

4)すると霊は近くにいた犬のからだにはいりたいと願った。

5)しかしイエスは言う、「なぜこのたよりなき犬を苦しめるか。その生命はわたしの生命がわたしに大切であるように、犬には大切なものだ。

6)お前の罪の重荷をどんな生き物にでも負わせることは、お前のなすべきことではない。

7)お前は自分の行動や邪念で、こんな危険に自分をおとしいれた。これを解決するのは容易な問題ではない。しかしこれを解決するのはお前自身しかない。

8)お前はこのように人にとり憑いて、二重に自分の容態を悪くしている。お前自身の棲家(すみか)にもどって何ものもそこなわなければ、やがてお前自身が自由になるだろう。」

9)悪霊は人から出て行って自分の居所にもどった。今までとり憑かれた人は感謝し、目をあげて神を讃美した。

10)それから、多くの人々は病人を連れてきた。イエスは聖言(みことば)によってみなこれをいやした。

11)会堂の司は、エルサレムから来たイエスが、町で説教していると聞いて大いに心を悩ました。

12)彼らはノエスがサマリヤ人の間に改宗者をつくって闘争(あらそい)を起そうとして来たと思った。

13)そして、彼らは役人を遣わし、会堂に彼を連れて来て、町に来ているわけを聞こうとした。

14)しかし、イエスは使者に言った、「帰って行って会堂の祭司や司(つかさ)に、わたしは悪事をしていないと言ってもらいたい。

15)わたしが来たのは、痛める心をいたわり、病人をいやし、悪霊につかれた者を解いてやるためだ。

16)わたしが来たのは、律法を破るためでなく、却ってこれを成就するために来たと、彼らの予言者がわたしについて言っていると告げてほしい。

17)使者は帰って行って、イエスの言った通りを会堂の祭司や司に復命した。

18)司はびっくりして、祭司たちと共にイエスの居る市場に行った。

19)イエスは彼らを見て言った、「サマリヤ全部から尊敬されている人々を見よ、彼らは正しき道に人々を導くよう命ぜられた人々だ。

20)そして、わたしが来たのは、彼らの働きを助けるためであって、妨げるためではない。

21)人の子らには二種類ある。公正、真埋、平等、正義と確かな礎石(どだいいし)の上に人類を打ろ建てようとする者、

22)次ぎに霊のやどる聖なる宮をこぼち、自分の仲間を貧窮や罪悪に陥らしめようとする者で、

23)聖なる正義の兄弟団は一致協力して、現代のさわがしい争闘に対抗しなければならぬ。

24)ユダヤ人であろうと、サマリヤ人であろうと、アッシリヤ人またギリシャ人であろうと、一切の争闘、不和、嫉妬、増悪を踏み捨てて、人間の同胞主義を宣伝しなければならぬ。」

25)それから、イエスは会堂の司に言った。「正義のために合同すれば興り、分裂すれば滅びる。」

26)そしてイエスは司の手を握った。合いの光が彼らの魂を満たし、人々はただ驚くばかりであった。


【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


CHAPTER 83

Jesus teaches the people of Sychar. Casts a wicked spirit out of one obsessed.
Sends the spirit to its own place. Heals many people. The priests are disturbed
by the presence of Jesus in Sychar, but he speaks to them and wins their favor.

IN Sychar Jesus taught the people in the market place.
2) A man obsessed was brought to him. The wicked spirit that possessed the man was full of violence and lust, and often threw his victim to the ground.
3) And Jesus spoke aloud and said,
Base spirit, loose your hold upon the vitals of this man, and go back to your own.
4) And then the spirit begged that he might go into the body of a dog that stood near by.
5) But Jesus said,
Why harm the helpless dog? Its life is just as dear to it as mine to me.
6) It is not yours to throw the burden of your sin on any living thing.
7) By your own deeds and evil thoughts you have brought all these perils on yourself. You have hard problems to be solved; but you must solve them for yourself.
8) By thus obsessing man, you make your own conditions doubly sad. Go back into your own domain; refrain from harming anything, and by and by, you will yourself be free.
9)
The wicked spirit left the man and went unto his own. The man looked up in thankfulness and said,
Praise God.
10) And many of the people brought their sick, and Jesus spoke the Word, and they were healed.
11) The ruler of the synagogue, and all the priests were much disturbed when told that Jesus from Jerusalem was preaching in the town.
12) They thought that he had come to proselyte and stir up strife among Samaritans.
13) And so they sent an officer to bring him to the synagogue that he might give a reason for his presence in the town.
14) But Jesus said to him who came,
Go back and tell the priests and ruler of the synagogue that I am not engaged in crime.
15) I come to bind up broken hearts, to heal the sick, and cast the evil spirits out of those obsessed.
16) Tell them, their prophets spoke of me; that I am come to break no law, but to fulfill the highest law.
17) The man returned and told the priests and ruler of the synagogue what Jesus said.
18) The ruler was amazed, and with the priests went to the market place where Jesus was.
19) And when he saw them, Jesus said,
Behold the honored men of all Samaria! the men ordained to lead the people in the way of right.
20) And I am come to help, and not to hinder in their work.
21) There are two classes of the sons of men; they who would build the human race upon the sure foundation stones of justice, truth, equality and right,
22) And they who would destroy the holy temple where the Spirit dwells, and bring their fellows down to beggary and crime.
23) The holy brotherhood of right must stand united in the stirring conflicts of the hour.
24) No matter whether they be Jews, Samaritans, Assyrians, or Greeks, they must tramp down beneath their feet all strife, all discord, jealousy and hate, and demonstrate the brotherhood of man.
25) Then to the ruler of the synagogue he spoke: he said,
United in the cause of right we stand; divided we will fall.
26) And then he took the ruler by the hand; a love light filled their souls; and all the people were amazed.

【続 く】


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11 コメント

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<Zeitgeist時代の精神>は (mn)
2010-09-27 00:24:20
<Zeitgeist時代の精神>は
http://video.google.com/videoplay?docid=4197639845259809993&hl=ja#
においてキリスト教を分析していると思う。
その一部分の内容を掘り下げてみたい。
ずばり、
http://gelt.blog25.fc2.com/blog-entry-6.html
は聖書を全部ではないが、うまく説明していると思う;
>紀元前後から20世紀の間はうお座の時代で、西洋では「魚」はキリストを意味することから、プラトン年は広く受け入れられた。魚は神秘を司り、ヨーロッパ中世にせよ、中国唐宋代にせよ、神秘色の濃いキリスト教や仏教が流行した時代でもあった。
そして21世紀からは水瓶座の時代とされる。水瓶座のモチーフは精神性であるが、なるほど、確かに21世紀の経済トレンドは製造業から、サービス業や知識産業など、精神性の高い産業への移行とは言える。
このブログ・不思議な少年は【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】をもとに書かれていますが、宝瓶宮の意味は水瓶座の意味ですから精神性の高いものだと思います。
The 5th Dimension が1969年にAquarius/Let the Sunshine Inを歌いましたがそのタイトルの日本語の意味は「水瓶座」でした;
http://www.youtube.com/watch?v=EegRh8Z4H-o
いま世界、日本には、時代の大きな変化が見えると思います。
テーマは違うのですが、飄様もご覧になられたかと... (希望。)
2010-09-27 01:11:33
テーマは違うのですが、飄様もご覧になられたかと思いますが、まさに慧眼とはこのお方ではないでしょうか?以前も紹介させていただきました。昨今の国際問題の解決法・ひいては日本の役割かも・・・。情報拡散と云うか皆様にもこんな考えが有ったなんて知っていただきたくコメントいたしました。URL貼り付けます。http://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-10658628312.html

<返事>
希望。 様
コメント有り難うございました。
 
 その通りですね。欠かさず、チェックしてます。
飄平
Qの中のイエス (mn)
2010-09-28 13:15:09
Qの中のイエス
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2010/09/post_952d.html
・Qのテクストは短い。A4の本に10ポイントの活字でわずか10ページくらいのテクストに過ぎない。しかし、それはすべて真正のイエスの言葉のように思われる。聖書の中の最も心惹かれる言葉がずらりと並ぶ。しかも「汝の左の頬打たれなば・・」のような文語体の文章からは響いてこない30代の若き変革者の息遣いさえ聞こえてくる。思わず暗誦したくなる。この語録になら私は帰依できる。これだけのテクストを胸に抱いて原初キリスト教徒たちは、師の教えを伝えていったのであろうか?
・Qの特徴は全てイエスの語録であることだ。イエスの事跡、奇跡物語、受難の記録はQの中に全く含まれない。Qを生み出した弟子たちはイエスの受難物語にはほとんど興味がなかったらしい。これが、バートン・マックをして、「カトリック教会が抹殺した初期キリスト教との真の姿」を語らしめる原動力となった。

キリスト教批判はよく書けています。 (mn)
2010-09-28 13:49:50
キリスト教批判はよく書けています。
その一部分を転載します。
http://www.hm3.aitai.ne.jp/~makokato/cros_jesus.htm
>カタコンペの壁画には十字架がない
代わりにカタコンペにおけるキリスト教のシンボルは「お魚のマーク」であったし、カタコンペの壁画の中のキリストは「若い羊飼い」として描かれている。
(意見)「お魚のマーク」だったし・・・とはどういうことなのか?;
<Zeitgeist時代の精神>はそれを分析しています。
http://video.google.com/videoplay?docid=4197639845259809993&hl=ja#
>なおイエスが牡羊座の次の時代、つまり「双魚宮の時代」を先導する者である。魚を用いる象徴主義は「新約聖書」には多く登場し、イエスがパンと「2匹の魚」で5000人の民衆をご馳走したように。
彼が聖職を始めてガリラヤ湖に沿って歩いていた時に、二人の旅漁民の友達を追った。また人々の車の後ろに乗せてあるイエスの魚を、私たち皆見たことがあると思う。ただ彼らはその本当の意味を知らない。
それは異教徒の占星術的象徴で、双魚宮の時代の太陽の王国を表わすものである。さらに、イエスの推測された誕生日は、本質上この時代の初めであるのだ。「ルカによる福音書」の22:10では、イエスの弟子が最後の過ぎ越しの祝いがどこになるかを質問した時に、イエスがこう答えた。
「見よ、あなた達が市町に入ったら、水差しを持つ男の人と会うはず。。。彼に従って彼が入る屋敷に入ればよい。」聖書のこの部分は遥かに最も占星術的な参照を明らかにさせる箇所の一つである。
水差しを持つ男は水がめ座、水を持つもので、常に水差しから水をかける男のイメージで描かれている。彼は双魚宮の次の時代を表わし、太陽(神の太陽)が双魚宮の時代(イエス)を離れたら「水がめ座の屋敷」に入り、まさに昼夜平分時の歳差の中で水がめ座:AD2150-4300が双魚座:AD1-2150の次となっているように。
イエスが単に双魚座:AD1-2150の時代が終わったら、水がめ座の時代が訪れると言っただけなのだ。
(意見)
「カタコンペの壁画には十字架がない」の理由はまさに上記のとおりでしょう。

キリスト教批判はよく書けています。その一部分を... (mn)
2010-09-28 14:26:58
キリスト教批判はよく書けています。その一部分を転載します;
>カタコンペにいたキリスト教徒たちは十字架を礼拝していなかった??
http://www.hm3.aitai.ne.jp/~makokato/cros_jesus.htm
十字架が礼拝の対象になった最古の文献記録としては、コンスタンティヌス大帝がローマへ進軍する時、天上より「これによりて勝て!」との声とともに金の十字架が示され、この十字架を押し立ててコンスタンティヌスが戦に勝利したという話と、コンスタンティヌス帝の母親へレナ(熱心なキリスト教徒)がエルサレムへ巡礼した際に、ゴルゴダの丘を探し当て、そこを掘ったらイエスの掛けられた十字架を発掘して「聖なる十字架」としてローマへ持ち帰った話あたりが挙げられる。もちろんヘレナに媚を売ったエルサレムの連中がでっち上げた偽者の十字架に決まっているのだが、このヘレナの持ち帰った十字架はその後一部はヴァチカンの宝物館に、また一部はこの十字架を祭るために作られたサンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂に聖遺物として大事に保管されている。この十字架の破片は「超弩級のお宝」としてローマ皇帝、あるいはローマ教皇からそのときそのときの政治的贈答品としてヨーロッパじゅうの権力者に下賜されたと見るべきだろう。必然的に十字架のステータスは高められなければならなくなる。十字架がキリスト教の主たる礼拝の対象となるのは、こうしてキリスト教が権力者と結びついていく時期に一致するのではないだろうか。
・カタコンベとは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%99
(意見)以上のように十字架が祭り上げられ今日に至っていると思う。
ここで僕がいいたいのはローマンカトリックは組織の拡大化、組織保持のために作られた宗教だ、ということです。
<Zeitgeist時代の精神>は下記のように分析している。
http://video.google.com/videoplay?docid=4197639845259809993&hl=ja#
>さて、私達は皆、時の終わりと世界の終結を耳にしたことがある。「ヨハネの黙示録」の中の漫画的描写と違いこの発想の主な出所は「マタイによる福音書」の28:20からでその中で、イエスが「私は世界の終結まで貴方と一緒にいる。」しかし「欽定訳聖書」の中の「世界」という訳は他に数多くの間違った翻訳の中の一つである。実際に使われた言葉は「Aeonイーオン」で、「時代」という意味である。「私は世界の終結まで貴方と一緒にいる」とは確かであるが、太陽が水がめ座の入る時には太陽の魚座の擬人化であるイエスの時代が終わるという意味である。時の終わりと世界の終結にまつわる全体の構想は間違って解釈された占星術的な寓話なのである。
このことを教えてあげよう。世界の終結がいずれ訪れると信じている約1億のアメリカ人に。
さらに、文学と占星術の混合体であるというイエスという人物はエジプトの太陽神ホルスの最も露骨な剽窃(=盗作)である。
例えば、エジプトのルクソール神殿の壁におよそ3500年前に彫られた奇跡の受胎、誕生、ホルスに対する崇拝などを描いたイメージがある。
絵はThawが処女イシスに彼女がホルスを受胎することを告ぐ所から始まり、聖なる精霊Nefが処女を受胎させ、そして処女からの誕生と崇拝が後を続く。これはイエスの奇跡の受胎とまったく同じ物語である。実際、エジプトの宗教とキリスト系宗教の文学的な類似は人を唖然させるほどである。そして剽窃(=盗作)は続けられていた。~
キリストの受難 (mn)
2010-09-28 14:44:30
キリストの受難
本当にこんなことをキリスト教徒は信じているのかしら?
http://www.hm3.aitai.ne.jp/~makokato/junan.htm
>「生身の人間が、槍に突かれた傷をもったまま復活した」などというおとぎ話が本当にあったかどうかなど、ちゃんと論じることが出来るはずである。(いや実際、復活など事実としてはありえない話なのだ。)
(意見)奇跡というべきではない。おとぎ話というべきなんです。
●ザガミは言った「神秘主義は非常に重要なものです。なぜなら人と人が直接顔を合わせて話をしたら、カトリック教会は崩壊するか、危険にさらされるからです。こうしたシンボルはそもそも秘密でありその秘密は守られるべきでした。」ところが今はインターネットでもどこでも秘密があばかれています。
(意見)インターネットでもいろいろ区別はできると思う。
原始キリスト教の発見 (mn)
2010-09-28 14:59:15
原始キリスト教の発見
http://www.hm3.aitai.ne.jp/~makokato/gnosis.htm
世界を誤って導いたローマンカトリックではなく、もし求めるなら原始キリスト教かもしれない。

<返事>
mn 様
コメント有り難うございました。

 捕捉資料をいつも有り難うございます。常に人間の智と意が加わり、ねじ曲げられることはよくあります。それに陰謀も加わると、邪教が一丁上がりですね。盲信、狂信は常にその落とし穴に気をつける必要がありますね。

飄平
殉教者の血がキリスト教の種 (mn)
2010-09-29 13:01:27
殉教者の血がキリスト教の種
「イエスの死後わずか20年余りのうちに、暴君ネロが目の敵にして虐殺に及ぶほどにキリスト教が広まったのはなぜか?」
http://www.hm3.aitai.ne.jp/~makokato/junkyou.htm
(背景)それはローマンカトリックが、イエス・キリストを神と認定するニカイア公会議/西暦325年以前のことでした;
めまいがするほど激しく乱れていた社会の中で暴君・皇帝ネロは「キリスト教徒はオレ様よりキリストを崇拝しているのは許せぬ!」と言って、「キリスト教徒は皆殺しだ!虐殺だ!」と命令したわけです。
ブログの作者は分析します;
皇帝の命令に従って当然の世の中で、
・>初期キリスト教徒たちの決然たる殉教の姿が道徳規範を失っていた古代ローマ人の心を著しく揺さぶるものだったことは間違いない。
・>こうして、腐敗したローマ社会を厭い、心正しく生きたいと願った庶民たちの間にキリスト教はほんのわずかの間に熱病のように広まっていったのだろう。
(意見)このようにしてローマンカトリックは社会をプロパガンダで覆っていったのだと思います。そしてニカイア公会議が西暦325年に開催しイエス・キリストを神と認定し、世の中を暗黒の渦に導いていったのだと思います。

水瓶座の時代はやってきているのかもしれません;
ユニバーサル通信より;
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/tomokop/univasal9.html
>11,jul,2009
>イルミナティは、宗教による民衆の洗脳支配をやめることにしました。
上記のイルミナティのメンバーの告白によると、キリスト教は、原始宗教などを混合して作られた宗教で、聖書の内容は嘘である。現在、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の一神教はわずか12人の指導者によって決定されている、とのこと。

キリスト教の創立者/コンスタンティヌス(EJ第... (mn)
2010-09-29 20:45:07
キリスト教の創立者/コンスタンティヌス(EJ第1895号)
http://www.intecjapan.com/blog/2009/02/post_686.html#c000487
いろいろ探ってきたがやはりそーだったのか!と感動。
なぜ、イエスは神になったのか(EJ第1894号) (mn)
2010-09-29 21:19:22
なぜ、イエスは神になったのか(EJ第1894号)
http://www.intecjapan.com/blog/2009/02/post_685.html
(意見)
ダ・ヴィンチ・コードは真実をついていると思う。
世の中のクリスチャンは、「ダ・ヴィンチ・コードなんて信じるな!神を冒涜するな!悪魔だ!」と言うかもしれないが、真実に目や耳をふさいではいけないのだよ。最終的に言いたいのは「世界を散々さわがせるローマンカトリックの神、宗教の神を尊重するのではなく、我々人間同士堂々と道の真ん中を平和に生きていこうじゃないか!」ということだ。

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