goo極楽トンボの人生行路

勝手気ままに、独断と偏見の瞑想空間ほ

お友達の近況

2015-04-28 07:31:12 | 日記
桜の花が散って新緑が我々の目に潤いを与えてくれる頃になって来た。
ここ二三日 青虫が良く目につくようになった。

最近は雀のお友達の姿が半減して、手の中にあるピーナッツの消費量が少なくなった。

この時季 雀は初期の子育てから中期の子育てへと移り変わる。
親鳥の口の中から餌を与えられていたのを、口移しで親鳥から餌を与えてもらう時季になる。
その餌が青虫なのである。

私のピーナッツを必要とする雀と青虫を運ばなければならない雀がピーナッツの消費量に変化をもたらせている。

間も無く第三次子育て期間になると、子雀が親鳥の姿を追って喧しく鳴きながら餌をねだる姿が観られる。

雀は春に数回子育てをする。
当分の間子雀の鳴き声が街中を賑やかにすることになる。

春乱ラン

2015-04-27 02:11:20 | 日記
最近 応援しているところがみんなさっぱりなんだ。

Jリーグセレッソ大阪はJ2に落ちてなお低迷している。
森島氏をはじめOB諸氏と親しくさせていただき喜んでいるのだが、来季のJ1昇格は??

阪神タイガースは例年ならまだ夢の中なのに、今年はもはや夢よさらば状態である。
このモヤモヤした試合を観ていると、早く監督の交代を望むばかりである。

一方趣味の世界で有り金叩いて夢を求めているのがケイリンである。
ケイリンのG2共同通信杯の初日から、絶対本命武田は二次予選にも進めず、浅井は失格
二次予選もAには進めずBに村上兄弟 深谷 が雁首をそろえている。
これでは幾ら軍資金は有ってもやってられない。
夢が空夢の連続では悪夢そのものである。

私が応援する相手が悪いのか?
それとも私が死神なのか?
春爛漫があんまり面白くもない日が続いている。

いよいよゴールデンウィークが待っている。
心が五月晴れになる事を祈るばかりである。


何がうれしいのか

2015-04-26 17:14:12 | 日記
この歳になって、アカの他人の誕生日にプレゼント出来るなんてやっぱり嬉しい事である。

2月の私の誕生日にプレゼントを頂き「使って下さいね」とメールが来た。
頂いたのはハンカチーフなので、昔なら「サヨナラ」の意味を持つ品物であったが、世の中が
変わって今まで手にしたことのないような上物であった。

バレンタインのお返しのホワイトディにはピアスをしたのだが、今回も亦ピアスにした。
多少色合いが違うのでそれなりに用途はあるだろう。

月に一二度食事をしてお互いを確認しているのが現状なのだが、秋には旅行をしようかと企んでいる。

昨年末に「札幌雪まつり」の話をした時にはOKであったが、飛行機と宿屋が調整出来ず事が進められなかった。

今秋は同窓会も淡路島なので、信州方面にお連れしたいものだ。

多分、役に立たんだろうが、モノは試しで

家族からは「色ボケするな」と言われているのに?

無名人生

2015-04-24 02:49:41 | 日記
有名人に成りたい人は沢山いるだろうが、私は有名人にはなれなかった事が自分の人生を省みたら良かったように思う。

最近 元中学校の校長に艶物語でとてつもない数の少女に対する淫行事件が発覚したが、あの数字はどう考えても可笑しい。
数字は兎も角として、あれも中学校の校長でなければ、さしたる問題でも無かった。

同じ様に先生になる予定の大学を出て、一流企業に勤めて、そのまま定年まで勤めていたら、多分半有名人となって指を指される処を早々と退職して、名も無く好き勝手な無規律三昧の悪行を重ねても、有名人とはおおよそ掛け離れた社会的浮遊人の私の諸行には、誰も関心を持たない。

「人格は臍から上」を座右の銘としている私の日常生活は、社会人になってから徹底して女性のみであった。
一流企業に勤めていた頃は自己の昇進と女性問題がばれないかのシーソーゲームが常に頭を悩ませていた。

どんな女性のご本尊を拝んでもみんな変な形状でいろんな香りを鼻先に漂わせて、事が済むとさしても特に変わりのない感想なのに、来る日も来る日も求め追いまくった。

幼き頃は大学の先生かヤクザの親分に成りたいと思っていた。
大学の先生はそれなりのあこがれであったが、ヤクザの親分は「金と女」が自由になると考えたからだ。

今 自己の生涯を振り返ると、ある意味では小さい時の夢であったヤクザな生活をやって来た感じである。

全く不品行極まりない 遍歴は表面には現れない私の豊かな艶情となって、今も一刻一刻脈々と体内をゆるやかに流れている。

あの世は多分地獄だろう。

枯れ木の年齢

2015-04-22 22:38:18 | 日記
大学で共にラグビーをやっていた後輩が、ヘルニヤの手術で入院して、Facebookで心の淋しさを伝えて来た。

病院なんかにいると誰しも先のことが案ずるものだが、私の馬鹿な声掛けに元先生らしく説得力のあるコメントが返って来た。

処で今年喜寿を迎えた私は今のところ心身ともにここ10年は余り変化?進化?老化?劣化らしきものを感じていない。

感じない事自体が老化否劣化しているのかもしれないが。

この歳になると、先のことなど余り考えずに息をすることが大切である。

最近、心の片隅にほのぼのとした気持ちを感じているのだが、いざと言う時にもしも役立たずならとの心配が頭の中を駆け巡っていること以外は現状は枯れ木そのものである。

花も実も
絶えていつまで
枯れ木かな

人生は 墓場への 前奏曲である。