宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

第2回勉強会に35名の参加 8/17

2014年09月06日 | 鍬ヶ崎の防潮堤を考える会

「鍬ヶ崎の防潮堤を考える会」で2回目の勉強会

 

「鍬ヶ崎防潮堤を考える会」の第2回勉強会は8月17日、現地臨港通「道の駅=シートピアなあど」2階研修室で行われた。参加者は鍬ヶ崎地区内外から35名の盛況であった。大槌町、千葉県からの参加もあった。

 講師は東北学院大学の千葉一(はじめ)講師。「考える会」としては第1回勉強会のあと「子どもに豊かな未来とふるさとを残す会」の協力を得て講演会形式の勉強会を計画していた。その人たちのネットワークで千葉先生の出演が決まったものである。

 写真はF.K子さん提供

 

千葉一先生

気仙沼市出身で宮城県気仙沼市の震災復興市民委員。バンガロール大大学院(インド)で南アジア地域文化を研究。「コンクリート行政による沿岸集落の整備・開発、経済性重視の土地利用の高度化、そうした近代の『過剰』が津波によって取り除かれた」と、巨大防潮堤建設に批判的な見解を研究雑誌に寄稿している。(以上毎日新聞より引用)

 

テーマ

巨大防潮堤問題 風土に根ざした復興の模索


講 演(ランダムに…)

津波の後

私は顔に白い粉を塗ってインドの原住民と接触したが、似て、津波のあとにはコンクリートのない時代に戻って懐かしい原風景が現れる。コンクリートに変わって湿地帯が戻り多様な生物が戻ってくる。視点を変えてラムサール条約を目指す方向がむしろ将来的である。──津波のあと田老では砂浜が戻り大船渡湾の水質は飛躍的に改善した(管理人注)

津波の検証で分かった事

防潮堤のない、高台もない地域は比較的人的被害が少なく、田老のように防潮堤で囲んだ地域の被害が大きい事は今次津波の特徴だ。被害の膨大化は地域住民のこころの緊張感にあるように思う。気仙沼の私の地元では防潮堤がつくられている。鍬ヶ崎には(つくらないように)がんばってほしいと思う。

地元が知る事はむずかしい

私の地元では防潮堤が出来つつあるが、地元住民も私の家族もその完成した本当の姿をまだ知らない。勝手によいように想像している。出来上がったらその巨大さにビックリすると思う。本当の情報というものは地元ではなかなか分かりにくい。外から、地元出身者とか、私のように完全な部外者からでないと正しい事は分かりにくい。出来てからでは遅すぎる。

地元主導でないと

私自身は今植樹(つばき等)防災の活動に係っているが地元の復興には係っていない。 地元から要請があったら協力するが出て行っても分かってもらえない状態だ。防潮堤や区画整理の説明会ではお金がからむ問題になると怒号が飛び交い、住民が暴力団みたいになる状態になる。何らかの協力を持ちかけられたら積極的に出かけたいと思っている。地元主導はむずかしいが、かといって地元主導が本筋だ。

防潮堤の維持費

コンクリートの耐用年数には限りがある。50年とかいわれるが日常のメンテナンスも欠かせない。 防潮堤の維持費は莫大な経費がかかる。今現在国民一人当たり百万単位で借金があるがこれら強大な防災施設には巨大な借金が付いて回り、子供世代、孫世代、の子孫に借金を背負わせる事になる。海岸線を原状に戻して先に言ったラムサール条約の活用等、復興も自然主体に考え直すべきだ。/スライド写真等多用して説明。会場から「目から鱗がとれた」等の声もあった。

法律も大事

反対運動等は現実的にむずかしいがどんな法律で防災施設や復興予算が執行されているのか調べながら進めるべきだ。防潮堤は災害復旧予算なのか別の海岸法に依っているのか?閉伊川水門や鍬ヶ崎防潮堤は新設施設なので後者の法律に沿っている可能性が高い。法律の「ただし書き」を良く吟味する事が大事なようだ。そこで運動が急進展する事が多い。 


講演会は、スライドで数字や画像を駆使して行われ、千葉講師の情熱的な話し振り等で終始参加者はみんな傾聴した。後の質疑も活発であったが主催者の不慣れや、質問者の論点が定まらない等、多少混乱した質疑応答のテーマもあったが熱気の中で得心した、有意義だったという人が多かった。

※ 第3回勉強会は9月か10月に予定



 

 

 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする