融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

自分の頭で考えなかった

2014年08月22日 | 聖書のお話

「自分の頭で考えなかった」 ルカによる福音書 7章18~35節

ヨハネのバプテスマ運動は、人々に「悔い改め」を求め、悔い改めたしるしとしてヨルダン川でバプテスマ(洗礼)を授けるというものでした。そして、再び罪を犯さないように、荒野で質素な共同生活をしていました。それに対して、イエスさまの神の国運動は、生まれつき体に障がいや、重い病気を持っている人々のところへ行って、彼らの障がいや病を癒やすというものでした。
 ユダヤの社会では、生まれつき体に障がいを持っている人、重い病気の人のことを、「両親もしくは本人が罪を犯した」からそうなったと考えて、彼らのことを「罪人」と呼んでいました。重い障がいや病気がある人は、バプテスマのヨハネのところへ行きたくても行けなかったのではないでしょうか。いくら「悔い改め」ても、病気が治らない以上、「罪人」のままだったからです。
 イエスさまは、生まれつき体に障がいや、重い病気を持っている人々のところへ行って、彼らに「悔い改め」を求めずに病気を癒やされました。それは、単に治療したということではありません。彼らが「罪人」でなくなったしるしとして、病気が癒やされたのです。
 ヨハネのバプテスマ運動も、イエスさまの神の国運動も、人々を罪のない者とする運動でした。そうして、「悔い改め」た人も、「罪人」と呼ばれていた人も、誰でも神の国に入ることができる道を整えるというものでした。そのことが分かったヨハネの弟子たちは、安心してヨハネのもとへと帰って行きました。

 


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