東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

伊達

2023-01-25 22:42:33 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするけど、ナントカ伊達氏の人たちは本当に明治時代の前にいたの?。
 
 岩手県一関市にあった田村藩の田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってる。田村氏は戦国時代は福島県の三春町にいて、戦国時代の終わり頃に途絶え、伊達政宗の妻の愛姫が田村氏の出身ということになっていて、伊達家が再興したことになってる。田村氏は伊達騒動の後に一関に来たことになっていて、伊達藩の中でも一つの藩のような扱いを幕府から受けてたらしい。本当か知らない。
 
 伊達藩の伊達氏は戊辰戦争の後に藩主が代わったらしく、伊達藩の最後の藩主は伊達宗基のようだ。伊達宗基は幼少で伊達家を継いだらしく、次の伊達家の伊達邦宗は伊達宗基の弟らしい。次の伊達家の伊達興宗は伊達邦宗の息子で、伊達興宗の時に太平洋戦争の終戦を迎えたようだ。
 
 宮城県仙台市に大年寺という黄檗宗の寺があるらしく、伊達家の菩提寺らしい。大年寺の山号は両足山のようです。明治維新の話は嘘の気がするけど、この人たちは何者なんだろう?。
 
 大年寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

田村

2023-01-25 22:41:10 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするけど、征夷ですか・・・。 
 
 岩手県一関市にあった田村藩の田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってる。田村氏は戦国時代は福島県の三春町にいて、戦国時代の終わり頃に途絶え、伊達政宗の妻の愛姫が田村氏の出身ということになっていて、伊達家が再興したことになってる。田村氏は伊達騒動の後に一関に来たことになっていて、伊達藩の中でも一つの藩のような扱いを幕府から受けてたらしい。本当か知らない。
 
 伊達騒動では一関にいた伊達兵部といわれる伊達宗勝が土佐に流されたことになってる。大槻文彦という人は一関市の出身ということになってるみたいだけど、明治時代に文部省に務め、日本初の近代的国語辞典の言海を編纂したらしい。大槻文彦の書いた伊達騒動実録が伊達騒動の基本資料になってるらしい。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 明治維新の後の田村氏の田村邦栄という人は宮城県角田市にいた石川家から来た人らしく、戊辰戦争の後に弟の田村崇顕に家督を譲ったみたいだけど、再び家督を継いだようだ。田村崇顕という人も石川家から来た人らしい。次の田村氏の田村丕顕は田村邦栄の息子で、海軍の軍人だったようだ。詳しく知らないので、ウィキペディアで調べて書いてます。
 
 伊達藩では仙台と白石に城があって、他は城といっても要害というらしい。宮城県角田市には石川氏がいて、伊達藩の家臣団の序列の一番上の一門の首席だったようだ。本当か知らない。
 
 一関市にある祥雲寺という臨済宗の寺に田村藩の田村氏の墓所があります。祥雲寺の山号は大慈山のようです。HPを見ると、明治時代に火事があって、その後に再建したと書いてある。坂上田村麻呂の征夷の話は嘘の気がするけど、カルト神道の呪いもカルト仏教の呪いも強烈だよなあ。
 
 祥雲寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

鍋島

2023-01-25 22:35:47 | 日記
 イタリアですか・・・。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになって、久邇宮朝彦親王の息子の梨本宮守正王が太平洋戦争の終戦の頃の伊勢神宮の祭主らしい。梨本宮守正王は佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大の娘の伊都子を妻にしたようだ。
 
 鍋島直大の妻の榮子は広橋家の出身で、広橋賢光という人の妹らしい。鍋島直大の娘の伊都子は梨本宮守正王の妻になって、梨本宮守正王と伊都子の娘の規子は広橋賢光の息子の広橋真光の妻になったようだ。ウィキペディアで調べて書いてるんですが、これでいいんでしょうか?。
 
 鍋島直大の息子の鍋島直映は関東大震災の後に渋谷区の松濤にあった自分の土地に被災した人や外国人を入居させ、松濤は財界人や政府要人が住む高級住宅街になったようだ。鍋島直映の息子の鍋島直泰の時に太平洋戦争の終戦を迎えたみたいだ。鍋島直泰はゴルフの腕も一流で、自動車マニアだったようだ。
 
 インターネットで調べると、明治以降の鍋島氏の墓所は東京にある青山霊園にあったみたいだけど、平成になって佐賀市にある鍋島家の墓所に移されたようだ。佐賀藩の鍋島氏が本当に明治時代の前に佐賀県にいたのか知らないけど・・・。
 
 鍋島家墓所ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

島津

2023-01-25 22:30:56 | 日記
 薩摩藩の島津氏の紋は丸の中に十字があるけど・・・。
 
 祭主は伊勢神宮でのみ置かれてる役職らしいけど、ウィキペディアで調べると、祭主は伊勢神宮で行われる大祭で奉幣使として行って、祝詞を奏上して、天皇の意思を神に伝える役目の人らしい。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになって、太平洋戦争の後は天皇の娘が伊勢神宮の祭主を務めるようになって、今の伊勢神宮の祭主は上皇の娘の黒田清子さんらしい。久邇宮朝彦親王の息子の久邇宮邦彦王は薩摩藩の最後の藩主の島津忠義の娘の俔子を妻にして、久邇宮邦彦王の娘が昭和天皇の皇后の香淳皇后らしい。今の天皇は久邇宮家と繋がってるらしい。
 
 長崎県長崎市にある大浦天主堂は元治元年(1864年)に建てられ、次の年に隠れキリシタンの人が大浦天主堂を訪れたようだ。信徒発見というみたいです。島原の乱は寛永14年(1637年)から寛永15年(1638年)にあって、島原の乱から200年以上経って、信徒発見ということになってるみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 浦上四番崩れというみたいだけど、慶応3年(1867年)に長崎県の浦上村にいた隠れキリシタンの人たちが捕まって、流罪になって拷問を受けたようだ。キリスト教の禁教が解かれるまで流罪や処罰が続いていたようだ。明治維新の後も日本ではキリスト教は禁教だったようだけど、明治6年(1873年)にキリスト教の禁教が解かれたみたいです。
 
 薩摩藩の島津氏の菩提寺は鹿児島市にあった福昌寺という曹洞宗の寺らしいけど、明治維新の後に廃寺になったみたいです。浦上四番崩れの人たちには薩摩藩に預けられて廃寺になった福昌寺に収容された人たちもいたようだ。その人たちは丁寧に迎えられたらしく、民家に住まわされたり、福昌寺で自炊生活をしたりして、内職のような仕事もしてたようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。福昌寺跡にはキリシタン墓地があるらしい。
 
 薩摩藩では明治維新の後の廃仏毀釈が凄かったらしく、薩摩藩にあった全ての寺が廃寺になり、全ての僧が還俗したらしい。本当か知りませんけど・・・。
 
 福昌寺跡ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

キリスト教

2023-01-25 22:26:23 | 日記
 薩摩藩の島津氏の紋は丸の中に十字があるけど・・・。
 
 明治維新の後に九州と山口県では士族の反乱があったらしいけど、明治7年(1874年)に佐賀県で佐賀の乱があって、明治9年(1876年)には、熊本県で神風連の乱があって、福岡県で秋月の乱があって、山口県で萩の乱があったみたいです。西南戦争は明治10年(1877年)にあったみたいです。本当か知らない。
 
 西郷隆盛の西郷氏は熊本県にいた菊池氏の系統の氏族らしく、西郷隆盛は菊池源吾という名前も使ってたみたいです。西郷隆盛は西南戦争で亡くなったみたいです。
 
 熊本県にいた菊池氏の人たちが岩手県奥州市の江刺に来たらしい。奥州市の隣の遠野市に菊池という名字が多いらしく、岩手県遠野市と熊本県菊池市は友好都市になってるみたいです。熊本県菊池市にある菊池神社は明治時代に創建されたようだけど、菊池氏の全盛期は南北朝の頃で、菊池氏は南朝に仕えた忠臣ということになってるようです。
 
 岩手県奥州市は江戸時代は伊達藩で、奥州市の江刺には岩谷堂伊達氏の岩城氏がいて、幕末の頃の岩谷堂伊達氏の人は亘理伊達氏から来た人のようだ。明治維新の後に岩城氏に戻したらしいけど、その後がわからない。
 
 亘理伊達氏は宮城県の亘理町にいたようだ。亘理伊達氏の伊達邦成という人は岩出山伊達氏から来た人のようだけど、明治維新の後に北海道に移住して北海道の伊達市の辺りの開拓に携わったようだ。伊達邦成は日本基督一致教会というところの信者だったようだ。伊達邦成の兄弟で岩出山伊達氏の伊達邦直という人は家臣を引き連れて北海道の当別町の辺りの開拓を行ったようだ。
 
 伊達藩では仙台と白石に城があって、他は城といっても要害というらしい。白石には片倉氏がいて、片倉氏は昔から伊達家に仕えていたみたいだけど、伊達藩の家臣の序列の家格の上位の一門ではなく、一家らしい。
 
 明治維新の頃の片倉氏の片倉景光という人は明治維新の後に北海道に移住したらしいけど、亡くなる前に白石に帰ってきたようだ。片倉景光という人は日本基督一致教会の信者だったらしい。次の片倉氏の片倉健吉という人は愛媛県にあった伊予吉田藩の伊達家から来た人らしい。大正時代に伊達藩の初代藩主の伊達政宗を祀る青葉神社の宮司に就いたようだ。今の青葉神社の宮司の人は片倉氏の人らしい。
 
 明治時代の神奈川県の横浜市には横浜バンドというプロテスタントの信者の人たちの集団がいて、日本基督公会だったみたいだけど、日本基督一致教会になったらしい。ウィキペディアに、そう載ってる。日本基督一致教会は日本基督教会に改称したらしい。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか