東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

平群

2023-01-30 20:15:12 | 日記
 なぜか、ここからカルト密教の気のようなものが来るみたいなんだよなあ。上から押し潰されるような強烈な頭痛がするっていうかさ。
 
 大阪府南河内郡太子町にある叡福寺という寺には聖徳太子の御廟があるようだ。叡福寺は上之太子ともいわれ、山号は磯長山のようです。聖徳太子の妃は膳部大郎女という女性のようだけど、ウィキペディアで調べると、膳氏の出身で、高橋妃とも記されてるようだ。高橋氏は、もともとは膳氏という氏族で、天皇の食事を作る氏族ということになってるらしい。膳氏の祖が磐鹿六雁命ということになってるようだ。
 
 奈良県奈良市にある高橋神社と千葉県南房総市にある高家神社と栃木県小山市にある高椅神社では磐鹿六雁命を祀っていて、磐鹿六雁命は高橋氏の祖神で、南房総市の高家神社のHPを見ると、磐鹿六雁命は料理の神様で、醤油醸造や調味料の神様のようです。
 
 インターネットで調べると、奈良市にある高橋神社が発祥の高橋氏は物部氏の系統の高橋氏とでてくる。なんでか知らないけど。
 
 奈良県生駒郡平群町にある信貴山朝護孫子寺は信貴山真言宗の総本山で、毘沙門天王の総本山といっているらしい。朝護孫子寺の由緒は聖徳太子の物部守屋討伐の話と関係あるらしく、信ずべし貴ぶべき山ということで信貴山になったらしい。本当か知らない。平安時代に朝護孫子寺の僧の命蓮上人が醍醐天皇の病気平癒の祈祷をしたらしく、朝護孫子寺の寺号を賜ったことになってるようだ。
 
 物部守屋が聖徳太子に討たれたという話は嘘の気がするけど、南方熊楠は土宜法龍という真言宗の僧と往復の書簡をずっと続けていたらしいし、明治時代の密教の僧で一番著名な僧は土宜法龍という僧のようだけど、どうなんだろうなあ?。それだけじゃなく、お寺の人たちも仲間なんでしょ?。
 
 朝護孫子寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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