今こそ地区復興の根本にかえって宮古市民の合意を模索する時であろう。説明会当日もそうであったが、これまでの経過において岩手県庁、宮古市は住民に対して説明責任を果たしているとは言えない。
防潮堤の位置が変更になっている。説明してほしい
防潮堤計画案 2013.11.22 鍬ヶ崎防潮堤説明会資料
漁師のつれづれなるブログ<鍬ヶ崎~日立浜町の防潮堤説明会>2013.11.29 の図面を借用
日立浜地区
これまでの地区復興まちづくり検討会で何度も示された図面においては一貫して鍬ヶ崎防潮堤の位置は下図の通りであったものである。日立浜の防潮堤は浄土ヶ浜道路(県道259号線)沿いに建設するとあった。上図では岸壁沿いになっている。どういう経過でそのように変更になったのであろうか?
図を重ね合わせると日立浜地区と港町地区で大きく変更されている。
変更はいいとして、問題は、その経過や理由が十分に説明されていない事である。今後100年、200年、孫子の代まで鍬ヶ崎が続くのである。土地、景観、道路、土地利用のどんな変更も現地住民に詳しく説明してもらわなければ困る。行政は今更説明責任の肚(はら)をくくるべきだ。変更が説明されてそして地域住民が納得する合意形成がなければ防潮堤などは形ばかりの砂上の楼閣となる。そのようなものは造るべきではない。
港町地区
港町地区の防潮堤の位置の変更は一層深刻な問題である。今次大津波で、この地区は(明治、昭和の津波においてもそうであったが)鍬ヶ崎市街地の津波襲撃の大きな突破口であった。それは宮古湾や鍬ヶ崎港全体の形に影響されるからといわれ、また清水川とその古い谷地の記憶に沿って津波が奥に奥に押し寄せるからともいわれている。ただでさえ津波を呼び込むような奥まった場所がらに加えて、図面のように更に奥に袋状に防潮堤の位置を下げる変更は無謀きわまりないように思われる。水勢がそこに殺到するからだ。タイミングが悪ければ建造中のケーソンが後ろに流されて防潮堤を破壊する危険性もある。なぜ? どんな理由で? この地区の防潮堤の位置を変えるのか、岩手県庁と宮古市は市民に説明する義務があるはずである。
イージーに港町の造船所には船揚場が必要であり、ケーソンには進水場が必要であるからというかもしれない。地域の人もついつい納得するかもしれないが、それは違う! 後述するように、隣接する日立浜船揚げ場は防潮堤に押されるようにして沖での船揚げを提案されている。ケーソンや造船所の位置も、例えば、別の場所や新埋め立て地に移る選択肢もあるのではないか? 何よりも地域の安全・安心を犠牲にしてのそのような企業優先はありえない。
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