融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

恐れるな、神が恵まれた

2013年12月28日 | 聖書のお話
ルカによる福音書 1章26~38節

 現代は、「不安の時代」と言われています。少子高齢化、経済も右肩下がり、就職難など、誰もが将来に不安を感じています。政治も、公約が守られないことが当たり前のようになり、政治不信が常態化しています。海外に目を向けても、アメリカが揺らいでいるように見えますし、中国も何だか右往左往しているように見えます。戦争の噂もあり、世界中が不安を覚えているようなこの頃です。考えてみれば、人類は、不安の時代をくぐり抜けてきたように思います。
 教会暦では、クリスマスを迎えるためのアドベントに入りました。このとき、イエスさまが生まれた二千年もの昔、ユダヤの人々は、どのような時代を歩んでいたのか、とりわけ、どのような不安があったのかについて考えてみたいと思います。「使徒信条」には、「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け・・・」という一文があります。これは、イエスさまが時の為政者であるピラトから苦しみを受けたということにとどまらず、ユダヤの人々がピラトによって苦しみを受けたことをも伝えています。
 ユダヤの人々は、時の為政者からの解放を願っていました。そのために、幾度となくメシアと名乗る人々が武装蜂起することがありました。しかし、そのたびに為政者によって鎮圧され、メシアは反逆者として処刑されていました。そのような時代、ナザレという小さな町のマリアという若い女性が、「おめでとうマリア、恵まれた方、主があなたと共におられる。」という天使のお告げを受けたのです。天使のお告げは、マリアに不安と恐れを与えました。そのようにマリアが受け止めたとしても、不思議ではありませんでした。マリアは、ユダヤを為政者から救い出すメシアと関わりがあるような家系ではありませんでした。また、そのような男性との関わりもありませんでした。しかし、天使によって聖霊の働きがあることを告げられたとき、「お言葉どおり、この身になりますように」と神さまへの信仰を告白しました。
 不安の時代にあって、恐れから解放され、信仰を告白することができたのは、聖霊の働きに身を委ねたからではないでしょうか。私たちも、クリスマスを迎える心備えとして、聖霊の働きに身を委ねているかどうか、自分自身の信仰について吟味する者でありたいと思います。
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