鍬ヶ崎の防潮堤を考える会 宮古市内に10,000部配布(2018.8.5)
ニュースレター No.19
大川小訴訟第2審
「学校は予見できた」と指摘、遺族側が勝訴
東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校を巡り、児童23人の遺族が市と県に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は、児童遺族の訴えを認め14億円余の賠償を石巻市などに命じました。小川浩裁判長は「校長らは震災前に校舎周辺への津波襲来を予見できたのに、避難場所を明確にし、適切に誘導するなどの対策を怠った」と指摘。遺族側の訴えをほぼ全面的に受け入れた。
注)石巻市、宮城県はこの判決を不服として最高裁判所に控訴した。
2審判決の根本的な根拠
基準は過去の大規模津波
想定「宮城県沖地震津波」とした。
判決の中で繰り返されたのは学校は対策を怠ったという事である。市や県は「想定外」「学校や市には大津波の予見は不可能」と主張したにも拘らず、判決では「大川小校長らが予見すべき対象は東日本大震災の津波ではなく、2004年に想定された『宮城県沖地震』(マグニチュード8.0)で生じる津波」ときびしく明言していることである。基準とするべきは「想定外」の津波ではなく、いくらでも予見でき検証可能な過去の最大規模の津波という事で、少なくとも宮城県沖地震津波への備え・対策をしておくべきだったとして市と県側の無作為を批判した。
(岩手県にとっての基準津波はさしずめ明治三陸津波、昭和三陸津波であったろう。先きの震災で岩手県沿岸では基本的にこのような学校災害は起きなかった…)。
未来からの視点
これからの基準津波は
「東日本大震災津波」となる。
大川小学校の悲劇から、またその裁判から将来の教訓とするべきものは、小学校などの学校防災は「過去の大規模津波」つまり「東日本大震災津波」規模に耐えうるものでなければならないということである。県や市は控訴中であるが、最高裁判断を待つまでもなく、この認識は大川小学校の犠牲者の霊に報いる最高の教訓とするべきものである。
また 大川小訴訟の高裁判決の意義は、直接言及していないものの、未来からの視点をもってすれば、今後「東日本大震災」津波(=3.11津波)があらゆる津波防災・津波避難の基準となるべきものといえる。防潮堤などの海岸防災施設、また陸上における避難設備、そのハードソフトの対策は「東日本大震災」津波クラスを対象にして策定されなければならない。政府が大震災直後に東北の各自治体に通達したL1津波、L2津波の区別だてのために東日本の防災、避難対策は渋滞して遅れている。大川小訴訟の高裁判決はそのことも明らかにした。
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(カコミ記事)
<大川小訴訟>高裁判決で避難場所に指摘
「バットの森」歩けば20分で到達可能と
河北新報記事 写真(2018.4.30)要約
石巻市大川小津波訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は危機管理マニュアルに記載しておくべき避難場所として「バットの森」を挙げた。
バットの森は、海抜20メートル以上の高台にある市有地。野球バットの原木となるアオダモなどを植樹。震災当時の4~6年生は訪れたことがあった。
大川小の校庭から県道を通り、震災当日に児童らが目指した北上川の堤防道路(三角地帯、海抜6~7m)を抜け。国道398号を雄勝方面に向かい、大川小の裏山に通じる坂道を約3分上るとバットの森。校庭からは約14分。低学年を含む大勢の移動を考慮しても20分あれば到達できる。
高裁判決は、原告が強く主張した裏山への避難は「崩落の危険性」から不適当とした上で、バットの森を「最も有力な避難場所の候補」として、10年度作成の危機管理マニュアルに明記すべきだったと指摘した。
避難経路は、川沿いの三角地帯を通るという難点を抱えるが、地震6分後に大津波警報を知らせた防災行政無線を受けた早期の避難開始で十分に回避できると結論付けた。