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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

二番目の津波(3)宮古湾の場合

2012年04月14日 | どうなる避難対策


マグニチュード9.0はついこの間一年前に経験した事だし、全国的にそのクラス地震が北でも西でも将来の問題になっているとき2番目の津波や、2番目の対策なんてなにか間が抜けておかしいのではないか? 2番目では、それだけで目の前がなにかぼやけてくる。まあ、しかし1番でも2番でも3番でもいいから、これまでの対策がどうだったのかの検証を、責任を持つ人が反省をもって示さなければ、1番目も2番目も3番目もないのではないか。防潮堤など今次コンクリート施設の死屍累々の責任は一体だれが取るのか?! そこを決めない事には1番目も2番目も3番目もないのである



頻度の高い二番目レベルの明治29年の津波対策をするといっても、明治29年の津波が、では、どうだったのか? その津波の検証はどう行われていてどのようなデータがあるのか? これまで県や市は明治クラスの津波対策をどのようにしてきたのか? そして今次の津波にどう生かされどう生かされなかったのか? そのようなことが何一つ示されずに、ただ1番でないという理由だけで、(1番目をネグレクトする意味だけで)、明治29年の津波が将来の津波対策の対象にされている。だから内容的な事は何一つ分からずに無責任な当てずっぽうでの津波対策になっている。

 

■岩手県の資料では「津波の高さ」が唯一のデータとして示されている


宮古湾の場合。「明治津波の時の津軽石川河口での観測と津波のせり上がりを見て宮古湾内の設計水位を9.4mとし、それに余裕高1.0mを加えて10.4mとしたのが計画高」(夜の海猫さんブログより)。つまり、現行計画の防潮堤の高さである。県の資料では宮古湾の観測地点は湾口鍬ヶ崎港付近に図示されているが、ここでは津軽石川河口付近だという。その観測の真実味もどうかと思うが、強引に…高浜ではすでに工事も始まっている。

 

■均等に「10.4m」、はやまごのたわごと。湾奥に負荷


一番の疑問は10.4mが一律に宮古湾の計画防潮堤、水門に適用された事である。これは許されることではない。津波を知らないやまご(県庁)のたわごとである。同じ湾内なら津波は一律の高さで、一律の強さで波がせり上がるだろう、それに1m余裕をもっているから、湾奥以外の波高はその内法(うちのり)に収まり市街地への浸水はない、というもの。いかにも河川の洪水から類推したやまご学者のシミュレーションである。彼らは海についてはせいぜい高潮や高波、大潮程度の波しか学んでいない、津波も机上でしか考えていないからそのようなたわごとが言える。



そのようにシミュレーションされて地区地区のマニアルになっているが、鍬ヶ崎、光岸地や築地、中心市街地、藤原には10.4mの防潮堤、河口水門に守られてほとんど津波浸水はない事になっている。(明治津波を対象にした防潮堤のはずがなぜか?今次津波レベルの浸水もほぼ完全にブロックしている。この事が嘘っぱちで、したがって、どんなに恐ろしいシミュレーションであるか、やまごたちはまだ気づいていない)。



磯鶏あたりから、高浜、金浜、津軽石、赤前、白浜など、少しずつ浸水が始まり、宮古湾最湾奥の津軽石、赤前あたりは今次津波と同じような大浸水地帯となっている。いかにノーテンキなやまごの学問でも、機械は正直に湾奥の津波のせり上がりをはじき出している。しかしこれはV字形のリアス式海岸の宿命であると、海幸彦は、小学生・中学生でもみな分かっている事だ。分からないのは湾口、湾奥一律10.4mの計画である。



湾口、湾奥一律10.4mの計画で一般的に危惧されるのは、宮古湾に侵入した津波が余りにも極端に湾奥地区に負荷をかけ被害を集中させないかという事である。側面を防潮堤で囲まれた津波のせり上がりが、単に湾奥行き止まりへ等比級数的に増大するだけではなく、V字地形も加算されて幾何級数的に増える事である。波をあまりにスムーズに湾奥に追いやるだけでなく、V字型にせばめられた地形を遡上しようとする津波は、単に高さや波の越流だけではなく巨大な破壊力となって防潮堤そのものに襲いかかるのではないだろうか。やまごのシミュレーションは甘い、恐ろしい、と言わざるを得ない。

 

■「10.4m」では津波の破壊のエネルギーに耐ええない。


海幸彦の宮古市民なら、例えば鍬ヶ崎や中心市街地の人でも、浸水はないといわれても信用しない。それは津波の高さが場所によって変わるからである。防潮堤は均等でも津波の高さが均等であることはない。また、津波の襲撃スピードも早かったり遅かったりする。波のスピード(走る早さ)が違う事と、到達のスピード(到達時間)が違う事、それぞれ深刻に違う。ほか、地震と津波の間隔、地震による第一次破壊、昼夜の別。など、地区地区の海幸彦住民はそれぞれの危機感をもってこれらのことを考えている。それはここでは書かないが津波の破壊力は波の高さでないことを言いたい…。




※ 宮古湾の津波の破壊のエネルギーについて : 第2番目の津波を対象にするといっても、その破壊のエネルギーがどのくらいの大きさかという事は示されていない。高さ10.4mの防潮堤がどのような強度(設計)のものか誰も分かっていない。だから鍬ヶ崎地区の防潮堤計画の図が公式の「地区復興まちづくり計画」ででたらめに書いてあっても誰も気づかないのだ(10ページ、こんな計画は無効だ)。防潮堤そのものを誰も信用していないということだ。



 田老地区摂待にて、津波に運ばれてきた大岩
(2012.2.4web岩手日報)「宮古市の津波は秒速8mか 石やがれきで分析」



必要最小限のことを言うと、宮古市の瓦礫の量は86万トンと言われた。まさに、宮古地区を襲った津波の破壊のエネルギーは、重さに還元して最低に見積もっても86万トンなのである。詳しくはもう少し勉強してから後で書くが、宮古沿岸を襲った津波の速度は秒速8mに達していたという報道から推測して、感覚的に平均2分間に1km動いた津波が総量86万トンの破壊を行った(=瓦礫を作った)と言える。言い方を変えれば、最低86万トンの海水が平均時速30km(8m/1sec)で押し寄せて宮古湾沿岸を破壊したと言える。まさに140トンと言われる写真の巨石6000個以上が縦横無尽に防潮堤を打ち続けるイメージである。分かりにくければ重量1トンの乗用車が86万台、平均30キロのスピードで防潮堤を打ち続けるイメージである。釜石湾口防波堤、大船渡湾口防波堤、田老万里の長城が吹っ飛んだ理由であった。10.4mは耐えうるか?




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コメント (1)
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