飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

不思議な少年!! その35

2009-05-10 14:19:08 | 物語

イエス、荒れた葡萄園と葡萄酒づくりの譬え!!


 何時の時代も、時の経過は真理を形式が覆い隠す。剪定の譬えは当を得ている。


 今まさに、この時代以上の真理の隠されている時期だ。末法の時代とも言う。

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<チベット仏教寺院さらもう一枚:記事に無関係>


 剪定が必要な時は、今の時代である。それも大がかりな剪定が必要である。 



 情報という名の雑草が世の中に蔓延っている。そして、多分に操作の加えられた情報の氾濫がそれである。真相が隠され、仮相が蔓延る。



カパビスツの祝祭。イエス広場で教える、人々驚く。荒れた葡萄園と葡萄酒づくりの譬え。憎侶たち彼の言葉を憤(いきどお)る。


 聖なるカパビスツの祝祭日に際し、仏教徒は群れをなして、この祭典を祝そうと集まって来た。インドの各方面から、僧侶や教師が来て説教した。しかしそれは美辞麗旬が多くて、真理でも何でもないことを飾りたてるばかりであった。


 

 イエスはむかしながらの広場に出て教えた。父母神のことを語り、人問同胞について語った。僧侶とすべての民衆は、その言葉にびっくりし、これは仏陀の再来ではないか、誰もこんなにやさしくしかも力づよく語れないだろうと言った。


 

 れからイエスは一つの警えを語った。

 

 「葡萄園は手をつけずに荒れたままで、蔓はのび放題、枝も葉も大きくなるばかりであった。葉はひろがり、蔓は日光をさえぎった。そしてすっぱい小さい葡萄がすこしばかりなっていた。

 そこに剪定(せんてい)者が来て、鋭利なナイフで枝をみんな切りとり、葉は一枚も残さず、後に残ったのは殆んど根と茎だけになりました。いそがしい隣人たちはこぞって見に来て、おどろいて剪定者に言った、


 『あんたは馬鹿な人だ、葡萄園は台なしだ。この荒れかたはどうしたの! きれいなものは何もない。収穫の時が来ても、収穫者の手に取るものは何もないじゃないか。』


 剪定者、『なんとでも勝手に考えなさい。収穫の時にまた来てごらん。』


 収穫の時が来た。忙しい隣人たちはまたやって来て、びっくりしました。

 葉のなかった茎が枝葉をのばし、葡萄の房が累々として地上に垂れさがっていました。収穫者は、毎日毎日喜んで醸造場に多量の葡萄を運んだ。


 見よ、主なる神の葡萄園を! 地上には人間の蔓がひろがっている。人々の派手な形式、儀式は枝で、言葉は葉だけです。それがあまりしげって、日光はもう人の心に届かない。果実は全くない。

 見よ、剪定者が来て、両匁(もろは)のナイフで、言葉の枝と葉を切りとります。残りはただ人間生活の赤裸々な茎ばかり。


 

 僧侶や見栄を張る人々は、剪定者を責めて、仕事をさせないようにする。彼らは人間生活の茎の美しさを見ず、果実の約束を見ない。やがて収穫の時期が来る。剪定者をけいべつした人々が来て、再び見てびっくりする。全く生気のなかったような人間の茎が、立派な実で低く垂れているのを見るから無理もありません。

 そして彼らは収穫が大変多いのを見て、収穫者の喜ぶ声を聞くでしょう。」


 僧侶たちはイエスの言葉を聞いて、不満やるせなかったが、民衆を恐れて彼に手出しをしなかった。 


【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】


第六部 インドでのイエスの生活と行動

第三十四章 カパビスツの祝祭。イエス広場で教える、人々驚く。荒れた葡萄園と葡萄酒づくりの譬え。憎侶たち彼の言葉を憤(いきどお)る。

1)聖なるカパビスツの祝祭日に際し、仏教徒は群れをなして、この祭典を祝そうと集まって来た。

2)インドの各方面から、僧侶や教師が来て説教した。しかしそれは美辞麗旬が多くて、真理でも何でもないことを飾りたてるばかりであった。

3)イエスはむかしながらの広場に出て教えた。父母神のことを語り、人問同胞について語った。

4)僧侶とすべての民衆は、その言葉にびっくりし、これは仏陀の再来ではないか、誰もこんなにやさしくしかも力づよく語れないだろうと言った。

5)れからイエスは一つの警えを語った。「葡萄園は手をつけずに荒れたままで、蔓はのび放題、枝も葉も大きくなるばかりであった。

6)葉はひろがり、蔓は日光をさえぎった。そしてすっぱい小さい葡萄がすこしばかりなっていた。

7)そこに剪定(せんてい)者が来て、鋭利なナイフで枝をみんな切りとり、葉は一枚も残さず、後に残ったのは殆んど根と茎だけになりました。

8)いそがしい隣人たちはこぞって見に来て、おどろいて剪定者に言った、『あんたは馬鹿な人だ、葡萄園は台なしだ。

9)この荒れかたはどうしたの! きれいなものは何もない。収穫の時が来ても、収穫者の手に取るものは何もないじゃないか。』

10)剪定者、『なんとでも勝手に考えなさい。収穫の時にまた来てごらん。』

11)収穫の時が来た。忙しい隣人たちはまたやって来て、びっくりしました。

12)葉のなかった茎が枝葉をのばし、葡萄の房が累々として地上に垂れさがっていました。

13)収穫者は、毎日毎日喜んで醸造場に多量の葡萄を運んだ。

14)見よ、主なる神の葡萄園を! 地上には人間の蔓がひろがっている。

15)人々の派手な形式、儀式は枝で、言葉は葉だけです。それがあまりしげって、日光はもう人の心に届かない。果実は全くない。

16)見よ、剪定者が来て、両匁(もろは)のナイフで、言葉の枝と葉を切りとります。

17)残りはただ人間生活の赤裸々な茎ばかり。

18)僧侶や見栄を張る人々は、剪定者を責めて、仕事をさせないようにする。

19)彼らは人間生活の茎の美しさを見ず、果実の約束を見ない。

20)やがて収穫の時期が来る。剪定者をけいべつした人々が来て、再び見てびっくりする。全く生気のなかったような人間の茎が、立派な実で低く垂れているのを見るから無理もありません。

21)そして彼らは収穫が大変多いのを見て、収穫者の喜ぶ声を聞くでしょう。」

22)僧侶たちはイエスの言葉を聞いて、不満やるせなかったが、民衆を恐れて彼に手出しをしなかった。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  

SECTION VI<o:p></o:p>

VAU<o:p></o:p>

Life and Works of Jesus in India

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CHAPTER 34<o:p></o:p>

The Jubilee in Kapivastu. Jesus teaches in the plaza and the people are astonished.
He relates the parable of the unkept vineyard and the vine dresser. The priests are angered by his words.
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IT was a gala day in sacred Kapivastu; a throng of Buddhist worshippers had met to celebrate a Jubilee.
2) And priests and masters from all parts of India were there; they taught; but they embellished little truth with many words.
3) And Jesus went into an ancient plaza and taught; he spoke of Father-Mother-God; he told about the brotherhood of life.
4) The priests and all the people were astounded at his words and said,
Is this not Buddha come again in flesh? No other one could speak with such simplicity and power.
5) And Jesus spoke a parable; he said,
There was a vineyard all unkept; the vines were high, the growth of leaves and branches great.
6) The leaves were broad and shut the sunlight from the vines; the grapes were sour, and few, and small.
7) The pruner came; with his sharp knife he cut off every branch, and not a leaf remained; just root and stalk, and nothing more.
8) The busy neighbors came with one accord and were amazed, and said to him who pruned, You foolish man! the vineyard is despoiled.
9) Such desolation! There is no beauty left, and when the harvest time shall come the gathers will find no fruit.
10) The pruner said, Content yourselves with what you think, and come again at harvest time and see.
11) And when the harvest time came on the busy neighbors came again; they were surprised.
12) The naked stalks had put forth branch and leaf, and heavy clusters of delicious grapes weighed every branch to earth.
13) The gatherers rejoiced as, day by day, they carried the rich fruitage to the press.
14) Behold the vineyard of the Lord! the earth is spread with human vines.
15) The gorgeous forms and rites of men are branches, and their words are leaves; and these have grown so great that sunlight can no longer reach the heart; there is no fruit.
16) Behold, the pruner comes, and with a two-edged knife he cuts away the branches and the leaves of words,
17) And naught is left but unclothed stalks of human life.
18) The priests and they of pompous show, rebuke the pruner, and would stay him in his work.
19) They see no beauty in the stalks of human life; no promises of fruit.
20) The harvest time will come and they who scorned the pruner will look on again and be amazed, for they will see the human stalks that seemed so lifeless, bending low with precious fruit.
21) And they will hear the harvesters rejoice, because the harvest is so great.
22) The priests were not well pleased with Jesus' words; but they rebuked him not; they feared the multitude.

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【続く】


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1 コメント

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>僧侶や見栄を張る人々は、剪定者を責めて、仕... ()
2009-05-11 10:59:47
>僧侶や見栄を張る人々は、剪定者を責めて、仕事をさせないようにする。
>彼らは人間生活の茎の美しさを見ず、果実の約束を見ない。
>やがて収穫の時期が来る。剪定者をけいべつした人々が来て、
>再び見てびっくりする。全く生気のなかったような人間の茎が、
>立派な実で低く垂れているのを見るから無理もありません。

>そして彼らは収穫が大変多いのを見て、収穫者の喜ぶ声を聞くでしょう。」
 唯、単に僧侶に対して喧嘩を売っているだけの話で意味がない。
 先祖が行った仕事で、金銀が出ない。しかし鉱物が存在している地下に彫ったら金銀が出る。だから昔の仕事を放り出さなければならないような例えを話した。それは長男の仕事の意味がまったく理解していないし、分業の意味もわかっていない。こういうのは、神の法とはいわない。社会の秩序を破壊する革命思想しか言わない。その人が生活が苦しくなり、お金を必要としている時に、服の内側に小金が入っていた例えで、土を彫らせるならば、人を助ける意味で意味ある言葉になり、その例えが正しくなるが。そこに時と場の関係の意味がある。
 イエス様の本質的な過ちは、それを意味しない所で、喧嘩を売るような話をした事である。彫る必要性がないときに金を渡して娯楽生活で先祖代々に、社会的な仕事を放棄するように導くならば、それは単なる極道の人間の言葉である事を覚えたほうがよい。

 それぐらい、社会を守り、家族を守る長男の族長の仕事は、社会にとって必要な仕事であると。それは仕事の中身で判断する内容でもあるが。


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