goo極楽トンボの人生行路

勝手気ままに、独断と偏見の瞑想空間ほ

病の好きなお年寄り

2015-11-30 19:18:18 | 日記
知り合いに病院の好きな御仁がいる。

国立病院の消化器科 泌尿科 眼科等など。
毎晩浴びる位酒を飲んで、胃がんの検査。
小便の出が悪いと言っては看護師に竿を引っ張りまわさせて何にも無かったと、嬉しがっている。
本当に悪いのは緑内障くらいだが、これが又角膜移植をすることになった? とのことで何かとやかましい。
己が物語の主人公にでもなったかの如くに。

角膜の提供者が大変少ないのに、移植を待っている人は沢山いる。
そんな状況なのに70後半の爺さんに誰が早速「どうぞ」なんて言うと思っているのか、先の見えた住所が病院内かと思われる者になんか、常識で考えても、角膜はまわって来ないのに、「手術の日程がはっきりしない」なんて周囲に恩着せがましく言い散らかして、情けを乞うてる。

何の活動もしないのに、団体役員の肩書が欲しくて、恰も『年寄りの金玉』の様に『何の役にも立たないのに、只ぶら下がっている』だけの迷惑爺さん

恥ずかしい気持も認識しないのに、早速認知症検査を受けささないといけませんね。

宗教国家と戦信国家

2015-11-29 10:43:55 | 日記
宗教を基盤として形成された国家と個人 個人が社会的諸条件を基盤として形成された国家とでは生き方が自ずと異なる。
個々の集団の形成がまちまちであるにもかかわらず、先進国否 戦信国はあらゆる地域で支配をしたがる。

アフリカに観られる直線的国境なんてその最たる表れである。

現在 中東に於ける戦状なんて宗教国家 宗派国家間の問題を宗教国家でない戦信国群が干渉している。
基本的な立場を考えないで問題解決なんて出来る筈が無いのだが、

権力は知性 誠意 理性等をも犠牲にしてのしまくる。

今 宗教国家にあっては、実生活が宗教=絶対的なものから現状確認派の民が、宗教の名の下に激情的そそのかし指導者の画策に自己を鼓舞する舞台を求めて戦状乱獲に集っている。当然価値感を持たない民が自己価値の確認を求めて集まる。

つまり、宗教国家と戦信国家とエセ宗教国家とが兵器産業振興と覇権獲得のために第三次世界大戦を展開しかけている。

宗教とは知的な民には精神的素養を高めるが、そうで無い者には示された旗の下に無条件でなびくものなんだ。

中東と思っていてのんびりしていると、日本も気をつけんと、特に大阪なんかはピッタリ条件地域で、先の首長選挙はIS国のソックリさんや国政選挙なんかみんなで何も考えないでお題目、図式そのものである。

黒門市場?黒門食道

2015-11-28 15:20:14 | 日記
久しぶりに黒門市場近辺に行ったので、師走も近いので、野次馬氣分で足を運んだ。

イヤァ びっくり仰天 人また人

歩行者に日本人を探すのが苦労するくらい、中国人を始め 外人の固まりだ。
歩いてる人より立ち食いのオンパレード、全く行儀なんてものじゃなくて、見るも哀れを感じる。まるで池の鯉に餌を投げ入れるが如き、不様も糞もあったもんじゃない。

黒門市場は黒門食堂? 黒門食道であった。

国民性とは怖いものだ。資質を問う前にエサを食べるのではなく、食事をすることから仕付けて、躾を教えなければならない。

黒門市場も金儲けばかり考えないで、環境の美化を考えな その内に闇市同然の市場に成らんとも限らない。

亡き球友

2015-11-27 02:14:38 | 日記
楕円形のボールをパスして4年間を共にしながら、大学を卒業してから一度も会う事も無かった人の喪中葉書で、彼の遺影に。

激しいラグビーの世界では考えられない程温厚な人柄の持ち主であった。
華麗なプレーは争わずに戦う真骨頂で誰しもが認め、未だにその残像が脳裏に焼き付いている。
ご礼室も『一度も喧嘩をした事がない』と話され、同席した者一同何の疑いも無く、流石真似の出来ない尊い人生観に私自身全く恥ずかしい限りで、未だに周囲に愚痴や文句の羅列生活が生き甲斐なのにはある意味恥ずかしい限りであった。

彼から限りないパスを受けたのに、どうしてこんな素晴らしい生き方を受け取らなかったんだろう。

彼のような聖人ばかりなら、世の中に争いなんか発生しないのにと、改めて教えられた。

もうじき年賀状

2015-11-26 10:50:20 | 日記
年の瀬が近ずくと喪中の知らせがやって来る。世代間の差はあるのだが、もう何時あの世に逝ってもいい歳になると、毎日のように来るのだが、最近は我々世代では無くその親の知らせがやって来る。
90何歳だとか先日は100歳というのがあったりして、私自身は元気だと過信しているが、100歳なんて聞くと自信なんて吹っ飛んでしまう。

年賀状の準備をするのに、出さなくても良い人がパラパラ出てくるとその整理に劣化したオツムが ガラガラ言いながら、結局適当に間違って発送してしまう。

でも歳の所為にして厚かましく言い訳逃れが出来るのも、永年の御苦労のお陰とほくそ笑んで居られるのが、楽しい。

年賀状は年に一度の博愛なるプレゼントだと思い、今年も迷い文句をかんがえないと。