飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

NATOと未来のナチ司令部!

2016-06-29 19:38:58 | NWO

昨今、露呈し始めたNATOの動きの実体!
NATOがナチ残党を取り込んだ
軍事組織という事多くは知られていない・・・。
勿論、
第2次世界大戦後のアメリカは、
ペーパークリップ作戦でナチを抱き込んだ・・・!

 

勿論、

それはNWO(世界統一政府)への布石なのだが、

陰に陽に双頭世界戦略の姿である。

ナチスは対ソ反共政権であったが、

同時に民族浄化戦略で民族国家を標的にした。

その結果、

イスラエルというユダヤ人国家が誕生したのである。

皮肉というか、

単に、欧州からユダヤ人を追いだした結果である。


 

翻って、

ソビエト連邦と共産主義国家であるが、

国際金融資本が後押し、ユダヤ人が結集した結果成立した。

何とも不思議な国際政治である。

NATO(北大西洋条約機構)は反共防波堤として成立した。

その中核的勢力はナチ残党だというのである。


 

そう言えば、

符合する。

 

それについて巷間では囁かれてきた、

歴史の暗部であるが、

漸くメスが入れられるようになったのかもしれない。

確かに、

素人目においても、

現今のNATOの役割は何か? 解りかねるものがある。


 

共産主義ソ連は解体したのであるが、

その矛先はロシアに向かい、

ウクライナ紛争ではその片棒を担いでいる。

そして、

南に向かっては、

リビア・シリア・・・を暗に攻撃しているのは何故か?

いや、イスラム国を敵対しながら、

それすらも温存している・・・?!

何故か?

資料を参照しながら考えれば、

少しずつ見えてくる・・・・。

 

NATO & its future NAZI headquarters

Swastika Building(卍ビルディング)

 

 【転載開始】

米国
2016年06月28日 19:14(アップデート 2016年06月28日 23:00)

恐らく、それはデザインとして失敗作と言っていいだろう。しかし、対ロシア国境地域において、NATO軍部隊の数が増えているという現在の状況下では、とてもシンボリックに見える。

「あなた方及び将来の世代にとって」の新しいNATO本部の建物は、大きな反響を呼び起こした。建物は、独自のデザインにより、ナチス軍人のユニフォームの襟の所についている「稲妻」を不気味に思い起させるものになっている。

ナチスのシンボルが、NATOの大規模軍事演習「Anaconda War Games」に参加したドイツ軍部隊と共に、やってくる。この演習は、ナチス・ドイツによるソ連領内への宣戦布告なき侵入からちょうど75年目に当たる時期にポーランドで実施された。

米国にはこの他にもナチスのシンボルを彷彿させる建物がある。

Googleマップが登場した2000年代に、もう一つ興味深い発見があった。サンディエゴ湾(カリフォルニア州)にある米海軍兵学校の建物が、ハーケンクロイツ(鉤十字)と瓜二つだとして大きな議論を呼び、大勢の市民が建物の取り壊しを求めた。【転載終了】

 

 

【参考資料転載】


ウィンザー公夫妻をドイツで迎えるヒトラー

◆6月22日

 表向きヒトラーとナチスは欧米勢力とソ連によって打ち負かされたが、欧米勢力はもともとナチスとの深い関係を持つ者たちが多く、ナチス関係者を救済し、逆にナチスのさまざまな遺産を継承していると言われてきた。ヒットラーでさえ、実は生きて南米で余生を送ったと言われている。

 例えばアメリカの前大統領のジョージ・W・ブッシュの祖父であるプレスコット・ブッシュはヒトラー政権との関係が深く、ドイツに投資していたユニオン・バンキングの役員であった。

 この欧米のエリートたちはNATOを作ったが、これは対ソ連という意味合いが強かったが、今やそのソ連は崩壊しソ連中心のワルシャワ条約軍も存在しないが、NATOは健在で、しかもリビヤ空爆などその作戦範囲を世界的な規模に拡大する兆候をみせている。

 つまり、欧米NATO勢力はヒトラーのナチスの掲げた目標を継承し発展させようとしている、と見れるのだ。これが、6月14日・15日号の「シリア問題に対するロシアの警告」で、示したプーチンの警告につながるのである。

 これはまた伊勢白山道が引用した、「ヒトラーの予言」に関する記事内容からもうかがえる内容となる(2011年4月11日号)。ヒトラーは「たとえ表面はデモクラシーや社会主義の世であろうとも実質はナチズムが支配していよう。 デモクラシーの国も社会主義の国も、われわれナチスの兵器を競って使い、殺し合い、社会は私の望むとおり、強く支配する者と支配される多数者に分かれてい よう」と側近に語っているというが、ドイツの第三帝国はなくなってもナチスを欧米が継承していると見れば、ヒトラーの上記の予言は、ほぼ実現していること になろう。


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●出自がナチスのNATO:欧米はどうヒトラーの計画を実現したか? -1-
http://www.voltairenet.org/NATO-s-Nazi-Beginnings-How-the
【6月21日 by Robert S. Rodvik】

 誰がNATOに世界統治の権利を授けたのか? 著者は多くがヒトラーの支援者である欧米のエリートたちが、膨大な数のナチスの構成員たちを救出し、ロシアとの長年の戦いを継続させるべく、しかるべき位置を与えてきた点を明らかにしている。

  多くの作家がヒトラーが権力を握るための資金を米英のエリートたちが出資したことを、また彼らはヒトラーがその力を西方に向けるまではヒトラーに対する防 衛的動きを始めることはなかったことを、証拠書類で証明している。イギリスでは、しばしば政府と結託しているライト・クラブのエリートメンバーが、秘密裡 にユダヤや共産主義・社会主義に対するヒトラーの活動を支援していた。ウィンザー公爵は反ユダヤで有名でライトクラブのメンバーで、”背信王”として知ら れ、ヒトラーの友人であった。彼は王位を剥奪されたが、それはシンプソン夫人の問題のためではなく、イギリスの作戦書類をナチスに流していたことが分かっ たからだ。
 
 貴族階級というものは結局のところ下層階級と富を分かち合うということには決して同意しなかったし、ヒトラーも同様であり、ヨーロッパとロシアの征服戦略のプランAでの主要な目標は劣等民族の破壊であった。

  国際決済銀行はニューヨークの連邦準備銀行を含む欧米の中央銀行が1930年に共同で作ったものである。イングランド銀行のモンタギュー・ノーマン総裁は 全面的にヒトラーを支援し、1938年にナチスドイツがオーストリアを併合した時、オーストリアの殆どの金(ゴールド)は国際決済銀行が管理する地下金庫 に納められた。

 翌日にはナチスはプラハに入りチェコ国営銀行の理事らを人質(ひとじち)として捕え、4800万ドルに相当する準備金の 管理を譲渡するよう要請した。しかし既に金はロンドンの地下金庫に移されたと知らされて、ナチスはモンタギュー・ノーマンに連絡を取ると、彼はすぐさまド イツの戦争マシーンに必要な資金を送ったのである。

 アメリカはまだ世界の帝国主義勢力の指導的地位には至ってなかったが、エリートの多 くはイギリスのエリートたちと意識を同じくしていた。ヒトラーとナチス党の台頭に大きく寄与した者の一人はほかでもない、ジョージ・W・ブッシュの祖父で あり、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュの父であるプレスコット・ブッシュであった。

 これらの戦争犯罪人はアメリカの右翼の間では人気を保持しているが、これは迎合的なメディアが彼らの親ナチス的だった歴史を大部分の大衆から隠しているからだ。

  ヒトラーが台頭するに際して支援した者たちの中には、有名なユダヤ嫌いのヘンリー・フォードがいる。アメリカの産業界の中でナチスとつながる者たちのリス トはここには列記できないほど多いが、チャールズ・ハイアムの「敵勢力と貿易:ナチ・アメリカン・プロット1933-1949」に詳しい。 

 欧米の主要金融勢力はヒトラーの側で あり、ヒトラーの軍事力の育成に資金を供与していたのであり、ヒトラーが裏切ってイギリスを攻撃するまで連合国が一体となってナチスを打つことはなかっ た。この目標のために、聖ならざる同盟が結成された;欧米勢力とソ連との同盟だ。しかし、戦争が終結するずっと前に、イギリスとアメリカはその勢力をソ連 に向ける計画をしていた。このためにイギリスとアメリカは、同じくイギリスとアメリカ両政府の捜査官が探していたナチスの最も凶悪な戦争犯罪人らを救済 し、彼らをイギリスとアメリカのテロ機関に組み入れたのである。 -(2)に続く-



陸軍参謀本部東方外国軍課の課長を務めたラインハルト・ゲーレン

◆6月23日

  ナチス・ドイツの軍人が、欧米の諜報機関やNATOの中枢に組み込まれたため、ソ連に対抗する動きをナチスから継承して、ソ連を崩壊にまで追い込んだまで は良かったが、その後のロシアをも追い込み、最終的にはナチス的な少数の支配者が大衆に幻想を抱かせながら独裁制を敷くような世界を目指していることが明 らかになりつつある昨今の情勢は看過できない。

 アメリカのネオコン・グループのイデオローグであるレオ・シュトラウスの理論についてカルガリー大学のドルーリー教授は、「シュトラウスの見解によれば、権力者は大衆を永久にだまし続けることが重要である。それは、大衆は指導されることを必要としていて、何が善で何が悪であるかを彼らに告げる強力な指導者を必要としているからだ」と述べている。

 また、教授は、「シュトラウス式支配体制の安泰は、人民に敵の存在を信じこませられるかどうかに掛かっている」と解説しているが、リビヤのカダフィやシリアのアサド政権、そしてイランのアハマディネジャドなどに対する欧米メディアや為政者の姿勢は、まさに「敵」の存在を大衆に信じ込ませようとする姿であろう。

 「嘘も百篇繰り返せば本当になる」というナチスの宣伝相の戦術を継承した欧米NATOの情報戦・心理戦の餌食になっているばかりでは、ついに彼らの独裁的支配を可能にさせてしまうだろう。

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●出自がナチスのNATO:欧米はどうヒトラーの計画を実行したか? -2-
http://www.voltairenet.org/NATO-s-Nazi-Beginnings-How-the
【6月21日 by Robert S. Rodvik】

  マイケル・マクリントックは以下のように書いている:国連創設直後、アメリカのリーダーたちは公式に称賛したこの新しい規則を破ることが必要だと分かっ た。それをするため、隠密作戦のための巨大な機関を含む、規則破りに対する責任を逃れることができるようにできる新しいシステムを開発した。また非常な努 力を注いで、アメリカの行動は、それがどのような性質のものであれ、国際法にかなっているかのように装うようにさせたのである。

 同時に欧米は第二次世界大戦の同盟国に敵対する秘密の活動を計画していたので、NATOとして知られるテログループを形成した。これはほとんどそっくりそのままナチスの事業団である。例えばナチスのラインハルト・ゲーレンはOKW(国防軍最高司令部)でロシア課(東方外国軍課)の課長で、「ユダヤ人問題の最終的解決」におけるコンサルタントであったが、秘密裡にアメリカに連れて行かれ、ソ連に関する大量の秘密情報を渡すとともに、将来CIAとなる機関の対ロシア組織を作った。

 ゲーレンはその後戦後のドイツに戻り、ドイツの諜報機関であるBND(ドイツ連邦情報局)の長官に任命された。要するに、二つの対ロシア諜報機関が活動していたわけで、両者とも同じ目的を持っていた:ソ連と共産主義の撲滅である。

 数千でなければ数百人のかつてのナチス要員が 冷戦勃発のため、米英、そしてカナダのための仕事の新しい人生を手にしたのであり、今や大量殺戮者がヒトラーが台頭するよう支援した同じ領主のための政策 決定のために用いられるようになった。かつてのナチスの要員がまた活動を始めたことで、奴隷化のための命令を出す世界的資本家の権利に挑戦するソ連を抑え 込むために、あらゆる汚い手段が使用されるようになった。

 西ドイツでは元ナチス要員だったアデナウアー首相が国政を担当するようになり、1954年にNATOに参加した。ゲーレンは後でCIA長官となる親ナチだったアレン・ダラスと国務長官のジョン・フォスター・ダレスと連絡を取っていた。まもなくNATOはかつてのナチス要員らをこのNATOの役職に就かせ始めたのである。

 例えばハンス・スパイデルは1957年、中央ヨーロッパ陸軍(AFCENT)総司令官になった。フリードリヒ・グッゲンベルガーは重要なワシントンのNATO軍事委員会に加わり、アドルフ・ホイジンガー(ヒトラーのOKWのゲーレンの上司)はその議長になった。欧州連合軍最高司令部(SHAPE)では、ゲーレンはナチの協力者の何人かを重要ポストに就かせた。その中には、ヘンニッヒ・シュトリュンペル大佐がいる。彼はSHAPEの副参謀長のイギリス人のチャールズ・トラバー少将の副官となった。ハインツ・コラークラウス大佐は、スパイデルのAFCENTの兵站局長になった。ゲーレンの多くの部下がしばらくするとNATOに加わり、その政策を決定していくようになった。

 同じナチスがNATOとCIAに組み込まれることで、ゲーレンのかつてのナチの諜報機関の拡大版になり、新(世界)秩序はベルリンの国会議事堂からペンタゴンとCIAのあるヴァージニア州ラングレーに移されたのだ。

  対ソ連戦計画でアメリカはゲッベルスの宣伝省の価値を理解し、そこでの教訓を世界最高の洗練されたプロパガンダ・ネットワークに生かした。あらゆる欧米の 戦争は、「民主主義のための戦争」、「平和のための戦争」、「大義のための戦争」、「人道のための戦争」などの幻想的タイトルが付けられた。イギリスとカ ナダを運営するエリートが作った組織は同じ重要な部分をすぐ採用した。 

 米・英・ナチスの新(世界)秩序のためのこれらのプロパガンダ戦の要素の中の二つは、ラジオ自由ヨーロッパと、ラジオ・リバティーである。両方ともゲーレンのかつてのナチス要員がスタッフとして入りCIAの資金で設立された。

  これらのナチの大量殺戮者らは、ハンガリー局を作り、ハンガリー内の親ナチ地下グループにCIAと共に武器と支援を供給し、ハンガリー動乱を引き起こし た。これはソ連が鎮圧した。このエピソードの主要な問題は死傷者ではなく、「悪の帝国」は倒されるべきであるというプロパガンダの価値の問題なのだ。エバーハルト・タウベルトはナチ党に1931年に入り、まもなくシュトルム・フューラーの階級に昇進しゲッベルスの 宣伝省に入った。戦後、タウベルトは南アフリカへ渡り、人種差別主義のシステム作りに忙しくしているヨハネスブルクで力を持っていたネオ・ナチの中にあっ て安らぐ時間を持てた。1950年、彼はドイツに帰国し、昔のナチ時代の友人であるラインハルト・ゲーレンにくっついてBND(ドイツ連邦情報局)のメン バーになった。彼の新しいBND・CIAポストで、タウベルトはCIAが支援する「平和と自由のための全国協会」の議長となり、国防相である元ナチ党員のフランツ・ヨセフ・シュトラウスのアドバイザーになり、それからシュトラウスによってNATOに配属され、「心理戦局」のアドバイザーになった。

 NATOは1980年代、ファシストの右翼勢力を権力の座に就かせ、「安定」を国家にもたらすための「緊張戦略」を生み出すために、イタリアで起きたテロリスト爆弾事件に深く関与していた。この計画は、オルディネ・ヌオヴォのステファノ・デレ・チアイエのような極右のテロリストを利用して、公共の場所に爆弾を仕掛け数百人を殺したのである。これにゲーレンのNATO・ナチのテロリストが実行時に支援したのである。ヨーロッパではメディアが共謀したので、うまく隠されてきたが、アメリカではそのようなことは殆どなかった。

 これらの者たちとその追従者らは、NATOを運営している人々であり、欧米の傀儡的なリーダーたちのおかげで人類の守護者のように装いながら、今や世界中でやりたい放題にやっているのである。【参考資料終了】