TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

かざはやの里のアジサイその3

2024年07月02日 | 旅日記

6月21日、かざはやの里を散策したときの続きです。池があった場所から右側方向の小高い丘の上まで緩やかな坂道を上がってみました。

丘の上にもアジサイがたくさん咲いてました。

この付近を歩いていたときは午後3時半頃から午後4時前頃なのですが、日差しを受けると相当蒸し暑かった時間帯でした。

ところどころにベンチや椅子が置かれていて休憩できるようになっていました。

コスモスがところどころで咲いていました。

東屋がところどころにありました。

小高い丘の上から見渡すとこんな風に見えました。

「お帰り道」と書かれた表示板が立てられていた方向に下って行くと池があった場所まで辿り着くことができました。

途中の通路脇にもコスモスが咲いていました。

紫陽花とコスモスのコラボ撮影スポットがあちこちでありました。

池の付近まで降りて来たら、駐車場の出口付近まで送っていただけるカートに空席があったので乗せていただきました。歩かないでよかったので助かりました。バスの出発時間の約10分前に駐車場まで戻ってきました。カートに乗せていただいたおかげです。定刻通り午後4時20分に駐車場を出発し、高速を通って帰路に着きました。

途中、土山のサービスエリアでトイレ休憩がありました。

土山たぬきがお出迎えしてくれていました。

こちらの売店で野田牧場のプリンを買って帰りました。

午後7時過ぎにJR天王寺駅前に戻って来ました。JR天王寺駅から大阪環状線を利用して午後8時前に帰宅しました。今回の日帰バス旅行は咲き誇るアジサイが見事だったかざはやの里で色とりどりのアジサイの風景に癒されてきました。信楽焼のたぬきにも久々に会えましたし、関ドライブインでお土産にいただいてきたトマトやキュウリやトウモロコシなどのお野菜が地のもので新鮮で美味しくいただくことができたのもよかったです。近場の日帰り旅もいいものだなあと思った旅になりました。

 

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映画を見終えた後で思ったこと

2024年07月02日 | ひとりごと

映画『風の奏での君へ』を見終えた後、もう後少ししか生きられないとわかったときに、もう一度見たい場所はどこだろうと考えてみました。もう長く生きられないとわかったときにどこかに行こうとする気力が残っているのかよくわかりませんが、もし行く気力があれば、北海道を回って昔旅したときの風景に癒されて来たいです。また若いときに何度も旅した長野県で水芭蕉やニッコウキスゲなどの花々が咲いている時期だったら最期にもう一度見たいと思いました。実現しても元気になれるかどうかはわかりませんが、最期を迎えるときに穏やかな気持ちを持てるのかなあとも思いました。

映画『明日を綴る写真館』で、最初のほうのシーンで佐藤浩市さんが演じておられた牧が写真館に遺影を撮影しに来られるシーンがありました。奥さんに先立たれ、奥さんの葬儀の遺影の写真で笑顔の写真がほとんどなかったことがきっかけで笑顔の遺影を撮影してもらおうとされていたシーンでした。遺影の写真は父の弟に当たる叔父が亡くなったときにほとんど見つからず、たばこを購入するときに要った写真だけが亡くなる少し前の写真として残っていたのでその写真を遺影にしたことがありました。父と母は旅行に行ったときの写真で普段の表情と同じだった写真が遺影になりました。母は東北に旅行に行ったときの写真、父は富士山が見える芝桜まつりに行ったときの写真が遺影写真になりました。父と母は生前この写真を遺影写真にしてと依頼されたこともなく、もし万一何かあったときのことも何も聞いてませんでした。先に家族に遺影や何かあったときのことを頼んでおくことがいい場合もあるかなあと思いますが、人それぞれなのかもと思います。自分の場合は葬儀もないだろうし、遺影も必要ないからあっさりしたものです。友達は私が友達を撮影した中之島バラ園の写真を遺影にしようと思ってると先日言われてたのを聞きました。遺影の写真は故人の普段の表情が一番垣間見える写真がいいかもしれないですね。友達は好きなバラの花々に囲まれた遺影がいいと思われたのでしょうか?私だったらチューリップかな?でもチューリップが咲き誇る場所で自分自身を撮影したとことがなかったなあと思います。遺影は故人が生前の一時代の姿ですが、写真はその一時代の姿を遺してくれているのでたくさん撮っておくと遺影には困らないですね。

映画『九十歳。何がめでたい』を見終えて思ったことは、いくつになってもそれぞれの人ができることが必ずあるということを実感しました。この映画ではいろいろな賞を取られた佐藤愛子さんが作家として文章で人を元気にさせたり共感を生み出したりと多くの人々の役立つことに結び付けていろいろなものを届けておられたのが印象的でした。その人その人に応じた伝えるものが違っていることはそれでいいと思いますし、生きて来られた上で培って来られたいろいろなものがいろいろな形で人々に役立つような生き方を提示しておられたことはステキだなあと思いました。いくつになっても人それぞれ届けられるものがあるはずというのを忘れないで生きて行くことが大事なことだろうと思いました。

映画の予告編で若い世代の方々向けの映画の予告編がたくさん流れますが、年配の方々が見たいと思われる映画をこれからもっと増やして行くのに力を入れたらもっと映画館に足を運ぶ人々が増えるのではないのかなとこの映画が満席で超人気だったのを見るとそう思いました。

歳を重ねて身近な身内が亡くなって行くとどうも自分自身の最期のことを考えることが日々多くなりました。もうすぐかもしれないことを早めの準備しておくことも大事かと思いますが、準備していてもしていなくてもいつかは誰でも最期がやってくるという事実を受け止め、そのことばかりを考えず『九十歳。何がめでたい』の映画の中で生き生きとエネルギッシュで前向きな生き方が示されていたように人生を楽しく暮らして行くことが一番大事なことなのでしょうと改めて考え直しました。

 

 

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よく降りました

2024年07月02日 | ひとりごと

7月最初の日だった昨日・7月1日、大阪市内は雨の7月のスタートになりました。日中少し止んでいた時間帯もありましたが、晩遅くから明け方まで長い間雨量も多かった気がします。午前中、雨が降っていた中、近所のスーパーに買い物に行きました。いつも月曜日は10パー引きなので大勢のお客さんで混雑しますが、雨だったので、いつもの月曜日ほど混んでませんでした。

自宅を出て生ごみを家の前に出そうとして玄関先のシャッターを開けたとき、玄関先の我が家のテントの下で雨宿りして合羽を着ようとされていた年配の女性の方がおられてちょっとびっくり。病院から自宅まで戻られると言われていました。杖を付いておられたようだったので雨の中気を付けてお帰りくださいねとお声掛けしました。父も母もこういう場面に遭遇したらきっと同じことを言っていただろうと思いました。いつのまにか父や母と同じようなことを言ってましたね。家の前のテントが役に立ってよかったよと思った出来事でしたね。

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