東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

天台宗

2023-01-30 20:03:44 | 日記
 一隅を照らすですか・・・。
 
 明治以降の天台座主で一番著名な僧は山田恵諦という僧のようだけど、昭和49年(1974年)から平成6年(1994年)まで20年間も天台座主を務め、「一隅を照らす運動」の総裁を務め、比叡山宗教サミットを主催したようだ。
 
 山田恵諦という僧の前の天台座主の菅原栄海という僧は岩手県奥州市の江刺の出身らしい。岩手県の寺の本にも、そう載ってる。江刺にある勝軍寺という寺の息子らしいけど、行ってみたら、寺が無かった。勝軍寺の山号は愛宕山で、勝軍地蔵を本尊に祀ってたらしい。
 
 奥州市の水沢の羽田というところには坂上田村麻呂と戦った蝦夷の長のアテルイの拠点といわれる場所があって、田茂山という丘のような山で、出羽神社があって坂上田村麻呂の創建ということになってます。奥のほうに愛宕神社があって、古塚があります。去年の秋頃に行ってきたけど、明治時代に愛宕神社の社殿を新しく建てたらしい。
 
 天台宗の開祖の最澄の庇護者は桓武天皇ということになってるけど、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して東北の征夷を行った人も桓武天皇ということになってる。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしいけど、久邇宮朝彦親王は明治維新の前は天台座主にも就いたこともあるらしいけど、本当か知らない。梨本宮守脩親王が江戸時代の最後の天台座主で、梨本宮守脩親王も還俗して、梨本宮守脩親王には後継ぎがいなくて、梨本宮家は久邇宮朝彦親王の息子の梨本宮守正王が継いだようだ。梨本宮守正王は太平洋戦争の終戦の頃の伊勢神宮の祭主らしい。
 
 明治維新の後に天台座主はいなくなり、明治17年(1885年)に復活したらしい。本当か知らない。ウィキペディアを見ても、明治時代や大正時代に特筆するような天台座主はいなかったみたいなんだよなあ。
 
 天台宗は天台法華宗ともいうらしく、法華経を根本経典にしていて、天台宗の発祥の地は中国にある天台山らしい。日本の天台宗の総本山の滋賀県大津市にある比叡山延暦寺では、密教や禅や念仏もあって、総合仏教といってるみたいです。
 
 延暦寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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