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映画「かかしの旅」 を観て。

2013-01-07 00:11:46 | 上映会のこと

昨日、映画「かかしの旅」を新居浜市民文化センターで観たことを、ブログにアップしようと思って書き込みしていたのに、なぜか本文がないまま更新してしまいました。(汗)失礼しましたぁ。

今回のこの映画は、愛媛県青少年健全育成東予大会で配布されて知ったのですが、新居浜市教育委員会後援で、「かかしの旅」上映実行委員会、愛媛県青少年育成リーダー協議会、NPO法人マネーカウンセリング協会等が主催で実現されました。

 

いま、いじめで命を絶つ若者が増えています。

この映画は、オムニバス小説集「いじめの時間」(朝日新聞社、新潮文庫)のなかの、稲葉真弓さん原作「かかしの旅」から映画化されました。

 

主人公の中学生卓郎は、小さい頃ベランダから落ちて右足が不自由になり「かかし」とあだなで呼ばれていた。家では普通に喋れるのに学校では声が出なくなる。同級生のいじめに彼は無抵抗だった。同じ頃、クラスメイトの一人がある日を境にいじめを受けるようになる。その子が喋らなくなり、誰も彼を助ける者もいない。ある日、誰にも相談することなく、自ら命を絶ってしまう。

卓郎は、ついに学校と家から飛び出す。いじめにあっていた現実から逃れるためではなく、「生きる」ために。かかしの旅は始まった。

行き先のない家出。泊まるところもなく逃避行。そんな彼を救ったのは、同じように学校と家を捨てた少年たち。彼らは理由もきかず手を差し伸べてくれる。

そこへ、卓郎を捜しに中学校の先生がやってきたことを知り、自分のことを心配してくれる人がいる、と動揺する。そして、先生へ手紙を書き始める。「先生、ぼくのことを今は探さないでください。自分が帰れるそのときまで待っていてほしい」と。

 

原作者の稲葉さんは、「かかしの旅」を書いているときたえず脳裏に浮かんでいたのは、一人の少年の遺書だったという。1986年2月、「俺だってまだ死にたくない。だけど、このままじゃ生きジゴクになっちゃうよ」と書いて自ら命を絶った。いじめを主題にした「かかしの旅」は、私自身にとっても答えの見つからないしんどい仕事だった。・・・この作品は、ある「夜回り先生」への取材から生まれた。この先生の真摯な闘いが私の心を動かし、「救いの光」のようなものを見せてくれた。・・・主人公の卓郎も、ひとりの教師を小さな「救い」として、町で知り合った者同士の触れ合いから、思いがけず「青空」が開ける場所に到達する。・・・彼らがたどり着く「おばあちゃんの家」がなんと素晴らしいユートピアに見えたことか。豊かな自然と、刻々と色を変える夏の空。が、そこは彼らの終点ではない。むしろ長い長い人生の、先の見えない出発点だ。・・・しかし、彼らのこのささやかな出発を祝福しないで、なにが「未来」といえるだろう。・・・最後に私は言いたい。どうにもならなくなったら、逃げていいんだ。でも、絶対に死んじゃいけないよ。いつかはきっと青空が見える日が来るはずだ。だから約束してほしい。今日を「生き抜くこと」を。

 

監督の富永憲治さんは、自由に動けるのに一歩も踏み出さず、ここでしか生きていけないと決めつけている人間こそ、「かかし」そのものだ。歩き出し、風を感じ、額に汗し、心を開いてこそ、大切な人に出会い、大切なものを見つけられるのです。自分を活かせる場所がそこにないのなら、大きな世界に「旅」に出よう。あなたを待っている人がいます。あなたを待っている場所があります。「人は幸せになるため」に生まれ、「幸せになるため」に生きているのです。だからこそ、生きることは素晴らしい。だからこそ、他人を大切にしなければならないのです。映画「かかしの旅」には、そんな願いを込めました。

 

生きるために、旅に出る。こんな発想もありかも。

苦しんでいる子どもたちには、大きな世界へ飛び出そう。

大人たちへは、学校だけにとらわれず縛られず、子どもの生きる力を信じよう。

そう言いたい。

 

中学校での上映、子どもも先生も親も、一緒に観て考える機会になればと思います。

学校上映、実現させたいなぁ。

 

コメント
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