あるべき鍬ヶ崎「防潮堤」問題
1 ディフェンスライン(津波防衛線)の沖合化
現在計画されている鍬ヶ崎「防潮堤」の津波防災ディフェンスラインはあまりにも市街地の中であり、景観上マイナス、防災施設の役割としても不確定要素が多過ぎて地域住民の合意形成がむずかしい。既存防波堤を活用しながら港の沖合に防潮堤に代わる津波防災施設の建設を考えるべきである。
(1)3.11津波で壊れた沖合の既存防波堤
図1 3.11大津波で壊れた直後の沖合防波堤
津波によって赤い灯台で鍬ヶ崎港を特徴づけていた出崎防波堤はほぼ全壊した。沖合の龍神崎防波堤は北側半分が水没して半壊状態であった。津波はこれらの防波堤を粉砕して鍬ヶ崎の街を襲ったのである。波は繰り返して襲いかかったが、同時に、溢れた水量は出崎ふ頭を越えて閉伊川を直撃した波と合体して閉伊川を遡上した。
宮古湾内、そして鍬ヶ崎港内の細かな津波の流れや進路など詳しいことは分かっていない。
(2)現在の防波堤の配置
2図 復旧した現在の防波堤(google地図より)
鍬ヶ崎港や藤原、磯鶏地区の岸壁の静穏化が急がれて、出崎防波堤、龍神崎防波堤は直ちに復旧の工事が行われた。ある程度のかさ上げと本体強化がなされた模様であるが、しかし、この工事の目的は日常的高波などの静穏にかぎられ津波の防災施設としての目的は無いようだ。
復旧工事の目的はくわしくは分からない。その点の工法の説明や広報活動はなく、地区住民との合意はとられておらず、地区防災の意味は全くないように思われる。無責任工事。単なる復旧工事、工事のための工事であった。そのようにみると見るからにみすぼらしい防災施設だ…
(3)既存防波堤の強化
将来の鍬ヶ崎の津波防災施設として、この二つの防波堤の果たす役割はその設置位置からいって非常に大きいことは誰でも分かることである。現在のような曖昧な意味づけではその役割は果たせないばかりか、未完成施設として往時のように地区住民から浮いた防波堤の運命を辿らざるを得ない。
そうであってはならない! 防災施設は地区全体のものなのである。港湾業者や漁業者だけのものではない。漁師も陸(おか)に上がれば地区住民だ…。地区の方でもこの二つの防波堤を自分たちのものとして、自分たちの防災施設として考え直さなければならない。
3図 既存防波堤の再強化
この二つの防波堤をしっかりと津波防災施設として位置づけ、津波からの防衛線として強化していかなければならない。本格的に今次津波の実態を調査し、防波堤の高さと大きさを強化して津波に耐え得る施設として再々工事する必要がある。鍬ヶ崎地区一帯の確かな防災施設として再構築されなければならないのである。大きな課題である。
(4)増設防波堤の建設
4図 防波堤の新設
既存防波堤の再々強化があっても、津波対策施設としては足りない。現在計画中の鍬ヶ崎「防潮堤」が破棄ないし大規模修正されるとして、その同じような効果を期待するのであるから、新設防波堤もそれなりの規模になる。最小限度の工事量を目標にするための事前調査やシミュレーションは最大限度で実行されなければならない。地域住民の経験や知恵、宮古市や県庁の知見資産を動員することはもちろんであるが、東北一帯の学術や技術、学会や業界の協力は不可欠となる。その完成が全国の津波沿岸地帯の一つのスタンダード(基準)になるからである。
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なお、この新設防波堤は宮古湾および鍬ヶ崎港の海流を変え、漁船、貨・客船をとわず船舶の航路を大幅に変える。しかしそれだけではなく何よりも津波襲撃の有事の際の湾奥地区の災害との関係、藤原ふ頭や閉伊川の津波襲撃の関係を変える事になる。その意味でオール宮古湾沿岸の協議、コンセンサスづくりも欠かせない。
(5)計画防潮堤の破棄ないし修正
5図 「防潮堤計画案」の破棄ないし大規模修正
☆
( 参 考 )鍬ヶ崎「防潮堤」の建設位置=2013.11.22の説明会より
これまで書いてきた通り、県から提案された鍬ヶ崎「防潮堤」の建設位置は窮屈である。無理に鍬ヶ崎港岸壁に逆T字型の塀(へい)を並べたくても強度、効果は疑問、工事的にも実現性がない。またこのような窮屈な景観は、即、漁業や観光の鍬ヶ崎の地場産業を衰退させる明らかな障壁になる。古くさく、とりかえしがきかないのだ。
6図 11/22 説明会で説明された防潮堤の資料
なぜそう思うのか? そう思わさる理由は、県土整備部、宮古市が今次津波を経験しているはずなのに! 何らそのことの「検証」という事をしていないからである。今次津波の前々からも鍬ヶ崎「防潮堤」は計画されていた。しかし、それは鍬ヶ崎の住民との合意がとれないまま事実上大津波に遭遇して計画そのものが中止された。そのことも深く掘り下げて教訓にしていない。
7図 震災前旧計画図(平成21年)
今また、古い計画をそのままにして新しい防潮堤を住民に押し付けようとしているのだ。東日本大震災の津波によってどのくらいの人的犠牲が出たか役所の人たちは忘れたフリをしている。この旧防潮堤のコンクリート思想でどのくらいの被害が出てどのくらいの犠牲者が出たのかシミュレートしてよく考えるべきなのだ。
「防潮堤を無視して即刻避難した人はほとんどが助かり、巨大防波堤や防潮堤を信頼し心のどこかで頼りにした人の多くが逃げ後れて死んでしまった」という現実。国や県や市は、津波犠牲者の地区別や浜別など犠牲者のきめ細かな実態は全く発表せず総数ばかりを拾い上げ、どのような状況で犠牲者が出たのかの将来の教訓になる調査や分析の発表を極力避けている。このまま幕引きをしようというのだろうか?
今次3.11の現実の大災害の経験で、岩手県も宮古市も鍬ヶ崎の古い「防潮堤計画」の設計思想の無効性を分からなければならなかったのだ。そうすれば説明会(11/22)での直立式などの出てくる余地はなかったのに…隠蔽や分からないフリどころか本当に分かっていないようにも思われる。分かろうという意志もないのだ…
今次大津波の経験は根本的な発想の大転換を現地住民にもたらした。防潮堤の考え方、位置、高さ、効果、メンテナンスなど、あらゆる角度から発想の大転換を計らなければならない。(大転換はあちこちですでに始まっているが)その立ち位置からみた時のこれら市街地の中の防潮堤の「位置」の提案は危険すぎ窮屈すぎる!!
大転換の主な内容は、建設位置の沖合化と越流の容認である。順次明らかになるであろう。
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