goo blog サービス終了のお知らせ 

融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

ドキュメンタリー映画「標的の村」を見てきました

2014年08月15日 | 日記

 沖縄やんばるの森、東村高江で起こっていることについては、こちらを参照していただければ分かりやすいと思います。

 沖縄やんばるの森とは、沖縄島の北部にある、あの「ヤンバルクイナ」が生息している自然豊かな場所のことです。そこで、米兵によるジャングル戦闘訓練が行われています。戦闘訓練によって、自然はメチャクチャにされ、住民の平穏な暮らしが脅かされています。その、東村高江というところに、たいへん不安定な乗り物とされ、実際に事故も多いオスプレイという航空機が配備されることになりました。オスプレイという航空機については、こちらを参照してください。そのため、オスプレイ発着場建設に猛反対した高江の住民を、国が嫌がらせのために訴えるという、スラップ裁判を起こしました。(スラップ裁判とは?映画については、こちらを参照していただければと思います。

 感想ですが、座り込みで抵抗しているお年寄りと、それを排除しようとしている警官とでもみ合っている場面がありました。そこで、戦争体験している沖縄のお年寄りが、戦争を知らない子どもか孫のような年齢の警察官に向かって、「お前たちは何をしているんだ、どうして一緒にここで座らないんだ」ということを言っていたのが涙しました。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご訪問、ありがとうございました

2014年08月15日 | 日記

 毎年、お盆の時期には、浜坂に帰省されている浜坂教会の縁の方が訪ねてくださいます。午前中に、Mさん、Nさんがご訪問くださいました。いつも、浜坂教会を覚えてくださり、お土産や御献金を感謝いたします。それぞれ、今日、明日にお帰りになるそうです。道中が守られ、それぞれの場所での生活の上に、主の祝福が豊かにありますように心よりお祈り申し上げます。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉だけで信じていた

2014年08月15日 | 聖書のお話

「言葉だけで信じていた」 ルカによる福音書 7章1~10節

信仰とは、神さまと人間との口約束を信じるみたいなものです。そこには、神さまと人間との誠実な信頼関係が必要不可欠です。私たちもまた、互いに愛し合うことによって信頼関係が深まります。信頼関係が深まれば、民族の違いや国の違いといった隔たりを乗り越えることも可能となり、互いの口約束を信じ合えるような関係になることができるように思います。
 イエスさまは、イエスさまの口約束だけで十分と言ったカファルナウムの百人隊長のことを「イスラエルの中でさえ、これほどの信仰を見たことがない。」と言い表しました。イエスさまの言われている「信仰」とは、民族の違いや国の違いに囚われている、ありきたりの信仰のことではありません。そのような信仰は、人間が作った枠や隔たりに縛られているからです。イエスさまは、互いに愛し合うことによって、民族や国が違えども、口約束だけで信じ合えることができるような関係になることができると教えています。
 私たちが住んでいる世界は、お互いに文化も伝統も違う、考え方も違う一人ひとりの集まりです。それら、異なる者同士を結び合わせているのが「互いに愛し合いなさい」というイエスさまの愛の教えではないでしょうか。「互いに愛し合いなさい」という教えこそ真の権威とし、真の権威によって、争いではなく愛と信頼によって裏打ちされた平和な世界が実現されますように祈る一人ひとりでありたいと思います。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦没者を追悼し、平和を祈念する日

2014年08月15日 | 日記

 8月15日は、「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」です。

 私たちは、普段、治安が守られた中で生活しています。一人ひとりが規範意識を持ち、公序良俗にのっとっているからこそ、安心して暮らすことができます。しかし、ひとたび戦争という状態になったなら、治安とか規範とか、公序良俗などといういうものはなくなってしまいます。普段なら、私たちの生命、人権、財産は守られるものでありますが、そうではない状態になってしまいます。それが戦争というものです。戦争になれば、誰も治安を守る人もいません。ですから、本来戦争と何の関係もない略奪、殺人、レイプが当たり前のように起こります。戦争とは、人が幸福に生きる権利を奪うものに他なりません。では、なぜ戦争をするのでしょうか。それは、紛争の解決のためです。紛争解決のために、互いに殺し合い、関係のない人まで殺します。略奪やレイプも罪に問われないし、殺した数が多いほど褒められます。紛争解決のはずが、すべてを滅茶苦茶にして、さらに悪くしてしまうのが戦争というものではないかと思います。

 戦争で殺された方々、殺されなくてもよかったはずの方々、今もなお心身共に傷ついている人々に思いを寄せ、国際平和を誠実に希求し、戦争や武力による威嚇や行使を国際紛争を解決する手段としないことを誓い、平和を創り出すために祈念する一人ひとりでありたいと思います。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする