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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

鍬ヶ崎「防潮堤」(10)説明会=だめな設計図

2013年12月02日 | どうなる鍬ヶ崎

岩手県庁、宮古市の鍬ヶ崎の防潮堤の説明会(22日)のあやふやさで、はたして防潮堤を造っていいのであろうか? 地区住民の合意・納得を取らないで、県の事業だとか、国の方針だとか言って、勝手に事を進めていいはずはない。

 

 

 

とんでもない設計図。これでは誰も賛成できません

 

 3.11震災から2年余、県庁が考えに考えた防潮堤の設計図にはあぜんとした。この程度の資料で、その説明に15分もかけないで終えようとした。とてもまともな説明とはいえなかった。未来の子供たちに残す施設として鍬ヶ崎の人はこの説明に責任を持てないと思った。将来100年、200年鍬ヶ崎の安全と景観と経済を作っていく計画の説明とは思えない。前にも書いたが県庁や宮古市は本気でものを考えているのか?!

 

 

 

私の資料にはいろいろメモをして汚くなったので 漁師のつれづれなるブログ<鍬ヶ崎~日立浜町の防潮堤説明会>2013.11.29 の図面を借用することにした。なお、この図から欠けている吹き出しの文章は「用地幅10m内に整備します」「硬い地盤まで鋼管杭を両側に打ち込む」である。「壁は用地幅の中央」を含めて吹き出しは県庁が強調したいところである。

 

 

 デザイン

 

 上記ブログのヘイウンさんもおっしゃっているように防潮堤は田老のような台形をしてるものと私も思っていたが、直立式のこのデザインはなるほど古い形を打破しようとした意欲はみえる。しかし目を凝(こ)らしてよくよく鍬ヶ崎に当てはめてみると、鍬ヶ崎がそのままゴミ箱になりそうな最悪の景観が見えてくる、鍬ヶ崎が廃(すた)れる原因をつくるデザインである事が分かる。防災上も、本当に役に立つデザインであるとは思えない。

 

あやふやな用地幅

 

 「用地幅10m内に整備します」。なにか別な根拠があった訳ではなく直立式の動機は単に防潮堤用地を節約するためであったのだ。台形(緩傾斜)デザインだと底辺幅が少なくとも20mは必要だから直立形にしたのである。防潮堤の足(鋼管杭=直径80cmの中味コンクリート?のクイ)は地下の硬い地盤まで最大ほぼ30m~40mまで打ち込む。分かりますか? 横幅がとれないから縦の深さに頼ったのです。よくなった訳ではないのです。

 

危険な直立式防潮堤

 

 今次津波では台形であろうと、直立式であろうと、ケーソン式であろうと、どれがどう良かったかという結論は出ていないが、見る通り、この鍬ヶ崎防潮堤計画は足もと回りの弱さが目に付く。鋼管杭の上に渡される天板と鋼管杭の接点部分、その天板と中央の直立防波壁の接続線部分などは、

台形型防潮堤にはないもろさ、不安定さ、危険感がいっぱいである。説明会では説明のなかったところである。

 

鋼管杭のピッチは?

 

 「ピッチ」とは縦断図的に鋼管杭ペアと鋼管杭ペアの間隔の事である。この説明はなかった。次に述べる「長さ」と関係する間隔の問題で、とてつもなく微妙な相関関係をもつ。この微妙さは津波の圧倒的強さに抗し得ない。

 

鋼管杭の長さは?

 

 同様に鋼管杭の長さの説明はたしか「最長30m」であったが、硬い地盤までというのだから実際は分からない。説明はなかった。設計当事者は全長1600mの防潮堤予定用地の地質、深度(深さ)の地盤調査結果を詳細図面にして公開明示するべきである。それがなければ住民としては結論が出ない。この一帯は明治、大正、昭和にかけて盛んに埋め立てが行われた土地柄である。一部岸壁はケーソン等構造物で出来ており、一部は小島を崩してならしたものである。また沖合の根(岩礁)をそのまま埋め立てたところもある。お山の坂の沢や清水川の砂州は弱くて深い。それぞれ、例えば直下岩礁の場合は鋼管杭は短くて役に立たない訳である。そのときはピッチ幅を短くするつもりなのかどうか? 全長1600m計画の地下鋼管杭図はまだら模様で津波によってどこから崩れても不思議はない。

 

鋼管杭の足の先

 

「硬い地盤」とは? とりあえず自然の岩盤だとしてそこまで足をのばして、どのようにして岩盤に足を結ぶのか? あるいはどのような状態で足をその上におくのか? この辺りも説明もなかった。この方式の生命線はいうまでもなく杭(くい)のように鋼管杭がしっかり岩盤に喰い込んでいる事である。鋼管杭が砂礫層に浮いているのであれば全く用をなさないことは分かる。岩盤に「抜けず」「沈まず」しっかり収まる事が必要である。なお、先に書いたように鋼管杭が短過ぎても長過ぎても効果は半減する。その辺りの説明もなかった

 

防潮壁に窓?

 

この計画中の鍬ヶ崎に張りめぐらした直立式の防潮堤に海を見るための窓を付けるという説明があった。盛岡の役人や設計者の、海を知らないやまごたちの、現地について何も考えていない本当の姿をそこに見る思いで悲しかった。防潮堤が出来れば海が見えなくなるという鍬ヶ崎の海彦たち宮古衆の思いに「それでは海が見えるように窓をつけてやりましょう」という小ざかしい知恵の提案であったのである。説明会参加者はみんな聞かないふりをしていたが本心は立っていって殴ってやりたい思いだったにちがいない。そこまで言われて…

 

 

(11)につづく

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