宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

宮城県漁業「特区」の挫折(上)(中)

2018年08月24日 | どうなる復興計画

 震災復興の賭け、壮大な夢をみんなが見た! 一つの産業コモンズであった。

漁業の再生=水産業復興特区の挫折=石巻の試み

漁業協同組合型ではなく市場経済(株式会社)型漁業経営の目指したものとは?

その挫折の原因とは?


<浜再生の道 検証・水産業復興特区>(上)

誤算/雇用の大義 経営を圧迫

河北新報(2018.8.23)


  東日本大震災からの漁業再生の呼び水として宮城県が2013年に導入した水産業復興特区は、9月予定の漁業権一斉更新を前に次期の適用が見送られた。震災直後、県漁協の激しい反発を押し切って動きだした漁業の新しい形は浜の復興にどんな役割を果たしたのか。7年半の歩みとこれからを探る。(石巻総局・関根梢)

 津波の爪痕を残す荒涼とした浜で、ひときわ目立つ白い社屋がある。
 牡鹿半島北西部の石巻市桃浦にある「桃浦かき生産者合同会社(LLC)」。地元漁業者15人と仙台水産(仙台市)が12年、1年後の特区活用を前提に設立した。特区が適用された初の、そして唯一の企業だ。
 特区が描いた絵は希望に満ち、華々しかった。



津波の爪痕が随所に残る浜に立つ桃浦LLCの社屋


<若者呼び込む>

 目標の設定期間は16年までの5年間。「年間生産額は震災前比50%増」「地元漁民15人の雇用とさらに約40人の雇用創出」。そして「持続的、安定的な産業形成によるコミュニティー再生」(県復興推進計画)。

 LLC設立後に加わった社員は11人。漁師の世界に初めて入った人もいる。県内の13~16年の新規就業者は132人。一つの浜だけで11人を確保したことは、漁業新時代の息吹を感じさせた。

 「漁師に憧れがあった」「給料をもらいながら漁業ができる」
 県が3月に発表した特区の検証には、LLCに入社した新規就業者の声が並ぶ。企業人として漁業に携わるスタイルは就業のハードルを下げ、若者らから一定の支持を得た。
 光が差し込む一方、数字は現実の厳しさを物語る。



<生産伸び悩む>

 16年度のカキ生産量は95トンで、計画比の68%にとどまった。生産額は1億9268万円で、同64%。雇用は16年度、社員27人とパート14人の計41人。当初計画比15人のマイナスだ。

 生産額は、漁協所属の経営体が14年度に震災前水準まで回復したのに対し、桃浦地区は震災前に達しておらず、描かれた目標に比べると物足りなさが残る。

 16年度の純損失は3800万円に達した。17年度も370万円の赤字。要因は生産額の伸び悩みと、水揚げの多少にかかわらず固定された人件費だった。生業の維持という特区の大義名分が経営を圧迫する

 県水産業振興課の担当者は「特区導入の目的を考慮すると、不漁だからといって人件費を抑制することはできない」と説明する。

 何より、津波で壊滅した地域のコミュニティー再生は完全な空振りだった。

 震災前、桃浦には74世帯185人が暮らした。今は18世帯30人。漁港周辺は災害危険区域に指定されている。新たな住民受け入れのハードルは高い。

 今年3月まで桃浦地区の行政区長を務めた甲谷強さん(89)は言う。
 「地元に住むLLC社員は10人足らず。特区を取り入れても何の変化もない。住宅関連の制度と連動しておらず、特区だけでは地域の再生は見通せない」



[水産業復興特区]漁業法を一部緩和し、地元漁業者だけでは復旧が困難な地域に企業の参入を促す制度。漁業法は漁業権の優先順位を規定し、競合があれば第1位の地元漁協に免許が付与される。特区では優先順位が撤廃され、漁業者主体の法人に県が直接免許を与える。政府方針として6月にまとめられた水産改革にも優先順位廃止が盛り込まれている。



 

<浜再生の道 検証・水産業復興特区>(中)

対立/漁業者 自治の崩壊懸念

 河北新報(2018.8.24)


水産業復興特区を巡り猛反発する
県漁協幹部に理解を求める村井知事
=2011年5月13日、宮城県庁

 

  あの喧噪(けんそう)は何だったのか。

 「申請の競合がなく、現行の漁業法に従って漁業権を付与する」。今月10日、漁業権の適格性を審査する宮城海区漁業調整委員会。県は水産業復興特区の適用見送りを淡々と説明した。

 東日本大震災の津波が漁場を破壊して間もない2011年5月10日。村井嘉浩知事は政府の復興構想会議の席上、水産特区構想を提起し、「民間資本の導入を促し、担い手の選択肢を広げるべきだ」と打ち上げた。



<「変わる時期」>

 「鉄のルール」に風穴を開ける提案だった。態度を硬化させた県漁協の反応は素早かった。翌11日、「企業参入は容認できない」との見解を表明する。「企業に隷属するつもりはない」「地域の荒廃と崩壊を招く」。反対の文言は激烈を極めた。

 騒然とする漁業者を相手に、村井知事は主張を曲げなかった。
 「今までのスキームで企業が入れるなら、県内に企業がたくさん入ってきているはず」。構想の提起から1カ月後の定例記者会見で意義を改めて強調し、「(農業と同様に)漁業も民間の力を借りながら力を付ける。シフトチェンジをする時期ではないか」と迫った。

 現行の漁業法でも企業の漁業権獲得は可能だ。ただ企業が漁業権を取得しても、優先権がある漁協がその漁場への参入を表明すれば撤退せざるを得ない。事業継続の不透明さは、看過できないリスクだった。

 対する漁業者は「浜の自治の崩壊」を恐れた。
 県漁協が主導する衛生管理などの規則は、宮城のカキのブランド力を保持する上で欠かせない。漁場の割り当ては漁協が主体となって漁業者間の調整を担う。漁業者は自主的にルールを作り、現場の紛争防止や漁場の保全を図ってきた。

 当時県漁協会長として村井知事と対峙(たいじ)した木村稔さん(78)=石巻市=は「民間に開放すれば浜の分断を招くだけだ。県から直接免許を受ける企業が、浜のやり方に従うとは思えなかった」と振り返る。



<連携も選択肢>

 県は13年9月、桃浦かき生産者合同会社(石巻市)に漁業権を付与する。村井知事は県漁協側に導入の経緯をわび、「休戦」となった。

 津波は多くの漁民の命を奪った。漁船や漁具を失った漁業者は途方に暮れた。
 11年6月に県漁協会長に就いた菊地伸悦さん(73)=宮城県亘理町=は「明確に反対の意思を持っていた組合員は半数に満たなかったのではないか」と推測。「『一刻も早く復旧復興を果たさなければ』という思いは同じ。知事の決断は責められない」と理解を示す。

 震災後、県内の漁業集落は過疎化が進み、人手不足が深刻化する。菊地さんは「従来のやり方では、後継者を生まなかった。これからは、信頼のおける企業との連携も一つの選択肢になっていい」と話した。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 


コメント (1)
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