いやはや、これには驚いた!!
井口博士のブログに掲載されている・・・・・・・・・。
聞きしに勝るということは、このことである!!
確かにその意味では、『白人は人間ではない!』
日本人は『猿』だと言う。『猿』で結構だ。それでも『白人』よりも上等だ。
人間とは何か? このテーゼは、深淵だが、『白人は人間ではない!』というテーゼは、もうこれだけの動画で、十分だ。確定証拠? 少なくとも、状況証拠は十分だ。
今、こうした白人の日本攻撃に曝されていると認識するには、格好の動画である。これに関しては、仄聞(そくぶん=うわさ)に少なくはないが、目の前に晒されると納得がいく。
この手先になっている今の空き菅政権が、不条理なのは全て納得がいく。いわゆる、白人、アングロサクソン、アシュケナジーユダヤ、等々の支配層白人共(毛唐)は、根底に於いて人間ではないのだ。
簡略すれば、『十戒』を悉く破戒している種族である。『猿』よりも始末が悪い。『猿』には『十戒』はないが、放っておいても規(のり)を越えることはない。
しかし、ここで云う白人は、殺し、騙し、姦し、盗み、貪り、・・・・etc.全てを行う。彼には唯一の神は、サタンであろう。事実、教会でサタンを礼拝していると聞く。ノーベル賞という現代の偶像も作った。それを道具に、支配を奨める。安息日など、快楽の代償だ。
これが、日本の敵である。その傀儡が、空き菅だ。菅は姦だ。だから、素性が透けてみられて、ボロが出まくる。日本人は『猿』で結構。その『猿』でも、その猿智恵は、本質を見抜くが故に、裏切り者を見抜くのである。
武田先生も、大した先生だ。よくもまあ、これだけの真相を暴露して、マスメディアに干されないものだと、ほとほと感心する。あの豪放磊落の笑い飛ばしが、煙に巻いているのだろうけれども、見習うべき点は多い。
つくづく、人間ではない『白人』には、深刻に対応するべきではないと反省させられる。
ニコニコ嗤(わら)って、大いに茶化しながら、ずけずけと指摘するに限る。要領は、猛獣を手なずける調教師の心得を学(真似)ぶ必要がある。
彼らは、知らないでやらかしているやんちゃ坊主と同じで、自己中心性を脱し切れていない人間未満だと認識する必要があるだろう。まともに取り合って勝てる相手ではないと言うことだ。詳しくは、Kazumoto Iguchi's blog に行かれて、全貌をご覧頂くと良い。
欧米人が仕掛ける罠1 2
http://www.youtube.com/watch?v=7n9BFo_Nmj4&feature=player_embedded
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欧米人が仕掛ける罠2 2
http://www.youtube.com/watch?v=7Q4cCa5IiGw&feature=player_embedded#at=1609
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ストップ!アザラシ殺戮 パート1
http://www.youtube.com/watch?v=CaYgDyWP76E&feature=player_embedded
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中国人 (中国本土の人間) もかなり残酷でエゴイスティックなので、要注意です。そのうち白人と激しく衝突するかもしれません。黒幕は両者の性質を利用してことを進めているように思います。
日本人は人が良すぎます。いろんな論客にも問題の本質が見えていないように思います。
白人の中にも明快な階級、人種、系統での差別が存在すると思います。
そして、今現在の様々な紛争や問題を引き起こしているのはアシュケナージュユダヤ人と呼ばれる人々やアングロサクソンと呼ばれる人々、イギリスオランダを祖とする人々かと思われますが。。。
最近の鯨やイルカの問題など全く持って詭弁の一言ですね。
要は、アジア人特に小生意気な日本人をターゲットとしてそれらの生物より下等と見下していると思われます、日本人一人より鯨のほうが大事又は役に立つと。
<返事>
東北の田舎者 様
コメント有り難うございます。
初めまして!
白人全てという意味では無いのですが、総じてそう言うことになりますね。
飄平
(頭では事実から目を逸らすなと勇ましいことを思っているのですが)
随分前のことですが、
書店で中国について書かれた本(みすず書房)の
ページを繰っているとき、衝撃的な写真が目に飛び込んできたのです。
男が組まれた木に縛られ腕をノコギリで斬られている写真です。
片足はすでにありませんでした。
その言語を絶する残酷さもさることながらそれ以上に衝撃的だったのは、
すぐ近くで老人や子供がなんということもない表情で見ていたことです。
実は、このことをがけっぷち社長さんのブログに投稿したのです。
返事は、残酷ということではどの国も似たようなもので
中国人から見たら日本人のハラキリだって残酷にみえるわけで、というものでした。
ハラキリとは根本的に違うと思って少々ムッとしましたがw
社長さんの言わんとされることもよく分かりました。
こういうことを書いておられたと思います。
つまり、ことさらに差異を言い立てることは、日中の対立を煽りたい勢力に
利用されることになるのだということです。
tt様が「黒幕は両者の性質(の差異)を利用してことを進めているように思う」
と言われることと同じです。
(そういえば、日本もむかしは罪人の処刑を竹矢来ごしに見物している絵が
あったのを思い出しました。平然と見ていたかどうかは別にして。)
関口知宏さんが、中国の汽車の旅の感想をこう言っておられました。
出会った多くの中国人が「日本人も中国人もいっしょだ」と言ったと。
最初、両国はこんなに違うのになんで?と思ったそうですが
かれらが言いたかったのは「同じ人間ではないか」ということだったのでは
ないかということに思い至ったということでした。
しかし、わたしは、この「同じ人間ではないか」という視点は
人間観の基本だと思うと同時にそれだけに片寄ってはいけないと思います。
同時にその「違い」も車の両輪として常に頭に入れておかなくてはと思うのです。
なぜなら「みんな同じ人間」という考えは、とかく中途半端な平和主義や
博愛主義に陥って戦争を誘発する原因にもなりかねないからです。
両者の違いをないものにしたり、見ないのも同じ理由で危険な平和主義の
温床になるように思います。
収賄で逮捕された中国の役人が、賄賂などの役得がなければ
苦労して役人になった甲斐がないと言ったそうですが
日本の役人にとっても本音は同じなのでしょうが口にだして言わないだけでしょう。
また、就活の若い女性が「わたしは容姿がいいから」と言ったのには
吃驚しましたが、これも言うか言わないの違いです。
しかし、この違いは決して小さいことではなく
これを知らないと中国の社会も歴史も理解できないのではないでしょうか。
これは善悪、優劣の問題ではありません。
唐突ですが
東条英機が「生きて虜囚の辱めを受けず」と言ったのは
生きて虜囚になればどのような運命が待っているかを思って言ったのだと
聞いたことがありますが、真偽は分かりません。
アメリカは捕虜にたいしては残酷ではなかったという印象がありますが
実際は日本兵を人間とは思わないようなことをしていたと
なにかで読んだことがあります。
日本兵の頭蓋骨というものを戦利品として書斎に飾っていた例もありましたね。
<返事>
谷間の百合 様
コメント有り難うございます。
『白人』は、全ての白人を指して書いているのではありません。比喩です。それは当然、ご理解して頂いていると思います。
しかしながら、この視点はうまく隠蔽されています。強制収容所、人口削減、ホロコーストの概念は、すべて白人由来のものです。
ドイツ兵が、何十万も米軍捕虜収容所で死んでいます。多分、ダイヤモンドの現地掘削作業人は、窃盗を防ぐために、手首の切断です。
知る限り、白人支配は残酷極まりがない。これは歴史的事実でしょう。
飄平
記事を読まずに(ごめんなさい)書いたものですから
的外れなことを書いたかもしれません。
すべての白人を指すものではないとおっしゃることは
当然のことです。
たとえば韓国について批判的なことを言うと怒る人がいます。
「韓国にだっていい人はいる」と。当たり前のことです。
そんな当たり前のことを言って議論に水を差すひとが
わたしは苦手です。
先日、どこかのブログで、ロスチャイルドのゴム園で働いている
子供がノルマを達成できなかったということで手首を切り落とされた
写真を見ました。別の写真は大人が両手にいっぱい小さなバナナを
持っていると見えたのは手首から切り落とされた子供の手でした。
どうしてこんな残酷なことができるのでしょう。かれらはだれの
許しを得て、なんの資格があってそんなことをするのでしょう。
いまだに日本に対して捕虜虐待を言いつのって賠償を要求するオランダは
インドネシアでなにをしたでしょう。かれらレイシストは黄色人種を
人間だと思っていないからなんでも好き勝手にしたい放題したのです。
米軍捕虜収容所で死んだ何千、何万のドイツ兵は食事はおろか水さえ
与えられなかったそうですね。
わたしが繰り返し読む4・5冊の本の一冊が「ワルシャワ・ゲットー」
ですが、そこには人間の悪や残忍さや愚かさだけではなく、つまり
人間への絶望だけではなく、かすかな光ではありますが救いと希望が
仄見えるのです。だから、繰り返し読むのだと思います。
win 〈人を〉説きふせる,(考え・見方などに)つける,引き入れる,従わせる
lose 〈場所を〉(人に)あけ渡す;〈物を〉(人などに)取られる((to ...))
彼らの思想は、奪うか盗られるか、自分たちの考えを押しつけるか、どっちかなんですよね…。
言葉は文化。
日本語で勝つはせいぜい利益を得る、くらい…。
彼らのような植民地主義の、奪うの文字は一言もありません。
日本人が箸や日本語や日本文化を捨てることがあってはならない。
それは日本人をやめることに繋がる。
今、相撲や歌舞伎が叩かれてますが、グローバルを掲げている輩は、
日本の文化を捨てさせることが目的なんですよね…。
これを知っている日本人が、どのくらいいるのか…。嘆かわしい…。
文明は欲望で包まれている。
文化はエゴな彼らのいう、ロハスな生活、自然と共存している生活なのに、
それを捨てさせ、世界を文明という欲望で包もうとしている…。
ゴム園で働かされていたのは言うまでもなく
黒人の子供たちです。
「だれの許しを得てそういうことをするのか」
と言ったのは「神がそんなことをお許しになる
はずがない」という意味でした。
今も賠償を要求しているのはオランダという国
ではなく、オランダ人個人でした。
人間とも思っていない日本人の捕虜になった屈辱
と憤りは70年経っても薄れることがないのですね。
勝手に言わせておくしかありません。
アザラシ・・・これじゃあ中国の毛皮のこといえない!!!!
うそー><
それに・・・過去のこととはいえ・・・
蒸気機関の技術を身につけようとした人達全員処刑!?
紡績機をつくれるようになっちゃった人の手を切る!?
ひぃぃぃぃ@@
この現代のコペルニクスっていう番組はじめて知りました。
こういう番組で、政治のこともやって
植草さんとか番組もっちゃってどんどん発信したらいいのに。
ひとにはまったく連続性のないことを書いていたことを
後で気がついて恥ずかしくなります。
たとえば、「ワルシャワ・ゲットー」の本を持ちだしたのは
ドイツ兵から瞬時に連想したことですが、読むひとには分からないでしょう。
そこで、わたしが連想したドイツ兵のエピソードというのは、
移送を待つ駅で、疲労と恐怖で動けなくなったユダヤ人に
これも移動中の若いドイツ兵が目を留め声をかけ、そして
どこかへ走り去ってどうすればいいかを問い合わせてきて
それをユダヤ人に伝えたという、それだけのことです。
お金や労力をかけたわけでもない、だれにでもできる些細なことです。
しかし、他のだれもしなかったのです。
この素晴しい歴史の書に刻まれた名も無い若きドイツ兵の行為が
ドイツに栄光と誇りをもたらしたと言っては誇張に過ぎるでしょうか。
ひとりではなにもできないのも事実なら、ひとりによって国に名誉を
もたらし、なによりも人間性と人間の歴史に救済と信頼と希望の光を
灯します。
これを可能にしたのが他でもない、決して憎しみや偏見によって
目を曇らせてはならないという、ユダヤ人の歴史家である著者の
信念だったのです。
ドイツという言葉を聞くとこのエピソードが甦ります。
そして、なかの声が「おまえにそれができるか」と問うてくるのです。
ひろみ様
今回のマシュー君に書かれていることが、ひろみ様が「アメーバ理論」
でワクワクされる展開そのものではありませんか。
将棋は敵の駒を味方につける発想なのに対して、チェスは敵の駒を殺す発想です。
これが全てです。
小生が聞いたのはこうです。
産業革命で紡績業が盛えた英国は、それをインドに売りつけようとしたが、インドは手機職人が大勢居てしかも品質も良く、イギリスの機械織品など売れない。
そこで、イギリスは宗主国の威光を嵩に機織(はたおり)職人の手を片っ端から切り落としたという。