国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

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『ポートレイト・イン・ジャズ』について語ろう 5 マイルスにいつの間にか持って行かれてしまった曲

2011年08月24日 | ビル・エヴァンスについて
『ポートレイト・イン・ジャズ』の6番目に録音したのが、
「ブルー・イン・グリーン」である。
ジャズをご存じの方ならばこの曲が少々いわく付きであることに気付くかもしれない。
この曲はマイルスの『カインド・オブ・ブルー』の3曲目にも入っている。
作曲者はマイルスの名がクレジットされているが、
実際には元アイディアはエヴァンスであったとされている。
とはいえ、マイルスが指示をしたという話もあるため、
結局「卵が先か、鶏が先か」の話になったりもする。

『カインド・オブ・ブルー』の時にこの件に関しては
エヴァンスもショックであったと言われている。
だがジャズの曲というのは往々にしてこうしたことがある。
まして著作権などという言葉が一般に知れ渡っていたわけでもない。
マイルスは小切手を25ドル分渡しただけという裏話もある。
そのこともあってか『ポートレイト・イン・ジャズ』の
「ブルー・イン・グリーン」では、
「デイヴィスーエヴァンス」と共作扱いになっている。

さて、この曲は本テイクになったのが3番目に録音したものである。
つまりそれまで2回分のテイクがあることになる。
だが残っているのは2番目と3番目だけのテイクである。
おそらく1番目のテイクは演奏自体が完全に出来上がらずに途中で止まってしまい、
テイク自体が破棄処分になってしまったのだろう。

この曲は『カインド・オブ・ブルー』との聴き比べが面白い。
『カインド・オブ・ブルー』では、静かな湖面に水滴を落とすかのような静寂感がある。
ところが『ポートレイト・イン・ジャズ』では、
どちらのテイクも軽くスイングしている。
確かに初めのテーマは密やかな緊張感がある。
だが演奏が進む事にエヴァンスのピアノが『カインド』とは異なる
ノリでリズムを取り始める。
つまり『ポートレイト・イン・ジャズ』では、
エヴァンスが本来演奏したかったであろう「ブルー・イン・グリーン」の姿が見られる。

僕の場合は深い感動を呼び起こすのは『カインド』の方である。
あの静寂は朝霧の中、澄んだひんやりとした空気が自然に流れゆく清涼感がある。
逆に『ポートレイト』の方は、
エヴァンスがただ耽美的なメロディーを追っていたわけではないという事が分かる。
確かに美しい。だが、その美しさはマイルスが求めた神経質な美しさではなく、
自由闊達な美しさがある。
枠を逃れ、3人が自由にそれぞれの美を追究しているかのようである。

本テイクとなった演奏は5分20秒。
その前のテイクが4分25秒ということで約1分延びている。
この曲をようやく思い通りに演奏できたエヴァンスが、
演奏を重ねてソロを練り込んでいったことが分かるだろう。
そして次の録音曲もまたマイルスの影が見て取れる。

『ポートレイト・イン・ジャズ』について語ろう 4 軽い肩慣らしで呼吸を合わせよう

2011年08月20日 | ビル・エヴァンスについて
「ペリズ・スコープ」のミドルテンポを維持したまま
2曲目の「ウィッチクラフト」(アルバムでは4曲目)の録音に入る。
ここからスコット・ラファロが本格的にその姿を現し始める。
この曲ではラファロのソロもあり、ゴリゴリとしたベース音がしっかりと耳の残る。
モチアンのブラッシュ・ワークが自己主張をせずにリズムを刻み、
その中でラファロがエヴァンスと同等に演奏を繰り広げることができている。
2曲目という事で全体的に肩慣らしの感もある演奏だ。

3曲目に「スプリング・イズ・ヒア」(アルバムでは8曲目)の演奏に入る。
たっぷりと間を取りながら、エヴァンスがソロを弾く。
ラファロが寄り添うように演奏をするためベースの音が目立たなくなるが、
それでもソロの合間を縫うように「ブン、ブン」と低い音をうならせる。
モチアンはあまり注目されないが、こういった静かな曲で聴きいってみると
普通にテンポを取るのではなく、流れるエヴァンスのピアノの音の間を聴きながら、
絶妙なバランスでシンバルを弾き、ブラッシングしているのが分かる。
この後でもそうだが、モチアンのドラム一つで演奏の流れがガラッと変わることもあり、
全体を支えているのがモチアンであることにも気付かされる。

4曲目は「ホワット・イズ・ディス・シング・コールド・ラヴ」(アルバムでは7曲目)
である(ちなみに邦題は「恋とは何でしょう」)
ここでガラリと印象が変わり、テンポがグッと上がる。
アップとまで言えなくとも、この日初めてスピードのある演奏となっている。
鍵盤の上を滑るかのようにエヴァンスは指を動かし、
そこにラファロとモチアンがついていくような感じがする。
ラファロがこの日2度目のソロを取り、エヴァンスがそれを盛り上げるかのように
強引な鍵盤さばきを見せると、それに合わせるようにモチアンも力強く乗る。
その後、モチアンの簡単なソロが入り、一気にエヴァンスが曲を引き締める。

5曲目は「カム・レイン・オア・カム・シャイン」(アルバムの1曲目)となる。
(邦題は「降っても晴れても」)
収録も半ばにさしかかり、それぞれがかなり自由に演奏を広げていっている。
この曲は後々もライブでよく取り上げたようで、
小曲として3人が演奏しやすかったのかもしれない。
前の曲からまたグッとテンポが落ち、スローな出足である。
アルバムの1曲目に配置するには少々の違和感もあるのだが、
実はこの後の曲とのつながりを考えるとやはりこの曲が1曲目で正解ということになる。

エヴァンスはこのアルバムを作る際にどうしてもこだわった部分が
ジャケットに見られる。
タイトルの下に「BILL EVANS TRIO」とある。
それまでのアルバムにはエヴァンスの名前しかなかった。
だが『ポートレイト・イン・ジャズ』では初めて「TRIO」と付く。
つまりはエヴァンスだけの作品ではないと言うことを意味しているのだ。
ここまでの5曲はワンテイクで録音された。いよいよここからが山場となる。

『ポートレイト・イン・ジャズ』について語ろう 3 さぁ、いよいよアルバムの中身へ

2011年08月17日 | ビル・エヴァンスについて
ドラマーのポール・モチアンについても少し取り上げておく。
モチアンとエヴァンスはすでに共演済みであり、
エヴァンスの初リーダー作『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』のドラマーでもある。
ところが1959年時点で、正式なトリオメンバーではなかった。
実はこれは後も言えるのだが、ジャズはロックと違い、
メンバーが常に固定化されているわけではない。(ロックもそういう場合があるが)
一回こっきりの契約メンバーということもある。

エヴァンスが『カインド・オブ・ブルー』の録音が終わった後、
とりあえずで組んだトリオが、
エヴァンス、ジミー・ギャリソン(ベース)、ケニー・ドニス(ドラム)であった。
ところが11月に「ベイジン・ストリート・クラブ」に出演中、
最初の一週間も経たないうちに2人は抜けてしまう。
(原因は対バンだったベニー・グッドマンのバンドの対応との比較や
 金銭面でのやりとりだったと考えられる。後で補足)
残りまだ2,3週間残っているのにだ。

そこでとりあえずエヴァンスは手当たり次第にベーシストとドラマーに声をかける。
エヴァンスの記憶ではベーシストが7人、ドラマーが4人であったそうだ。
ドラマーではエヴァンスの「お友達」でもある
フィリー・ジョー・ジョーンズも参加している。
最終的に時間の空いたポール・モチアンと遊びに来ていたスコット・ラファロが
トリオを組むことになる。

『ポートレイト・イン・ジャズ』は、その約1ヶ月後である
1959年12月28日、1日の録音で誕生することになる。
録音曲数は全11曲で、内1曲はアウト・テイクとなり、残り10曲が本テイクとなる。
リヴァーサイド側のプロデューサー、オリン・キープニュースにとってみれば、
前作からすでに1年近く経っているため、
そろそろエヴァンスのリーダー作を出したいとも思っていただろう。
何せエヴァンスはマイルスとも共演したピアニストである。
これは後々というか、他のジャズアルバムとも共通してくるのだが、
ジャズ・ミュージシャンたちは何も芸術作品を作りたいと考えていたわけではない。
売れないレコードを作るというつもりはなく、
ましてレコード会社の方では売れることも大切な目標の一つとなる。

エヴァンスにしてみればようやく自分の満足できるバンドができ、
その記録を残しておきたいという気持ちがバンド結成から1ヶ月後の録音につながり、
キープニュースにしてみれば、とりあえずアルバムが1枚作れそうだという考えから
生まれたアルバムとなる。
マイルスの『カインド・オブ・ブルー』は2日間の録音日が与えられている。
しかも向こうは5曲である。アウト・テイクもいくつもある。
ところが『ポートレイト・イン・ジャズ』は1日で11曲だ。
その待遇の差も見えてくるだろう。

最初に録音されたのはエヴァンスのオリジナル曲
「ペリズ・スコープ」(アルバム6曲目)である。
ジャズの曲名には意味がないものと意味があるもの、そして人物名を入れたものがある。
この曲はエヴァンスが当時付き合っていたガールフレンドのペリの名をつけたものだ。
軽やかなエヴァンスのタッチが、ぴょんぴょんと跳ねていく。
1曲目であるにも関わらず、ラファロのベースは遠慮なく、
エヴァンスが意図的に空けた音の隙間を縫うように
柔らかな低音で曲の外輪を組み上げている。
モチアンのシンバルがリズムを取り、その間を他のドラムで変化を付けていく。
エヴァンスしかソロはないが、他の2人の存在が否応なしに浮かび上がってくる。

この「ペリズ・スコープ」から、ほぼ全ての曲をワンテイクで取り、
1日で『ポートレイト・イン・ジャズ』が完成することになる。

『ポートレイト・イン・ジャズ』について語ろう 2 伝説のベーシストが参加をするまで

2011年08月16日 | ビル・エヴァンスについて
ビル・エヴァンスが語っている言葉である。
「ただひとりの演奏を他の人が追随するような形ではなく、
 トリオが相互にインプロヴィぜーションする方向で
 育って行けばいいと思う。たとえば、もしベース・プレイヤーが
 自分の演奏で応えたい音を聴いたとする。それなのにどうして
 四分の四拍子を後ろでただ弾き続ける必要があるんだ?」

つまり、エヴァンスはそれまでの基本的なピアノ・トリオの形式が
新たな段階に踏み出すべきだという考えを持っていた。
インプロヴィぜーション、ピアノがソロを取っているときに、
ベースが単に「ボン、ボン、ボン、ボン」とコードを押さえて
四分の四拍子で演奏するよりも
ピアノのソロ演奏を聴きながら、ベースもソロ演奏を取り、
お互いのソロが混じり合うことで、
それまでの演奏よりもより刺激的で、かつ新しいものが生まれると考えたわけだ。

僕は楽器をやらないため、
エヴァンスの追い求めたこの「インタープレイ」という考えがよく分からなかった。
ひいてはピアノ・トリオの際にベースの音がよく聴き取れていなかったとも言える。
色々とアルバムを聴いてみると、ベースというのはあまりにもその活躍度が地味である。
よく音楽聴き始めの人は低音が聴き取れないというが、
まさに土台にもなる低音がどの程度大切なものなのかがつかみづらい。
もし分からなかったら、
ぜひブルーノートのアルバムでベースに注意して聴いてみて欲しい。
全てとは言えないが、ベースがカッチリとリズムを刻むのを聴くことができるだろう。

『ポートレイト・イン・ジャズ』の直前までエヴァンスのトリオには、
後にコルトレーンの元で活躍することになるジミー・ギャリソンが参加をしていた。
だが、エヴァンスの演奏とは合わなかったことで、すぐに辞めてしまう。
ギャリソンはコルトレーンの元で開花しているが、
コルトレーンの演奏を支えるガッチリとした音が特徴である。
だから音楽を支えるための土台作りが得意なベーシストと言えるだろう。
それはエヴァンスの求めていた音楽とは違うものだ。

ベースの基本であるしっかりとした土台を作りながらも
変幻自在に柔らかく、臨機応変にメロディーに乗れるベーシストが
エヴァンスの目指すトリオに必要だった。
そこに表れたのがスコット・ラファロである。
実はトリオを組む前にエヴァンスとラファロはサイドメンとして演奏をしている。
ラファロがエヴァンスと演奏をするようになった経緯は様々あるが、
エヴァンスがクラブでの公演中に組んでいたトリオが解体してしまい、
その演奏日程を消化するために
よく聴きに来ていたラファロが共演したことがきっかけだとされている。

こうして一歩『ポートレイト・イン・ジャズ』へ近づくことになる。

『ポートレイト・イン・ジャズ』について語ろう 1

2011年08月13日 | ビル・エヴァンスについて
ビル・エヴァンスを語る上で抜かすことができないのが、
リヴァーサイド時代である。
井上陽水の歌にでも出てくるようなホテルが近くにあったかは知らないが、
小さなジャズのレコード会社があった。

リヴァーサイドでレコーディングをしたことのある
ギターリスト、マンデル・ロウが
プロデューサーのオリン・キープニューズに紹介したことがきっかけである。
1956年ということでまだまだエヴァンスの名前は売れず、
他のミュージシャンのサイドメンをしていたころである。
歴史の時間のようになってしまうが、
1959年にマイルスの下で『カインド・オブ・ブルー』を録音しているため
「有名」なピアニストとして名前が出てくるまで4年近くあるわけだ。

さて、今日の表に上がっている『ポートレイト・イン・ジャズ』は
1959年12月28日の録音だ。
つまり『カインド・オブ・ブルー』と同年の録音である
(ちなみに『カインド』は1959年の3月と4月にレコーディングしている)

『カインド』の前にはマイルスの下を首になっていたエヴァンスは、
サイドマンをしながらも、自分のバンドを作るための準備をしていた。
ところがなかなかそれが上手くいっていない。

ジャズ・ミュージシャンにとって大切なのは
実はレコーディングではなく、日々の糧を稼ぐライブである。
(「ライブ」と「コンサート」には差異があるだろう)
実際に56年にリヴァーサイドとレコーディング契約を結んでいても
自作が2枚、その他はサイドメンとしてのレコーディングだった。
キープニューズも元手を取るためのレコーディングを進めているが、
自作のレコーディングにエヴァンスはあまり積極的ではない。
エヴァンスの人生を追っていくと、レコーディングが頻度に行われる時期と
ほぼ行われない時期に分かれていく。
エヴァンスは自身のレコーディングに対して明確にコンセプションが固まらないと
行わないという様子が見られる。
(逆にサイドに回ったりする場合は、かなりきわどい企画でも参加することがある。
 金銭面的理由からという部分も見られる)

エヴァンスは、マイルスの下を離れてからあちこちでライブをしているが、
メンバーが途中で辞めてしまったり、逃げてしまったりしている。
そんな苦境の最中、生まれたのがファースト・トリオと呼ばれる伝説のトリオであり、
そして瑞々しい感性と新しいピアノ・トリオ形式を作り出したのが、
サラリーマン顔と呼ばれるジャケットの『ポートレイト・イン・ジャズ』である。