東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

水沢

2023-01-18 23:34:40 | 日記
 火防ですか・・・。
 
 静岡県袋井市にある可睡斎は秋葉総本殿といってるようだ。可睡斎は日置黙仙という曹洞宗の僧が再興したらしい。可睡斎の本尊は聖観音で、可睡斎の奥の院には不動明王が祀られてるらしい。可睡斎の御真殿は秋葉総本殿というみたいだけど、秋葉三尺坊権現が祀られていて、火防の総本山らしい。
 
 岩手県奥州市の水沢の街には日高神社という妙見宮だった神社があって、境内に水沢伊達氏の留守氏の祖霊社の瑞山神社があります。本当に妙見宮だったのか知りませんけど・・・。日高火防祭か知らないけど、火と水だってさ。
 
 日高神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

静岡

2023-01-18 23:27:23 | 日記
 火防ですか・・・。
 
 静岡県袋井市にある可睡斎は秋葉総本殿といってるようだ。可睡斎は日置黙仙という曹洞宗の僧が再興したらしい。可睡斎の本尊は聖観音で、可睡斎の奥の院には不動明王が祀られてるらしい。可睡斎の御真殿は秋葉総本殿というみたいだけど、秋葉三尺坊権現が祀られていて、火防の総本山らしい。
 
 可睡斎のHPを見ると、可睡斎には居眠り和尚の逸話があって、人質時代の徳川家康の知り合いの僧がいて、徳川家康が後に浜松城主になった時に再会し、話をしている最中に居眠りをしてしまったらしい。その話から可睡斎という寺の名前になったようだ。可睡斎は袋井市の久能というところにあるようだ。
 
 徳川幕府の初代将軍の徳川家康の墓所は栃木県日光市にある日光東照宮と静岡県静岡市に久能山東照宮と二ヶ所あるみたいだけど、江戸時代の藩も怪しいんだけど、徳川幕府は本当にあったの?。
 
 久能山東照宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

日光

2023-01-18 23:18:41 | 日記
 岩手県の奥州市の辺りでは古峯山の石碑をよく見かける。
 
 栃木県鹿沼市にある古峰神社の祭神は日本武尊のようです。古峰神社のHPを見ると、日光の修行僧の人たちは明治時代の前まで古峰神社がある古峰ヶ原で修業する習わしになっていたみたいです。日光は奈良時代に勝道上人が修験の山として開いたことになっているみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 江戸時代は輪王寺宮という役職の人がいて、輪王寺の門跡と寛永寺の貫主を兼務し、天台座主にも就いてたらしいけど、本当か知らない。北白川宮能久親王は最後の輪王寺宮で、天台座主には就かなかったみたいだけど、戊辰戦争の時に奥羽越列藩同盟の盟主になったことになってるようだ。
 
 二荒芳徳という人は少年団日本連盟の初代理事長らしい。少年団日本連盟は太平洋戦争の後にボーイスカウト日本連盟になったらしいけど、二荒芳徳は太平洋戦争の後にボーイスカウト日本連盟の顧問と総コミッショナーに就任したようだ。
 
 二荒芳徳は愛媛県にあった宇和島藩の最後の藩主の伊達宗徳の息子らしい。ウィキペディアを見ると、二荒芳徳は北白川宮能久親王の息子の二荒芳之の養子になったみたいだけど、北白川宮能久親王の娘を妻にして二荒家に養子に入ったらしい。北白川宮能久親王には妻が何人もいたようだけど、伊達宗徳の娘の富子は北白川宮能久親王の妻になったようだ。これでいいんでしょうか?。
 
 ウィキペディアのフリーメイソンのところに日本のボーイスカウトとあって、少年団日本連盟の初代総裁の後藤新平はフリーメイソンと載ってる。大正11年(1922年)に少年団日本連盟ができたようだ。後藤新平が本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど・・・。
 
 昭和24年(1949年)に財団法人ボーイスカウト日本連盟ができたみたいだけど、三島通陽という人は昭和26年(1951年)にボーイスカウト日本連盟の4代目の総長になったようだ。三島通陽は太平洋戦争の後に日本でボーイスカウト運動を広めた人で、三島通陽もフリーメイソンに入会したようだ。三島通陽は少年団日本連盟の設立当初から関わってるらしく、少年団日本連盟の初代副理事長らしい。
 
 栃木県日光市にある日光東照宮と日光二荒山神社と輪王寺は江戸時代は一緒になってたようだけど、本当か知らない。戊辰戦争の話も嘘の気がするけど、なんなんでしょう?、この人たちは。
 
 輪王寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

白石

2023-01-18 23:16:28 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするし、明治天皇の前に天皇が日本にいたと思えないんだよなあ。
 
 宮城県と山形県の県境に蔵王連峰があって、刈田岳の山頂に刈田峰神社があって、宮城県の蔵王町の遠刈田温泉にも刈田峰神社があるらしい。蔵王町の宮というところにある刈田峰神社では日本武尊を祀ってるらしいけど、白石にいた片倉氏の守護神らしい。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 伊達藩では仙台と白石に城があって、他は城といっても要害というらしい。白石には片倉氏がいて、片倉氏は昔から伊達家に仕えていたみたいだけど、伊達藩の家臣の序列の家格の上位の一門ではなく、一家らしい。
 
 明治維新の頃の片倉氏の片倉景光という人は明治維新の後に北海道に移住したらしいけど、亡くなる前に白石に帰ってきたようだ。片倉景光という人は日本基督一致教会の信者だったらしい。次の片倉氏の片倉健吉という人は愛媛県にあった伊予吉田藩の伊達家から来た人らしい。大正時代に伊達藩の初代藩主の伊達政宗を祀る青葉神社の宮司に就いたようだ。今の青葉神社の宮司の人は片倉氏の人らしい。
 
 ウィキペディアで調べると、今泉定助という人は宮城県白石市の出身で、片倉氏の家臣の家の出身ということになってるようだ。今泉定助という人は神道思想家で、皇道といって、大正から昭和の時代に皇道精神を政治家や軍人や財界人の人たちに教えて人脈を広げたようだ。当時の歴代総理のほとんどの人が今泉定助という人の皇道の教えを受けていたようだ。今泉定助という人は國學院の講師を務めたり、皇典講究所の理事や神宮奉斎会の会長や日本大学皇道学院の学院長を務めたようだ。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

大津

2023-01-18 23:10:43 | 日記
 カルト神道の呪いは凄まじいなあ。犬に喉に噛み付かれてるみたいに苦しかったり、ヘビに首を絞められてるみたいに苦しかったりするしさ。
 
 岩手県一関市にあった田村藩には江戸時代に建部清庵という人がいて、「一関に過ぎたるものは二つあり、時の太鼓に建部清庵」と謡われていたらしい。ウィキペディアで調べると建部清庵は何代も続いたらしく、2代目の建部清庵が有名な人で、蘭学者で医者で、一関にいて江戸にいた杉田玄白と手紙のやり取りをして、蘭学の発展に貢献したらしい。本当か知らない。
 
 大槻玄沢という人も一関の出身で、大槻玄沢の孫が大槻文彦で、大槻文彦は明治時代に文部省に務め、日本初の近代的国語辞典の言海を編纂したらしい。大槻文彦の書いた伊達騒動実録が伊達騒動の基本資料になってるらしい。田村氏は伊達騒動の後に一関に来たことになってる。
 
 滋賀県大津市には建部大社があって、日本武尊と大己貴命を祀ってるらしい。日本武尊の話も作り話の気がするけど、日本武尊は岩手県まで来たことになってるらしい。
 
 滋賀県大津市にある日吉大社は日吉神社や日枝神社や山王神社の総本社で、日吉大社では大山咋神と大己貴命を祀ってるらしい。大国主と大己貴命は違う気がするし、大国主と大物主も違う気がするけど、カルト神道の呪いもカルト仏教の呪いも凄まじいなあ。
 
 日吉大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか