東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

稲荷

2023-01-30 23:58:14 | 日記
 貞子ですか・・・。
 
 稲荷神社の総本社といわれる京都にある伏見稲荷大社では宇迦之魂と佐田彦大神と大宮能売と田中大神と四大神を祀ってるらしい。伏見稲荷大社も秦氏の人が創建したことになってるらしい。伏見稲荷大社の千本鳥居の奥には稲荷山があって、稲荷山には鳥居がたくさんあって、ミニチュアの鳥居もたくさんあって、お塚といわれる場所がたくさんあるらしい。稲荷山が今のようになったのは明治以降らしいけど・・・。
 
 稲荷山には御剣社(長者社)があって、鍛冶と関係あるらしい。御剣社には巨石があって、僧が雷を石に縛り付けたといわれてるらしい。雷石といわれるらしい。
 
 高山昇という神道家の人がいて、ウィキペディアで調べると、日本各地の神社の宮司を務め、大正13年(1924年)に伏見稲荷大社の宮司に就任したようだ。高山昇は稲荷山に禊道場を作ったり、講を作ったり、西東京市に東伏見稲荷神社を創建したようだ。高山昇は神道関係の部署に就いたり、太平洋戦争の終戦後は神社本庁の顧問を務めたようだ。
 
 伏見稲荷大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

宇佐

2023-01-30 23:53:22 | 日記
 貞子ですか・・・。
 
 大分県中津市にある大貞八幡宮といわれる薦神社は八幡宮の総本宮の宇佐神宮の祖宮ともいわれるらしい。薦神社では宇佐神宮と同じ応神天皇と神功皇后と比売大神を祀ってるみたいです。薦神社には三角池という池があるらしく、池が内宮で神殿が外宮らしい。意味不明だ。
 
 八幡宮の総本宮の大分県宇佐市にある宇佐神宮では応神天皇と神功皇后と比売大神を祀っていて、応神天皇は神功皇后の息子で八幡大神ということになっていて、応神天皇は誉田別命というらしい。比売大神は宗像三女神ということになってるらしい。
 
 宇佐神宮の奥宮は御許山というところにあるらしく、大元神社という神社があって宇佐神宮の奥宮と大元八坂神社があるみたいです。宇佐神宮の境内にも八坂神社があるみたいです。
 
 宇佐神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

中津

2023-01-30 23:49:39 | 日記
 貞子ですか・・・。
 
 大分県中津市にある大貞八幡宮といわれる薦神社は八幡宮の総本宮の宇佐神宮の祖宮ともいわれるらしい。薦神社では宇佐神宮と同じ応神天皇と神功皇后と比売大神を祀ってるみたいです。薦神社には三角池という池があるらしく、池が内宮で神殿が外宮らしい。意味不明だ。
 
 奈良時代の隼人の反乱の時、隼人の反乱を鎮めるために三角池に自生する真薦で枕を作り、八幡神の御験にして神輿に載せ、宮崎県や鹿児島県のほうまで神輿を担いで行ったようだ。これが日本で最初の神輿らしい。よくわからないが、宇佐神宮のHPに、そのようなことが書いてある。
 
 奈良時代の九州には隼人と呼ばれる人たちがいたことになってるらしく、宇佐神宮の近くには隼人の首を葬った凶首塚があって、隼人の人たちの霊を祀る百体神社があるようだ。宇佐市に和間神社があって浮殿というみたいだけど、ここで放生会が行われるらしく、蜷や貝を海に放つらしい。宇佐神宮では放生会が行われてるみたいだけど、明治13年(1880年)に仲秋祭に名称が変わったらしい。本当か知らない。
 
 薦神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

大田

2023-01-30 23:48:05 | 日記
 上から押し潰されるような強烈な頭痛がする。
 
 三重県伊勢市に猿田彦神社があって、猿田彦神社のHPを見ると、猿田彦神社には佐瑠女神社があって、天宇受賣命と記載してるようだ。天宇受賣命は猿女君の称号を受けたようだ。
 
 猿田彦大神の子孫が猿田彦神社の宮司家の宇治土公家で、宇治土公家は伊勢神宮の式年遷宮の時に心御柱と御船代を作る役目を務めるらしい。インターネットで調べると、伊勢神宮の内宮の社殿の中には心御柱というものがあるらしく、建物の真中にあって、柱の役目をしてないらしい。その上のあたりに伊勢神宮の内宮の御神体の八咫鏡が収められてるらしい。
 
 島根県大田市にある物部神社は石見国の一宮で、物部氏の祖のニギハヤヒの息子のウマシマジを祀っているらしい。物部神社では鎮魂祭が行われるらしく、猿女の鎮魂法というみたいだけど、鎮魂は魂を鎮めるみたいなことではなく、魂を揺り動かし、魂に活力を与えるみたいなことらしい。ウィキペディアで鎮魂祭を調べると、猿女の鎮魂法は巫女さんが箱の上に乗って箱を矛で突くらしい。物部神社の鎮魂祭は宮中で行われる鎮魂祭に最も近いらしい。
 
 箱の上に乗って、箱を上から棒で突くんだってさ。
 
 物部神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

御室

2023-01-30 23:35:26 | 日記
 疲れたなあ。どうやったらカルト神道の呪いもカルト仏教の呪いも解けるんでしょう?・
 
 真言宗が今のようになったのも明治以降の気がするけど、明治時代の密教の僧で一番著名な僧は土宜法龍という真言宗の僧のようだけど、どうなんだろうなあ?。
 
 京都にある仁和寺は真言宗御室派の総本山のようだけど、仁和寺は皇族の人が出家して住職を務めていた門跡寺院ということになってるらしい。太平洋戦争の後、昭和天皇は出家して仁和寺の住職になる話もあったようだ。
 
 明治以降の仁和寺の門跡はウィキペディアに載ってる。釈雲照という僧は高野山で学び、戒律の仏教を提唱したようだ。釈雲照は十善会という会を発足したらしい。次の仁和寺の門跡の泉智等という僧も高野山で学び、真言宗の布教のために日本各地を巡り、仁和寺の門跡や江戸時代の天皇の菩提寺の泉涌寺の長老になり、高野山派の管長や金剛峰寺の座主にもなり、真言宗連合総裁にも就いたようだ。
 
 次の仁和寺の門跡の土宜法龍という僧は釈雲照を補佐し、十善会には久邇宮朝彦親王や小松宮彰仁親王も教えを受けに行ったようだ。土宜法龍は西域やチベットを旅行して密教学研究の基礎を築いたらしい。土宜法龍は仁和寺の門跡や真言宗御室派の管長や高野山真言宗の管長や真言宗連合総裁を務めたようだ。土宜法龍は南方熊楠と往復の書簡をずっと続けていたようだ。
 
 仁和寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか