国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

「天才」だから早く死ぬのではない。「天才」でもやはりそれなりの理由があって死ぬのだ!

2011年09月02日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
一生涯において何事かに我が身を投入しきるのは意外に難しいことだ。
「熱しやすく冷めやすい」などという言葉があるように
誰でも一度は情熱にうなされ、
気がついてみれば「そういえばそんなこともあったよなぁ」と
次の新しいことへ興味を移していってしまう。

そういった人のことを凡人というのかどうかは知らないが、
とにかく一つ事に全てを捧げきってしまったギタリストがいる。
チャーリー・クリスチャンだ。
ベニー・グッドマンという名前の割に性格的にグッドではなかったとの噂もある
スイング・ビッグ・バンドの元でギター一本で2年間活躍をした。
2年という期間はクリスチャンが夭折してしまったためだ。
彼の死にも「天才」という肩書きに沿うような話がある。
ベニー・グッドマンは白人のクラリネット奏者であり、
諸処様々な観点から黒人ミュージシャンたちも雇って楽団を成立させていた。
チャーリー・クリスチャンしかり、ライオネル・ハンプトンしかりだ。

ところが楽団での演奏では好き勝手なことができない。
与えられた曲に僅かばかりの間を縫って自分の技術を披露することになる。
クリスチャンはその演奏だけでは満足がいかず、
夜な夜なマンハッタンにあった「ミントンズ・プレイハウス」で
ジャムセッションに勤しむようにもなっていった。
「ミントンズ・プレイハウス」というのは
「ビバップの総本山」と呼ばれるようになり、
演奏を終えたミュージシャン達が寄り集まっては
好きなように明け方までジャムセッションし、己の技術を高めるとともに
「ビバップ」の実験室になっていった。
セロニアス・モンクやディジー・ガレスピー、ケニー・クラークなど
ビ・バップ創世記のそうそうたるメンバーが顔を出していたそうだ。

当然ながら朝までの演奏が終わったら、
次は昼間から夜までのグッドマンのバンドがある。
そんなこんなで毎日を過ごしていたため、持病の結核が悪化。
さらにドラッグと女遊びまで止めなかったから死期が早まったという。

嘘か真かは分からないが、その演奏技術の高さは納得のものだ。
『ジニアス・オブ・ザ・エレクトリック・ギター』は、
グッドマンバンドでのクリスチャンの選りすぐりの演奏が収録されている。
かなり前の演奏であるが、それでも聴きづらいということはない。
グッドマンのクラリネットも「さすが!」と思わされるのだが、
バンドリーダーと互角に張り合うクリスチャンの姿がある。
今聴いてみれば音楽自体は古くささがあるかもしれない。
だが、グッドマンとクリスチャンの丁々発止の演奏は、まったく古さを感じさせない。
スイング絶頂期も間もなく終わりを迎えるというころ。
チャーリー・クリスチャンはその狭間で新たな萌芽となったギタリストだったのだ。