「愛こそ唯一」 コリントの信徒への手紙一 8章1~6節
コリントの教会では、偶像に供えられた肉を食べて良いものだろうかと考える人たちがいました。現代に生きる私たちも、食の安全を考えて自分が口にする食べ物について吟味するものです。遺伝子組み換え食品や様々な汚染の問題もあるために、何でも気にせず食べて体の中へ入れてしまうのは、健康面への配慮に欠いた行為になってしまいます。
またコリントの教会では、神は唯一なのだから偶像など存在せず、偶像に供えられた肉について気にせず食べても良いと考える「知識」を持つ人たちがいました。このように意見が分かれ、どの立場を取れば良いのかをパウロに質問した背景には、食卓に届けられた肉が偶像に供えられた肉なのか、そうでないのかが明確に分からないという事情があったのかも知れません。
パウロは、神は唯一であるという「知識」によって何を食べても良いと教える一方で、そうは言っても割り切れない人たちもいることを配慮し、食べることによってそれらの人たちが躓いてしまうなら、食べない方が良いとも教えました。いずれにしても、「知識」を用いて神に従うことも、「知識」を用いないで神に従うことも、両方とも等しく神を愛する行為です。愛こそ唯一なのです。