融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

石を投げずに愛を投げた

2013年10月31日 | 聖書のお話
ヨハネによる福音書 8章1~11節

 8月15日を挟んで、平和のために祈る集会が開催され、戦争の体験や不戦の誓い、あるいは平和の尊さについて語られています。けれども、具体的に「こうしたら平和になる」という方法が、あるようでないことに気がつきます。それだけ、平和を実現するということは難しい課題であるように思います。私自身、平和のために祈ろうとするとき、平和を作り出すための具体的な方法がなかなか思い起こせない弱さを覚えています。あまりの弱さに、無力感を感じてしまうほどです。
 聖書には、姦通の現場で取り押さえられた女性が、モーセの律法に基づいて石打の刑にされようとしている場面を伝えています。真ん中に立たされた女性は、死を待つばかりの弱い存在でした。けれども、彼女を石打の刑にしようとしていた人たちも、実は同じような弱い存在でした。イエスさまは、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい。」と言われました。その言葉を聞くと、年長者から始まって、一人また一人といなくなり、そうして誰もいなくなったと伝えられています。イエスさまもまた、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」と言われました。イエスさまの「わたしも」という言葉から、イエスさまもまた弱さや痛みを知っておられるお方であることを思わされます。
 罪を犯してしまうと、弱さや痛みの自覚につながります。その結果、誰も石を投げることができませんでした。その姿は、「消極的」であるように思われますが、結果として彼女の命を救うことになりました。人々は、彼女を救おうとしたのではありません。自分自身でさえ救えない、弱い存在であることに気づき、「消極的」になったのです。けれども、人の「弱さ」は、同時に人を救う愛でもあったということが教えられているのではないでしょうか。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「よいお天気ですね」 | トップ | 草取り »
最新の画像もっと見る

聖書のお話」カテゴリの最新記事