TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

山下清展

2022年08月28日 | 旅日記

8月27日、神戸ファッション美術館で開催されていた山下清展に行ってきました。JRで住吉駅で下車、六甲ライナーに乗り換えて約9分、アイランドセンター駅で下車、そこから歩いてすぐのところにファッション美術館はありました。この日は開催日終了の前日で土曜日だったせいもあってか、入口のチケット売場ではすでにたくさんの方々が並んでおられました。その列に少し並んで、入場料の1000円を支払い、午前10時10分くらいに入場できました。

生誕100年記念のこの展覧会は少年の頃の蝶々や昆虫などの貴重な貼絵、有名な長岡の花火などの貼絵、油彩、水彩画、ペン画、陶磁器の絵付け作品、愛用品などが展示されていて見ごたえがありました。大正11年、浅草に生まれ、49歳で亡くなった山下清さんの最期の言葉は「今年の花火見物はどこに行こうかな」だったそうです。長岡の花火の貼絵は何回か展覧会で見たことがあったけれど、この日に見た長岡の花火の作品は今まで見た中で一番素晴らしいと思いました。この作品の横に、「みんなが爆弾ばかり作らないできれいな花火ばかり作っていたらきっと戦争なんて起きなかったんだな」と山下清さんの言葉が添えられていました。この作品の素晴らしさと添えられていたこの言葉が時を超えて伝わって心に響いたからだったのかもしれないです。この日の晩、3年ぶりに、淀川の花火大会が淀川の河川敷で開催されました。JRで淀川の河川敷の側を通ったときに、川沿いに観覧席などがすでに準備されていたのを見掛けました。この場所から花火を打ち上げるんだなあと思って、晩にテレビ中継されていた放送を見てみました。また、秋田県の大曲の花火大会も同じようにこの日の晩に3年ぶりに開催されていて、この模様もテレビで放送されていたのをテレビの2画面機能を利用して、一度に2つの花火を同じ画面で観賞しました。この長岡の花火に添えられていた山下清さんの言葉を思い出しながらテレビの中でも「平和でなければ花火は打ち上げられません。」とコメントされていたのを聞くと、みんなで花火を見ることは平和に繋がっていたんだなあとつくづく思いました。淀川は自宅から遠いので近所からは高いビルの上からしか見えませんが花火が打ち上がっていた音と上空を飛び回っていたヘリコプターの音だけは生で聞こえていました。

美術展を見学した後、スイスのインターラーケンとチューリップの絵が描かれていたファイルを買って帰りました。

山下清さんが少年期に描かれていた絵は母が丁度生まれた年に描かれていたものが多かったのに気が付きました。また、パリやオランダやスイスなどを旅されていたのが自分の生まれた年に訪問されて描かれていたのが多かったのにも気が付きました。この展覧会では、それまでに訪れたことがあった展覧会で見たことがあった代表的な貼絵などの作品のほかに、今まで見たことがなかった作品の数々を見ることができました。その数々の作品の素晴らしさも印象的でしたが、パリの凱旋門の作品の添えられていた言葉や自画像に添えられていたゴッホの自画像と比べて書かれていた言葉などから人柄や独特のものの見方が垣間見れたことも印象的だった展覧会でした。行ってみてよかったと思いました。この日は館内は結構混んでいたので、もっと早く訪問したらよかったなあとも思いました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハウ

2022年08月28日 | 映画鑑賞日記

8月24日、アベノアポロシネマで映画『ハウ』を観賞してきました。愛くるしくて白くてふわふわした大型犬の姿がとてもかわいくて優しくてその姿に魅了された映画でした。

婚約者から結婚できないと告げられた市役所に勤める赤西民夫(田中圭さん)のシーンから始まったこの物語、ある日、結婚破棄されたのを何とか励ましたいと市役所の上司から飼い主に捨てられた保護犬を飼ってみないかと半強制的に勧められ、最初はしぶしぶ飼うことになってしまった民夫でした。ワンと鳴くことができなくて「ハゥ」としか鳴けなかった白くてふわふわしたその犬に民夫は「ハウ」と名付けます。その愛くるしさにメロメロになり、家族のようななくてはならない掛け替えのない存在になって行きました。そんなある日、ハウが行方不明になってしまいます。なすべき手立てをすべて駆使ししていなくなってしまったハウを探しまくる民夫でしたが、見つけることはできませんでした。事故死した白い大型犬が見つかっていたのを知り、それがハウだったかもしれない、死んでしまったのかもしれないと受け止めてしまった民夫でもありました。けれど、ハウは生きていました。それもそのはず、民夫が住んでいた横浜から遠く離れた東北の地まで運ばれて行ってしまっていたのです。いろいろな映画ではよく見掛ける同じようなシチュエーションでした。民夫の元に帰りたいけれど、遠く離れた土地で、東日本大震災で福島県の自宅がある故郷から違う場所に移り住み震災の風評被害に悩みながら生活しないといけなかった女子中学生麻衣(長澤樹さん)、シャッター通りになってしまっていた商店街で夫を先に亡くし、傘屋さんを営む女性志津(宮本信子さん)、男性のDVから逃れるために修道院で保護されていた女性めぐみ(モトーラ世理奈さん)たちにハウは遭遇し、彼女たちにそっと優しく寄り添うことで自然に彼女たちを癒していたハウの姿が描かれていました。もう一度でいいから会いたいとお互い願っていた民夫とハウは果たして会えたのかこの映画のラストは少し切なかったですね。

この映画の中で、印象に残ったことがいくつかあったので最後に取り上げてみました。

最初のほうのシーンで、民夫は、婚約者に一方的に婚約を破棄されてしまうシーンがありました。言いたいことがいっぱいあったはずなのに、何も言えなかった民夫はちょっと気が弱い青年とナレーターの石田ゆり子さんが説明されていたけれど、人がよい優しい青年なのだなあと思いました。気が弱そうに見えるけれど、仕返ししようなどと考えることもない善良で優しい人柄が伝わってきました。こんな人柄は人徳がある素敵な人だなあと思いました。

ハウと生活するようになって、ツィッターを更新しながら、フォローワーの見ず知らずの方々と言葉だけを通して会話をしているシーンが描かれていました。見ず知らずの方々とのやり取りしている言葉を通して癒されていた民夫が描かれていました。市役所に勤める民夫の同僚足立桃子(池田イライザさん)は職場で同じ部署にいる仲間でした。生き方がへたですねと言われながらも、桃子に気遣われながらも励まされていた民夫でもありました。彼女が長年飼っていた猫が大変な状況になっていたとき、桃子がフォロワーの一人で励ましてくれていたことを後で知るのでした。

民夫やハウが遭遇した女性たちはハウから知らず知らずのうちに元気をもらったり癒されていたのが全編を通して自然に伝わってきたことも印象的でした。見ず知らずの人々が投げ掛けていた励ましの言葉は言葉の行間を通してその方の温かさや優しさがちゃんと伝わっていましたし、ハウが民夫や偶然出会った女性たちに寄り添って取っていた行動からは言葉を介さなくてもハウの温かさや優しさがちゃんと伝わってきました。会ったことがない人々に言葉を通して励まされることとハウの取った行動から励まされることはどちらも同じで、目に見えないけれど、そこには悲しみや孤独を癒してくれる掛け替えのない絆や繋がりができていたことを知らしめてくれていたことが描かれていたように思います。

最後の土手でのシーン、民夫が人一倍優しい青年だったということがよく伝わってきました。本当の優しさを持っていた好青年だったですね。田中圭さんの好青年でいい人柄の演技が光っていましたよ。ハウの何とも言えない表情やかわいいしぐさや一目散に走っている姿がいつまでも記憶の奥底に残るハウの姿に犬好きの人もそうでない人もきっと魅せられる映画になっていたと思いながら観終えました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする