東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

真言宗

2023-01-30 22:47:50 | 日記
 カルト密教の呪いは強烈だなあ。念のようなもので力づくで押し潰されるみたいで、強烈な頭痛はするし、首は痛いしさあ。
 
 真言宗は大きく分けて古義真言宗と新義真言宗があって、新義真言宗では興教大師といわれる覚鑁上人を中興の祖としているようです。真言宗智山派と真言宗豊山派は新義真言宗、新義真言宗の中に新義真言宗という宗派があって、和歌山県岩出市にある根来寺は新義真言宗の総本山で、根来寺には覚鑁上人の御廟があるみたいです。
 
 覚鑁上人は佐賀県鹿島市の出身ということになってるらしく、鹿島市に誕生院という寺があって、覚鑁上人の生誕地に創建された寺らしい。誕生院は大正時代に鹿島藩の最後の藩主の鍋島直彬が再興したらしい。鹿島藩の鍋島氏は鍋島直彬の次は鍋島直大の息子が継いだようだ。
 
 和歌山県伊都郡高野町に金剛峰寺があって、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山のようです。高野山の奥の院は真言宗の開祖の空海上人の御廟のようです。空海上人は佐伯氏の出身で、幼名は佐伯真魚というみたいです。
 
 金剛峰寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
 
 

修験道

2023-01-30 22:45:06 | 日記
 蔵王権現は役行者が感得した日本独自の神仏ということになってるようだけど、密教の法具を持ってるし、インドの行者みたいな恰好してるし、この人たちのやってることは密教の気がするんですけど・・・。
 
 奈良県の吉野は役行者が修験の山として開いたことになってるようだけど、吉野には金峰山寺と大峰山寺があって、蔵王権現を本尊に祀っているみたいです。大峰山寺は大峰山にある山上ヶ岳の山頂付近にあるみたいです。
 
 奈良県吉野郡吉野町に金峰山寺があって、山号は国軸山のようです。金峰山寺のHPを見ると、明治維新の後の明治7年(1874年)の修験道廃止令で廃寺になったらしく、明治19年(1886年)に天台宗の寺として再興されたらしい。本当か知らない。昭和23年(1948年)に金峰山修験本宗を立宗したようです。
 
 金峰山寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

醍醐

2023-01-30 22:39:52 | 日記
 強烈に首が痛い。
 
 江戸時代の修験道は統制されていて、天台系の本山派と真言系の当山派があって、羽黒山のような地方の修験組織もあったみたいだけど、羽黒山は天台系の修験道だったらしい。本当か知らない。
 
 真言系の修験道の当山派の総本山は京都にある醍醐寺の三宝院というところだったらしい。醍醐寺は平安時代に醍醐天皇の勅願で聖宝という僧が創建したことになっていて、聖宝は当山派の開祖とされていたみたいです。醍醐寺は今は真言宗醍醐派の総本山のようです。
 
 醍醐寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

平群

2023-01-30 20:15:12 | 日記
 なぜか、ここからカルト密教の気のようなものが来るみたいなんだよなあ。上から押し潰されるような強烈な頭痛がするっていうかさ。
 
 大阪府南河内郡太子町にある叡福寺という寺には聖徳太子の御廟があるようだ。叡福寺は上之太子ともいわれ、山号は磯長山のようです。聖徳太子の妃は膳部大郎女という女性のようだけど、ウィキペディアで調べると、膳氏の出身で、高橋妃とも記されてるようだ。高橋氏は、もともとは膳氏という氏族で、天皇の食事を作る氏族ということになってるらしい。膳氏の祖が磐鹿六雁命ということになってるようだ。
 
 奈良県奈良市にある高橋神社と千葉県南房総市にある高家神社と栃木県小山市にある高椅神社では磐鹿六雁命を祀っていて、磐鹿六雁命は高橋氏の祖神で、南房総市の高家神社のHPを見ると、磐鹿六雁命は料理の神様で、醤油醸造や調味料の神様のようです。
 
 インターネットで調べると、奈良市にある高橋神社が発祥の高橋氏は物部氏の系統の高橋氏とでてくる。なんでか知らないけど。
 
 奈良県生駒郡平群町にある信貴山朝護孫子寺は信貴山真言宗の総本山で、毘沙門天王の総本山といっているらしい。朝護孫子寺の由緒は聖徳太子の物部守屋討伐の話と関係あるらしく、信ずべし貴ぶべき山ということで信貴山になったらしい。本当か知らない。平安時代に朝護孫子寺の僧の命蓮上人が醍醐天皇の病気平癒の祈祷をしたらしく、朝護孫子寺の寺号を賜ったことになってるようだ。
 
 物部守屋が聖徳太子に討たれたという話は嘘の気がするけど、南方熊楠は土宜法龍という真言宗の僧と往復の書簡をずっと続けていたらしいし、明治時代の密教の僧で一番著名な僧は土宜法龍という僧のようだけど、どうなんだろうなあ?。それだけじゃなく、お寺の人たちも仲間なんでしょ?。
 
 朝護孫子寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

天台宗

2023-01-30 20:03:44 | 日記
 一隅を照らすですか・・・。
 
 明治以降の天台座主で一番著名な僧は山田恵諦という僧のようだけど、昭和49年(1974年)から平成6年(1994年)まで20年間も天台座主を務め、「一隅を照らす運動」の総裁を務め、比叡山宗教サミットを主催したようだ。
 
 山田恵諦という僧の前の天台座主の菅原栄海という僧は岩手県奥州市の江刺の出身らしい。岩手県の寺の本にも、そう載ってる。江刺にある勝軍寺という寺の息子らしいけど、行ってみたら、寺が無かった。勝軍寺の山号は愛宕山で、勝軍地蔵を本尊に祀ってたらしい。
 
 奥州市の水沢の羽田というところには坂上田村麻呂と戦った蝦夷の長のアテルイの拠点といわれる場所があって、田茂山という丘のような山で、出羽神社があって坂上田村麻呂の創建ということになってます。奥のほうに愛宕神社があって、古塚があります。去年の秋頃に行ってきたけど、明治時代に愛宕神社の社殿を新しく建てたらしい。
 
 天台宗の開祖の最澄の庇護者は桓武天皇ということになってるけど、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して東北の征夷を行った人も桓武天皇ということになってる。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしいけど、久邇宮朝彦親王は明治維新の前は天台座主にも就いたこともあるらしいけど、本当か知らない。梨本宮守脩親王が江戸時代の最後の天台座主で、梨本宮守脩親王も還俗して、梨本宮守脩親王には後継ぎがいなくて、梨本宮家は久邇宮朝彦親王の息子の梨本宮守正王が継いだようだ。梨本宮守正王は太平洋戦争の終戦の頃の伊勢神宮の祭主らしい。
 
 明治維新の後に天台座主はいなくなり、明治17年(1885年)に復活したらしい。本当か知らない。ウィキペディアを見ても、明治時代や大正時代に特筆するような天台座主はいなかったみたいなんだよなあ。
 
 天台宗は天台法華宗ともいうらしく、法華経を根本経典にしていて、天台宗の発祥の地は中国にある天台山らしい。日本の天台宗の総本山の滋賀県大津市にある比叡山延暦寺では、密教や禅や念仏もあって、総合仏教といってるみたいです。
 
 延暦寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか