国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

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坂道を転がり落ちるような男の詩 『美しき水車小屋の娘』編

2011年09月08日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
俗に「恋は下心、愛は真心」というが、
それがどれほど当たっているかは知らないが、
人が人を好きになるという現象は、
愛であれ、恋であれ、人生のある貴重な、かつ有意義な時間であるだろう。
人は胸を躍らせ、苦悶し、たまらなくなり、嫉妬をしては、
希望をつなごうとする。
だが、僕にはその最終的な姿というのは見えてこない。
これまた俗に言う「紙ペラ1枚」の関係を結んだとしても
その先に待ち受けるのは一体どんな世界であり、どんな生活なのだろうか。

この世に究極の恋愛があるとは思わないが、
結果としてそれが「自己満足」の一種であり、
その先にはやっぱり「自分」に帰結する感情なのだろうかと
ふと考えてしまう。

シューベルトが歌曲集『美しき水車小屋の娘』を作曲したころには、
元ネタである「水車小屋の青年」話が一部の芸術家に持ち上げられていたころである。
若き水車小屋の青年が親方の元を旅立ち、新しい水車小屋で働き始める。
そこの親方には美しい娘がいて、当然の事ながら青年は恋に落ちる。
娘の方もそれっぽいそぶりを見せつつ、やがて二人は心を通わせるのだが、
近くの森で狩りをする狩人が唐突に現れ、娘の気持ちを奪ってしまう。
絶望した青年は自殺をしてしまう。
と、いった書いてみると非常に古典的な恋愛話である。

この物語の主人公である粉ひきの青年は、つねに水車を回す小川と話す。
自分の行き先から恋の相談、最後にはその小川に身を投げるという
青年と小川とのつながりも注目すべき作品になっている。

『ペット・サウンズ』はいきなり最高点からのスタートだったが、
こちらの青年は非常に悩む。
「あの娘が思わせぶりなんだけど、いったい僕の気持ちは伝わっているのか?」
ようやく思いが伝わり、緑色のリボンをプレゼントするころには、
その気持ちが最高点へと達するのだが、すぐさま狩人に娘の気持ちがなびいてしまう。
そうすると娘が好きな色である緑が今度は疎ましく思えてきてしまう。
狩人も緑の森で狩りをしていることがよりその思いを助長させてしまうのだろう。
全20曲中青年の気持ちが明るいのはほんの3曲ぐらいで
後は常に悩んでいて、最後には自らの命を絶ってしまうのだ。

ピアノの演奏で小川の流れを表現し、そこにバリトンの声が青年を歌う。
小川の流れはいつも柔らかいのだが、自然に変化する水面の様子が、
まるで青年の気持ちと連動するように弾かれている。

青年の揺れる思いと娘の浮気心、狩人の何の気無しの様子など
非常に人間模様が上手く描かれていると思う。
だが、最後に身を投じてしまう青年はやっぱり「恋に恋している」と言わざるえない。
結局娘への「愛」を語らいながら、
そこに自己への「愛」も投影させていたように聞こえる。