父の判決を受けて

2008年07月16日 | 活動報告
昨日、最高裁の上告棄却により、父村岡兼造の一審無罪判決を破棄し、禁固十月、執行猶予三年の逆転有罪とした二審判決が確定しました。
夕方父から電話があり、上告棄却という結果が最高裁から郵送されてきたことを知ったのですが、厳しくかつ大変不当な判断に一瞬耳を疑いました。
この事件を初めて知ったのは四年前、テレビを見ながら家族で食事をしていた時です。平成政治研究会幹部三人が料亭で日本歯科医師会から一億円の小切手を受け取ったという報道でした。父は、「そんなことがあったのか。これから大変だなぁ」と三人の先生を心配し気遣っていたくらいです。そんな状況ですから、まさか一億円受領の場にいなかった父がこの事件に巻き込まれるとは夢にも思いませんでした。
なぜこの事件に巻き込まれ父が有罪にされてしまったのか・・・。父は最初に東京地検から呼ばれた時、周りの人から弁護士を頼んだほうが良いと言われても「何も関わっていないのだからそんな必要はない」と言って一人で出かけて行きました。起訴を受けて初めて弁護士を頼む状況でした。そんな父の姿を思い出すと本当に無念です。スケープゴートにされ、ここまでひどい仕打ちをされるのかと激しい憤りも感じます。
「永年支えていただいている皆さんに、ご心配をかけ本当に申し訳ないと思っている。さらに、お前の選挙に大変影響を与えてしまうことが心配だ」と言う父に対し、私はかける言葉がなかなか見つからず、唯一、「親父元気出してくれ。俺のことは良いから、健康に気遣い長生きしてくれ」としか言えませんでした。
裁判は言葉一つで左右されることもあります。裁判が始まってからの父は、記憶をたどって思い出したことをつねにメモし、また、自分の言葉で文章を作りたいとパソコンも習い始めました。家族はこの歳で裁判用の書類を作るのは無理だと思っていたのですが、毎日毎日、パソコンに向かってキーを打っている父の姿を見て、そのまま倒れるのではないかと母はいつも心配をしておりました。しかし、やると決めたらとことんやる父です。裁判用に作成した書類を見せられたときには、びっくりするくらい上達しておりました。長年の支持者の皆さんの信頼が父の心を強くしたのでしょうが、自分を奮い立たせている父の姿に私のほうが逆に励まされたのでした。
父はまもなく77歳を迎えます。そんな父に対し、「誰がなんと言っても俺は信じている。多くの励ましてくれる皆さんもいる。親父はもう充分戦った。俺は自分の決めた道を頑張って進む。俺のことは心配しないで健康でいてくれ」、これが今の私の偽らざる心境です。
私自身も、多くの皆さんに大変ご心配をかけたこと、そして、このような不本意な結果になったことを心より深くお詫び申し上げなければなりません。親族ゆえに活動を自粛するべきだとのご意見も当然あると思います。その一方で、「何一つ怯むことはない。自分の信念を貫け」という激励のお言葉もいただきました。
現実には党の公認調整等々多くのハードルがありますし、正直申し上げて、心の中で様々な葛藤は禁じ得ません。しかしながら、私自身は今まで主張してきた「田園からの産業革命」を国政の場で実現する活動を行い、政治の信頼回復に努める責務があると心に重く受け止めており、その思いを胸に前に進むことを強く決意しております。現実から逃げることは簡単かもしれませんが、前に進むと決めた以上、いかに厳しい茨の道でも、それをしっかりと踏みしめていく覚悟です。
「いかなる困難に突き当ろうとも、これを耐え忍んで乗り越える覚悟。これこそ我々を深く結びつけている絆である」という私の尊敬するウィンストン・チャーチルの言葉を噛みしめながら、辛くとも厳しくとも励ましをいただいた多くの皆さんと一緒に前に進むことを決意しております。このような状況においても支えてくださる皆さんには、言葉で表せないほど深く感謝しております。ご恩に報いるためにも、人の心の温かさを生涯忘れず、一日一日を大切にし、少しでも社会のお役に立てるよう努力を積み重ねて参りますのでよろしくお願いいたします。
最後に私は、人生をかけて国のためはもちろん、郷土秋田の再生を必ず果たす決意を持って戦っていくことを誓います。