十死零生の作戦に坑命!
迎合的統率理念に勇気ある反論!
美化される「神風特攻隊」に警鐘・・・!
自爆攻撃が必ずしも美化出来る作戦ではない。
それは中東におけるテロリズムでも同じ事が言えるし、
実態は、幼き子供や婦女を騙しだまし用いた卑劣な攻撃手段である。
戦前、日本の
「生還率ゼロの命令をだす権利は指揮官と言えども持っていない」
「この世で罪人以外は自らの命を他人に命じられて失うことはおかしい」
「こんなむごい戦争があるか」と声を荒げて、抗弁した指揮官が居た。
その後、日本で自衛隊幹部を経て、82歳で永眠された。旧日本海軍航空隊指揮官美濃部正少佐である。
戦後、語っていいる。
戦後よく特攻戦法を批判する人がいるが、それは戦いの勝ち負けを度外視した、戦後の迎合的統率理念にすぎない。当時の軍籍に身を置いた者にとって負けてよ い戦法は論外である。不可能を可能とすべき代案なきかぎり特攻もまたやむをえないと今でも思う。戦いの厳しさはヒューマニズムで批判できるほど生易しいも のではない
ああいう愚かな作戦をなぜあみだしたか、私は今もそれを考えている・・・。
戦争は、常に悲惨である。
それは致し方がない戦争の局面といえども、特攻、自爆程悲惨なものもあるまい。
それを十死零生の作戦と呼んでいる。
つまり、『生還率ゼロの命令』を元とする作戦である。
それに敢然と異議を申し立てた軍人が存在したのである。
知らなかった。
と、同時に、勇気ある気概である。
ともすれば、迎合埋没する情勢の中に、
真に冷静な少数意見が通ったのである。
唯々諾々として、大勢に殉じた特攻隊員の無念を贖って余りある出来事である。
戦争は、
理性を麻痺させ、激情を煽る。
激情に果ては、狂気しかない。
そこに、一服の清涼感を与える数少ない史実である。
こうした日本人の存在したことを誇りに思うのは、一人ではあるまい。
芙蓉部隊、特攻せずPART1
芙蓉部隊、特攻せずPART2/2
芙蓉部隊(特攻拒否の異色集団)~戦争と平和
特攻作戦を提議した大西中将も又、美濃部正少佐の正論を無視できなかった。
壮絶な最期は、それを表して余りある。
戦争とは、常に悲惨である。
【感動】介錯を断り15時間苦しみ死んだ特攻隊生みの親の壮絶な最期
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