東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

お祓い

2023-01-17 20:27:12 | 日記

京都

2023-01-17 20:04:49 | 日記
 忠臣蔵ですか・・・。
 
 明治維新の後に胆沢県ができて、岩手県奥州市の水沢には胆沢県庁が置かれて、安場保和という人が来て大参事という役職に就いたらしいけど、本当か知らない。安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたらしく、後藤新平も斎藤実も安場保和に見出された少年ということになってるらしい。後藤新平は安場保和の娘を妻にしたみたいだ。
 
 安場保和の安場家は熊本藩の家老の家柄で、安場家の祖先は赤穂事件の時に大石内蔵助の切腹の介錯をしたらしい。大石内蔵助は江戸にあった熊本藩の細川氏の屋敷で切腹したことになってるようだ。
 
 東京都港区にある曹洞宗の寺の泉岳寺には赤穂藩の藩主だった浅野内匠頭と赤穂浪士の墓があるらしい。泉岳寺の山号は萬松山のようです。泉岳寺のHPを見ると、明治時代に義士宝物館が建てられ、大正時代に関東大震災があって義士宝物館が崩壊したらしいけど、再建されたようだ。大石内蔵助の像も大正時代に泉岳寺に移されたみたいです。
 
 京都に法住寺という天台宗の寺があるらしく、法住寺には赤穂浪士の四十七士像があるらしい。法住寺の本尊は身代わり不動明王像のようだけど、大石内蔵助は法住寺の身代わり不動明王像に祈願して討ち入りを成就させたみたいです。
 
 法住寺には後白河天皇の墓所があるらしい。後白河天皇は譲位した後に院政を行ったことになってるらしい。後白河上皇の時代には平家の栄華があり、源氏と平家の戦いがあって平家が滅び、奥州藤原氏も源頼朝に滅ぼされたことになってるみたいです。忠臣蔵の話も、源氏と平家の話も奥州藤原氏の話も作り話の気がするけど、誰なんだろう?、この人は。
 
 法住寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

熊本

2023-01-17 20:00:05 | 日記
 アマビエですか・・・。
 
 明治維新の後に胆沢県ができて、岩手県奥州市の水沢には胆沢県庁が置かれて、安場保和という人が来て大参事という役職に就いたらしいけど、本当か知らない。安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたらしく、後藤新平も斎藤実も安場保和に見出された少年ということになってるらしい。後藤新平は安場保和の娘を妻にしたみたいだ。
 
 安場保和の安場家は熊本藩の家老の家柄で、安場家の祖先は赤穂事件の時に大石内蔵助の切腹の介錯をしたらしい。大石内蔵助は江戸にあった熊本藩の細川氏の屋敷で切腹したことになってるようだ。
 
 東京都港区にある曹洞宗の寺の泉岳寺には赤穂藩の藩主だった浅野内匠頭と赤穂浪士の墓があるらしい。泉岳寺の山号は萬松山のようです。泉岳寺のHPを見ると、明治時代に義士宝物館が建てられ、大正時代に関東大震災があって義士宝物館が崩壊したらしいけど、再建されたようだ。大石内蔵助の像も大正時代に泉岳寺に移されたみたいです。
 
 滋賀県大津市にある佐久奈度神社の祭神は祓戸四神のようだけど、佐久奈度神社は大祓詞のもとになった中臣大祓詞の創始の地らしい。佐久奈度神社のある大石というところは大石内蔵助の大石氏の発祥の地らしい。佐久奈度神社のHPに、そのようなことが書いてある。
 
 熊本県上益城郡山都町にある幣立神宮ではカムロギとカムロミを祀っているようだけど、本当かどうかわからない。カムロギとカムロミは大祓詞の最初に登場するらしい。幣立神宮では天御中主神を祀ってるみたいだし、大宇宙大和神とか意味不明です。幣立神宮には八大龍王が鎮まる池があるみたいです。
 
 幣立神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

京都

2023-01-17 19:56:40 | 日記
 アマビエですか・・・。
 
 京都には神泉苑という真言宗の寺があるらしく、神泉苑で御霊会が行われたのが祇園祭の始まりらしい。神泉苑のHPを見ると、境内に池があって善女龍王社があるらしい。神泉苑の池には善女龍王が住んでいるといわれてるらしく、雨乞いの祈祷が何度も行われてるらしい。本当か知らない。
 
 京都の八坂神社ではスサノオを祀っていて、京都の八坂神社には疫神社があって蘇民将来を祀ってるらしい。牛頭天王とスサノオは同じということになってるみたいだけど、牛頭天王は疫病の神ということになってるようだ。
 
 八坂神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

川西

2023-01-17 19:41:04 | 日記
 インターネットで調べると、日本三大酒どころは兵庫県の灘と京都府の伏見と広島県の西条らしいけど、西条の代わりに久留米市の城島が入ることがあるらしい。
 
 福岡県にあった久留米藩の藩主は有馬氏で、有馬氏は兵庫県にいた赤松氏の人が有馬氏を名乗ったことになっていて、ウィキペディアで調べると、関ヶ原の戦いの後、有馬氏は三田藩の藩主と福知山藩の藩主になって、三田藩は、一旦、福知山藩の領地になって、福知山藩の有馬氏は久留米藩に移ったみたいです。三田藩は兵庫県三田市の辺りにあって、福知山藩は京都府福知山市の辺りにあったみたいです。
 
 三田藩には九鬼氏が来て、廃藩置県まで九鬼氏が三田藩の藩主だったようだ。京都府綾部市の辺りにあった綾部藩の藩主も九鬼氏だったみたいです。福知山藩は藩主の入れ替わりが激しかったみたいだけど、江戸時代の中頃に朽木氏が来て、廃藩置県まで朽木氏が藩主だったようだ。
 
 またまた、そんな・・・。
 
 京都に六孫王神社という神社があるらしく、源経基という人を祀ってるらしい。源経基は清和源氏の始祖ということになってるらしく、源経基は清和天皇の六男の人の息子で、源経基は清和天皇の孫ということで、六孫王神社というらしい。六孫王神社は清和源氏の発祥の宮らしい。六孫王神社には神龍池という池があるらしく、鯉が神の使いらしく、鯉と恋をかけて恋のかけ橋という橋があるらしい。
 
 京都府福知山市にある大江山には源頼光の酒呑童子退治の伝説があるようだ。源経基の息子が多田満仲といわれる源満仲で、源頼光は源満仲の息子で、源頼光の子孫の源氏は清和源氏でも摂津源氏や多田源氏というらしい。
 
 兵庫県川西市にある多田神社は源満仲の創建で、源氏の祖廟で清和源氏の発祥の地らしい。多田神社の境内には鬼首洗池という池があって、源頼光が酒呑童子の首を洗ったといわれてるみたいだ。源氏の人たちが本当に明治時代の前に日本にいたのか知らないけど、大分県日田市には酒呑童子山があるらしいけど・・・。
 
 多田神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか