宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

鍬ヶ崎の住宅問題(5)区画整理事業の目的とは?

2013年01月19日 | どうなる鍬ヶ崎

12/19の説明会に何人の住民が参加したのか、どのような意見があったのか、そもそも事業がどのような段階なのか、そのあたりの一番大事な事がぜんぜん分からない。なにひとつ決まったものはないのに、調査、計画、土地買取りのこまかい事がどんどん前に進んでいて、その既成事実の積み上げだけでいつの間にか鍬ヶ崎の運命が決まっていくような不安感を覚えるのであった。土地区画整理事業に反対の人、異論をもっている人、修正意見を持っている人は多いはずである。どのようにしてそのような人の意向を確認し、汲み上げていくつもりなのか?


鍬ヶ崎地区の復興まちづくりとは?


 【切通し付近からの風景イメージ】
道路が拡幅されている。絵としてはよくかけているが今も
将来も連れ立ってこのように人が徒歩で歩く場所ではない。



 
【幹線道路イメージ】切通しから続く地区の中心をつらぬく道。どこにもあるような幹線で、
  イメージだけでは特徴も意味も目的も分からない。


 


【コミュニティ道路(盛岡市の事例)】(左)と【河川の親水空間のイメージ】(右)
 小川をきれいにする事には賛成だが鍬ヶ崎の親水空間といえば、
むかしも今も将来も蛸の浜、浄土ヶ浜、日立浜でなかったか?
こんな道路も河川もないのに…うその景色をつくっている。



計画案は「イメージ」「イメージ」で何枚かの絵や写真が示されているが「イメージ」はどれも鍬ヶ崎ではないように思える。地区住民はどう思ったのであろうか? これが「復興まちづくり」計画案? と半ばあきれて、ため息をついたのでは…。一貫してベタの外部委託で通してきた印象の強い宮古市の復興への考え方は、これほど未曾有の災害への取り組みであっても内部的な成長の跡が見えない。前に住民の成長なくし鍬ヶ崎の復興はないと若者の奮起をうながしたが、ここにきて宮古市も自立復興の道を歩み、成長の底上げを強力にはかるべきだ。副次的であれ、ある程度の区画整理事業は進めなければならないだろうが、UR都市機構に外部委託するほどの計画ではない。イメージ画にせよ、計画図作成にせよ,地元の宮古市職員の方が格段に上手なはずだ。手が足りなければ計画のマネジメントをすればよい。ものの分からない他所(よそ)の機構より地場で進める方が現実的だ…




鍬ヶ崎地区復興まちづくりの根幹をなすものは次の三本の柱である。私はこのブログに何度も同じことを書いてきたが、繰り返す──

 

(1)鍬ヶ崎地区復興まちづくりは高台移転によってまず住まいと生活を安定させる事である。高台移転が、集団移転になるか、小規模集団への分散になるか、また、必ずしも高地でなくても平地でも、要は、希望する人の安心・安全の住まいを確保する事が先決である。政府支援の、経済的にも最も有利な、防災集団移転促進事業(防集)による高台移転が進んでいない。国のせいではなく地区所管自治体のせいである。鍬ヶ崎だけではない多くの市町村でもその現実に直面して出口をさぐっている。──行政はあらためて防集を決断して、全市のデベロッパー、不動産業者、地権者、被災者を総動員して最適土地の候補選択を始めるべきである。また高台移転希望者は(もちろんオール鍬ヶ崎/オール宮古でという意味だが)、若手を中心にしてあるべきコミュニティの青図計画の作成に着手するべきである。いかに鍬ヶ崎が分散しようとも、将来にわたってあるべきコミュニティは残るからである。


(2)災害跡地は、全域、経済特区として、漁業、観光、製造業、商業、サービス業など鍬ヶ崎の産業復興の特別地区とするべきである。鍬ヶ崎人が現地で主体的に知恵を絞って起業する事が理想である。行政も集中的にそれを支援、援助する。復旧企業、再建企業もあるし、新規起業もある。地区の個人、共同での起業、また地区外からの企業誘致や、企業進出も大いに歓迎することになる。職住分離の鍬ヶ崎地区の「産業まちづくり」の太い柱になるのでなければならない。高台移転希望者の土地は宮古市が希望全面積を買い上げ、産業まちづくのために適正配分する事になる。


(3)鍬ヶ崎旧地区の津波防災は、龍神崎堤防、出崎ふ頭、鍬ヶ崎赤灯堤防、鍬ヶ崎港ぐるりの岸壁、の既存港湾施設のT.P.3~5mクラスの堅牢化と相互連携そして閉伊川水門の中止をもって達成する。今はディレクター不在でばらばらであるがこれら施設がまとまって津波に当たれば津波の力の大半を殺(そ)ぎ、回避する事が出来る。必要ならそれを補完する最小限規模の防潮堤の新規建造もあるかもしれない。その場合も、鍬ヶ崎地区の事業用建築基準と避難ファシリティによって防潮堤からの越流もある程度容認する事になる。(その意味は後述するが、防潮堤は決してそれを自己目的にして計画してはならない)。避難ファシリティとは従業員や店員などの産業従事者、地元内外からの買い物客、遠来の観光客等を一人残らず地震発生10分以内に高台避難させるハード・ソフトの確かな存在である。




人は(3)に興味をもつかもしれないが、当面の問題は(1)(2)の方である。宮古市の鍬ヶ崎地区復興まちづくり案には(1)(2)(3)もない。(1)にも(2)にも(3)にも、少しもふれていない。UR都市機構に業務委託した区画整理事業では道路と公園だけを目的とするような幼稚な計画になろうとしている。「減歩、換地、移動をお願いすることがあります」と下手(したて)にいうがそれが目的だから必ずそうするつもりだ。たのんでもいないのに何のためだ? 住宅地は区画整理・区画整理で鍬ヶ崎の面影はなくなる。いったい誰が住むのか? 災害対策でもなく、産業復興のためでも、住宅のためでもない区画整理事業とはなんなのか? 根本にかえって議論する必要がある…




土地は売るべきではない

高台移転の土地購入、あるいは住宅の建築資金として売るのなら分かる。しかしそれ以外で軽々に土地を手放すべきではない。鍬ヶ崎がなくなる。家や仕事が流されて財産は土地だけだ。災害跡地の経済復興の基本ベースになるのはその土地である。製造業でも商業でも土地がなければ始まらない。土地があるからその元気も出てくる。起業しない人は貸してもいいし、売ってもいいだろう。起業する人は買ってもいいし、借りてもいい。それがビジネスの始まり、復興の始まりだ。復興の柱(1)(2)を踏まえて被災者は海水に焼き出された土地を軽々しく売るべきではない。法律にそって高台を宅地造成して被災者に提供してくれるのなら被災土地を売ってもよい、いや公的機関でぜひ買い取ってもらいたい。被災土地の有効利用のために諸条件が合えば起業者、または企業家に土地を売ってもよい。土地はむやみに売らない、これが結論。

(1)にも(2)にも「売る(べし)」ということがあるから、今回宮古市の「申出書」提出によって売っても、売る事は同じではないかという考えもあると思うが、それとこれとは筋目が完全に違うことはわかると思う。若い人は、土地を売る人も売らない人も、議論を重ねて自分と鍬ヶ崎のあるべき将来についてよくよく考えてほしい。

買った土地をUR都市機構と宮古市はどうしようとしているのか?




(6)へつづく

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