宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

3/27 地震 夜 宮古震度5弱 高台移転

2012年04月03日 | 津波直面体験

先きの3月27日夜の震度5弱(マグニチュード6.4)の地震は、たんに3.11につながる余震だったというだけではなく、復興渦中の宮古人、鍬ヶ崎人、田老人、その他の地区の人たちに、恐怖以上の大きな感慨を与えたようだった。

津波に直結する大きな揺れであったからである。避難するべきかどうか? 考えながら避難した人もいたようだったが、避難しなかった人もいたようである。昨年の被災者のほとんどは、その時、仮設住宅にいたという特別な時期のものであった。また、津波の心配ない内陸部や高台の住宅に居て地震の揺れを感じていた被災者の人も多かったと思う。 

思いは同じであったかどうか? あらためて高台移転をうながす天の采配というべきか、高台移転の良い体験だったというべきなのか…。もう、低地には住めない、という踏ん切りになったかどうか…など。揺れ以上に深刻なタイミングの地震であったように思う。

よい意味でそうであってほしいと願う。


以下、ブログからの二三の引用──
(行間などは変更)

グリーンピアの仮設もかなり揺れました。5弱らしいが、4も5も、6も同じ?
でも、地震=すぐ逃げろがここはないから気が楽だとお袋。
これって、お袋だけじゃなく、皆もそうだと思う。
でも、3.11がよみがえり、恐怖におびえていた。 友達にもメールしたら電話がきて、「怖い、怖い」と・・・。
「だめだ、思いだす、津波がここには来ないと分かっていても、大丈夫かと怖い」と・・・・。
(田老)※地名は推測,以下同

若干の潮位変動があるとのことで、船のエンジンをかけて様子見。
潮も引くこともなく水子門も解放されと三十分後には帰ってきました。
帰りに、浄土ヶ浜に上る道路にでっかい石が落ちていました。
斜面から落ちてきたようです。第一ターミナルの駐車場には人がチラホラと。
地震にはこりごりです。あの時のことを思い出します。
(鍬ヶ崎)

あの日のような地震
大きく 長かったです
(重茂)

夜8時ちょっと過ぎ、いきなりのドーンと縦揺れの地震、一分以上は続いいたのか?
頭の中は真っ白
とりあえずストブを消して外に出るのが精一杯。
頭の中に叩きこんでおいたつもりの事がなに一つできていない。
慌てて戻って非常用品を持ち出す始末。
帽子もかぶっていない。手袋もしていない。たるんでいる!!
津波が無いとのニュースに半分本当かよと疑いながらも家に入り
気持ちを落ち着かせてから完全装備で、家の周りの点検に出る
良いあんばいに、石垣も何事もないようでひとまず一安心です。
(宮古)

震災以来、余りにも地震が多くて多少の揺れにも慣れてしまっていたが、さすがに「震度5」には驚かされる。
揺れも1分くらいはあったようだし、とっさに壁に捕まり火元と玄関を開けるなどバタついた。
すでに海岸から離れている場所に仮設住宅が建てられいるから津波の心配は無いものの、両親に電話するも30分以上はつながらず、震度5の反応の大きさに気づかされた。
改めて、やはり夜の地震は気持ち的に恐怖や不安を増幅にしてしまう。萎縮した気持ちでは人間は動こうとせず、そこに居座るのではないか?と、考えてしまう。
幸いにも嫁さんが居たので声を掛ける相手が居たのだが、これが独り暮らしだったら、身体か不自由だったら、もっと恐怖感を抱いてしまうのではないかと思ってしまう。もしかすれば、自分たちよりも地震に敏感になり、毎日ストレスになっているような気がした。
(高浜)




コメント (2)
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