しかし、言わせて頂ければ・・・
『幻論』である!
もっと言わせて頂ければ、
公理は真実ではない!
特定の条件下での真実である!
であるから、全てには同意出来ない。
しかし、日頃から尊敬申し上げている飯山大先生であるから、畏れ多くも苦言を申し上げたい思いがある。
それは、今般のハマッキー論である。その発端になった問題には立ち入るつもりはないが、大きく意見を異にするのである。
そもそも、『ハマッキー』なる言辞は、ロケットさんの造語であって、一般言辞ではないと認識している。ちなみに浜木友穂左衛門というのもハマッキーとUHOを掛け合わせた、ロケットさん独自のユーモアに富んだ呼び名である。
そのユーモアセンスと、心眼に、私は敬服している。決して、洗脳されているのではない。
そのハマッキーなる呼称を用いて、言論に参加する事自体、勝負は見えているのである。単なる、嫉妬を秘めた言いがかりに過ぎないと感じるのは、私だけではあるまい。
言論をきっちりと進めるなら、自らに定義を明らかに出来る言辞を使用すべきである。パテント盗用とまでは言わないが、そこで既に負けている。
一般言辞、葉巻型宇宙母船と用いるとしよう。これは広く流布している言辞である。ハマッキーとは、この事を指している。
では、葉巻型宇宙母船が、どこが詐欺であろう。それを言うなら、雑誌『ニュートン』を相手に言論を挑むべきではないか。あるいは、さらに広く、その相手は世の中に幾千・幾百であろう。
膨大な資料を読みあさった飯山さんであれば、それが出来るはずである。
それをしないのは何故か?
理由は分からないが、別に訳がある。そう考えざるを得ないのである。それが那辺にあるかは知らないが、忖度は出来る。しかし、忖度で議論にはならないから、それをしないが、ここ一年以内に登場したにすぎない『ハマッキー』に対する攻撃は、異常である。
この事件の背景にある調査は、概ね、終了した。
その事について、告訴の問題も孕むので、詳しくはここでは書かないが、動機は知れないが、一つの刑事事件が起こったのである。それを端緒に、ウソ情報が流された。
それを真に受けたのは、飯山さん、あなたである。
私は、そう結論づけている。少し、大人げないとは言えないか? そう思っているのである。
それは、畏れ多くも飯山さんのことを、かつて『大人』と評した事があるから、あえて書くのである。そして、陰ながら尊敬申し上げている。その大筋は、今も、全く変わらない。
人は、心魂を持ってそう断じた事は、変えたくないものである。信じたものを信じ切るのは、心魂の問題で、少なくとも私の信念だ。信ずる者に裏切られた場合、裏切った者が悪いのではない。信じ切った者の心眼に狂いがあったのであって、反省すべき事なのである。
責めても始まらない。弾劾しても始まらないのである。
それは翻って、自らの恥をさらす事になる。私は、そう感じた。
不思議な事はあるもので、何の情報もなかったが、察知したのは、先月の末頃であった。理由は良く知れない。
そして、
10月12日の夜、と言っても朝方であるが、夢枕に立ったのである。だれが立ったか、それは言わないでおこう。目覚めて、しばらく考えた。見過ごす事は出来ぬ。
そう考えて、自らを鼓舞した次第であった。それから委細調査を開始した。そして、記事にする事を決めた。
詳細は、書かないから分かりにくいであろうが、事実である。今でも、それ以外、何故、そう言う思いに至ったかは分からない。
最後に、
飯山さんの『ハマッキー論』に同意出来ない論拠を書こう。
飯山さんも読まれたと書いておられるH・G・ウェルズは巷間に囁かれているような闇の代理人でも何でもない。偉大なるSF作家である。同時に、予言者でもある。霊能気質も持ち合わせた人物である。
今の地球人の想像するETV(UFO)は、存在しないという飯山説には、一部、同意するが、H・G・ウェルズを引き合いに出す話なら、それは完全に見込み違いである。彼は1941年没であるが、2発の原発投下を予言し、星間旅行なるものをSFフィクションに書いている。
彼こそ地球人である。
星間旅行、もっと大きくは星雲旅行を予知しているのである。
そして、彼以外にもその事を想定している、あるいは思い描いている者も地球人には多い。誰とは書かないが、その事は事実である。にも関わらず、転載記事の表題になるような言辞は、自己矛盾であり、調査不足、あるいは認識不足と断定する。
又、
ここでは、詳細を割愛するが、先にも書いたように、パラダイムシフトがあれば、容易に星間旅行・星雲旅行が可能となるのである。
『霊的超生命体』あるいは、『霊的超生命体原理』と表明するなら、それには完全に同意する。しかし、何故、それを言うなら、ハマッキー批判を弄するかが、全く、理解出来ない。
おそらく、書きはしたが、その事についての追求が疎かだからであろう。
霊的超生命体というなら、他ならぬ人間がそうではないのか? そこに至らぬ思考経路が可笑しい。それとも、宇宙人と地球人は別物との二元論を弄しているのであろうか? そもそもそんな話は二元論でも何でもないのであるが、苦し紛れの戯れ言か?
地球人も宇宙人の一つである。
そして、
霊的生命体である。それに超が付くのは何か? 私に言わせてみれば、単なる思考停止に過ぎない。人は分からない事には、得てして、超を付けて、逃げるのである。超能力然り、超自然現象、超人・・・等々である。
幽霊は存在する。これも然り然りである。決して、『正体見たり、枯れ尾花』などと茶化してはいけない。居るのか、居ないのか、はっきりさせなければ、言論とは言えない。
畏れ多くも、本当に最後となるが、この機会である。書いておこう。
口は悪いが、心は綺麗だ。等との一般社会通念上の言い回しがある。これはウソである。口汚く罵る者は、心は汚いのである。少なくとも、その言葉を発する時の心は汚い。心が汚くなければ、言葉にはならぬものである。
言霊とは、そういうものである。又、霊的生命体である人間の発する言葉は、常に言霊である。
以上、畏れ多くも飯山大先生に、異論(苦言)を申し上げる。敬意を抱くが故に、異論を申し上げる。
【転載開始】◆2013/10/16(水) 『飯山一郎のUFO幻論』
飯山 一郎
鷲は50年以上も前に『宇宙戦争』 (H・G・ウェルズ)を読んでから、UFOや宇宙人の存在について、50年間も考え続けてきた。
この50有余年、膨大な資料を読みあさっては米国や中国のUFOの専門家と実際に会ったりして議論を重ねてきた。
20年前、鷲は、中国の西安郊外の奥深い山あいの谷間にUFOが着陸するのを目撃したことがある。
18年前には、やはり西安郊外の砂漠で、宇宙人と話をし、握手をして別れたことがあった。
後日、中国のUFOの専門家に詳細を報告したら、そのUFOは軍の特殊な気球だ!と嗤われた…。
砂漠で会った身長1m20cmくらいの人間に似た奇妙な宇宙人は、シャオ族とかという砂漠の民に間違いない!と言われた…。
.
鷲は、宇宙人の存在を否定しない。
地球に住む人間(地球人)に似た宇宙人、しかも地球人よりも遥かに高度な文明をきずいた宇宙人も存在するかも知れない。
地球人が考える「生命」(有機複合体)とは全く違う原理によって生命が誕生し、地球人の想像を超えた「霊的超生命原理」で進化した宇宙人が存在する可能性だってある。
いや、「霊的超生命体」としての宇宙人! この可能性のほうが大きいかもしれない。
.
いま、確実に言えることは…、
地球人が考える宇宙人。「生命」(有機複合体)をもった地球人に似た宇宙人は、地球までは絶対に到達できない!これは有機生物学の公理だ。
地球人に生命原理が似た有機性宇宙人の存在は、地球から数十万光年以内には存在しないことが分かっている。
はるか宇宙の彼方から有機性宇宙人が地球に到達するためには、数十万年以上も前に彼らの星を出発しなければならない…。
その頃、数十万年以上も前の地球には、今の地球人は存在しなかった…。
ところで…、
はるか宇宙の彼方からUFOに乗って宇宙人が地球に到達するためには、地球人の想像を超えた原理で飛ぶUFOが必要だ。
しかも光速を超える速度で飛ぶUFO! これが必要だ。
あるいは、テレポーテーション(瞬間移動)とか、超能力移動体、または心霊的な原理で飛ぶUFOが必要だし…、いや! 心霊UFOみたいな豚でもない超UFOが、すでに地球の上空だけでなく、地球人の脳や心のなかを自由自在に飛翔しているかも知れない!
しかし! そういうスーパーUFOは、姿もないし形もない。であるから地球人には絶対に見えない。そうでなければ、数十万光年も先の宇宙の彼方から地球にやって来ることなど絶対に不可能だ。
つまり、地球人が考える、あるいは地球人が見た!という円盤型や葉巻き型のハマッキーなんていうUFOは、ようするに地球人の妄想の産物なのだ。
♪ 幽霊の 正体見たり 枯れ尾花
あるいは、
♪ UFOの 正体見たり ステルス機
鼠~こと!