秋田牛全国2位!

2012年10月29日 | 活動報告

大変うれしいニュースが届きました。和牛五輪で県産牛が、堂々全国2位となりました。これまでの生産者のご苦労を何度と無くお聞きしておりましたので心からお祝い申し上げます。これを契機に秋田牛の生産に弾みがつくことをご期待しております。これからも全力で応援していきます。

 

※下記は、平成18年生産者の肥育部会長板垣さんとの機敏対談記事です。

売り出せ!秋田由利牛


 「秋田由利牛」のブランドの確立と地元での知名度アップを図る動きが由利本荘地域で高まっている。今年2月には由利本荘市、にかほ市、両市議会、商工会、秋田しんせい農協、消費者の会などの団体を網羅した「秋田由利牛」振興協議会(会長・柳田弘由利本荘市長)を設立したのに続き、同4月には「由利牛肥育チャレンジプロジェクトチーム会議」を立ち上げ、地産地消の拡大や首都圏などへの売り込みなどに積極的に取り組んでいる。

■24人のグループで生産

由利本荘地域で「秋田由利牛」の肥育に取り組んでいるのは秋田しんせい農協由利牛肥育部会長の板垣幸三さんを代表とする6戸、24人。鳥海山ろくで育てた黒毛和牛を年間約600頭を肥育し、「格付け3以上」のものだけを年間300頭ほどを出荷している。




■地元の消費拡大図る



由利牛の本格生産は昭和58年に始まったが、由利本荘地域は豚肉が好まれる食文化もあって牛の地元出荷はあまり注目されなかった。さらに都内のデパートに出しても「品質は良いが、お客さんはやはり松坂や神戸を選んでしまう」と言われ、知名度のなさを痛感させられた。
 そこで、地元民に「おいしい」と言われてこそ、全国に名が広まるし、生産地・秋田がすぐわかる「秋田由利牛」と名付けて、まず地元の消費拡大を図り、首都圏へ本格的に売り込むという方針に転換したこともあって、5年ほど前から消費量は着実に伸びてきた。

■とろける脂肪、適度なねばりなどが評判



 「秋田由利牛」は地元で生まれた生後8~10ヶ月の子牛を引き取り、さらに8ヶ月以上肥育したもので、鳥海山ろくの地下水を飲ませ、「あきたこまち」を細かく砕いた米ぬかを飼料に混ぜて食べさせていることから、肉質にとろけるような脂分、適度なねばりがあって、評判は上々。さきごろ板垣さん宅を訪ねたアムステルダムオークラに務め、天皇、皇后両陛下の訪欧時にビュッフェを担当した有名和食シェフ・大島晃さんにも高く評価された。

■厳しく選別して出荷



 年間の出荷は300頭、しかもA3以上と、格付けが厳しいこともあって、店頭に並ぶ数量が少なく、由利本荘地域で食べられるところは、ホテルアイリス、じゅうじゅう亭、TDKゲストハウスなど限られている。
 また、購入できる店はマックスバリュ本荘店、Aコープやしま店、同おおうち店、本荘消費のほか、5月の「黄桜まつり」(旧東由利)、8月の「由利高原まつり」(同由利)、10月の「たんのうまつり」(旧大内)などのイベントで目にするだけ、しかも値段が高いのも消費拡大の難点になっている。

■全国に向けて情報を発信

 このため、当面は肥育牛を今の倍の1200頭以上に増やし、地元出荷を多くするほか、畜産農家を増やす運動を展開するとともに、格付け外になった由利牛の活用などを検討することにしている。さらに消費拡大とブランド名の「秋田由利牛」の名を売り出すため、看板を立てたり、肥育農家のグループ写真を入れたパッケージやポスターなどを製作、全国に向けての情報発信へのステップを踏み出した。

■村岡編集長も「秋田由利牛」の消費拡大に一役!!

 昨年11月、東京・広尾のナショナルマーケットにて、由利本荘市商工会が主催した「由利本荘フェア」に村岡編集長も参加!「秋田由利牛」をはじめ、由利本荘地区の特産品を東京の消費者にPR、売り込みにも大いに燃えました!

 


石原都知事緊急記者会見

2012年10月27日 | 活動報告

石原東京都知事が、緊急記者会見で都知事辞任、衆議院選出馬を表明いたしました。私にとっては、2度来県いただき、石原勉強会でご指導いただいている大先輩の政治家です。年齢を感じさせない行動力と情熱にいつも驚かされています。国を憂えるこころ・国の政治を変えなければとの思い、まさに我々世代が引き継いでいかなければならないと肝に銘じています。来週は、東京に上京し知事の思い、党の方針を聞いて参りますので後ほど報告いたします。

 

※ここだけの話を一つ。私が石原知事に秋田県訪問依頼をお願いする時に必ず言うことがあります。「秋田の地酒とキリタンポ鍋・わっぱめしを用意して待っています。」
この言葉で、知事は少年のような満面の笑顔でいつも快く了解していただきます。
さらに、秋田の自然・食の美味しさに感動していただき、ふるさとの大事さをしみじみと語ってくれます。私の持論である【ふるさとを守り育てることこそが国の底力】という信念と全く同じ気持ちです。


ふるさと秋田まつりIN有楽町

2012年10月23日 | 活動報告

先日、「ふるさと秋田まつりIN有楽町」に応援に駆けつけました。秋田美人100名の皆さんが観光キャンペーンで銀座をパレード。皆さんの笑顔が秋田の良さをPRしていました。そのときの団長が秋田観光大使の加藤夏希さんです。さて、機敏で対談したときに、ふるさとのためにお役に立つことは、できるかぎりお手伝いしますと力強く語っています。まさに、ふるさとのために強力な応援をしていただいていることに感謝申し上げます。ますますのご活躍を秋田のみんなが応援しています。下記は、2006年加藤夏希さんと対談した機敏の記事です。

 

 

●テレビに映画に舞台に大活躍の女優・加藤夏希さんは由利本荘市出身。
芸能界デビューは11歳と早かった。一人で飛行機に乗って東京と秋田を往復したり、息の長い役者人生を送るための気構えを早くから持ったりと、愛くるしい面影に似合わず芯の強いところのある女性でもある。同じ由利本荘出身で東京生活を体験した村岡編集長とは、どこか通じ合うものがる。
 

きっかけはある日突然やってきた

村岡  デビューは随分早かったようですが、どんなきっかけで芸能界へ入ったのですか?

加藤   実際にお仕事を始めたのは11歳の時です。小学校5年生の終わり頃から始めて、中学校3年生までは東京と本荘を行ったり来たりしていました。芸能界入りのきっかけは、本当に突然の事です。1年程、ゲーム会社のお仕事をしているその間に、ハウスのCMに出演したり、2年目になって『燃えろ!!ロボコン』という子供向けのドラマに出たりしました。小学校低学年の頃はテレビも、芸能界にもまったく興味がなかったんですよ。ホントにある日、夜のテレビ番組での外人さんのシャンプーのCMを見て、「私もテレビに出たい!」って思ったのが正夢になりました。(笑)

村岡  僕も小学校と中学校では野球をやっていて、ばく然とプロ野球選手になりたいという夢は持っていたんですが、もう一つ背中を押す何かがなかったのかもしれません。加藤さんが15歳で本格的に東京に行ってやろうと決意したのは、どんな思いだったんですか?

加藤  東京と本荘を行ったり来たりしていて、仕事も学校もそんなに不便に感じてもいませんでした。高校も地元でいいのではないか、と家族とも話していましたので、私自身はそっちの方向に決まりかけていました。ところが友だちのみんなが東京の学校に行ってしまうんでしょうと勝手に思い込んでしまい、行かなきゃいけないんだ・・・という気持ちになってしまいました。そういう意味では友だちから「東京で頑張って来てね!」みたいなひと押しがあったというのはありますね。 


離れてみて初めて分かる故郷の魅力

村岡  東京に出て、常に自分よりも世代が上の人たちと接するっていうのは大変だったんじゃないですか?

加藤  私はおじいちゃん子だったんで、今もそうなんですけど、何かあると必ずおじいちゃんに頼ってしまうところがあるんです。うちの父よりも上の年代の60歳とか70歳の方とかとお会いした時は、逆にすんなり話しやすくて、同年代の男の子とか女の子と話すと、かえって気を遣っている自分がいたりするんです。

村岡   僕も15歳から東京に出たので、逆に秋田に対する故郷の思いというのは比較的強いです。加藤さんも、11歳から都会で仕事をしていると、ちょっと実家に帰りたいとかあったんじゃないですか?     
          
加藤   ありました。地元を出てから初めて地元の良さが分かるっていうところがあって、例えば食べ物にしても、普通に自分たちが日常で食べていたものが、都会に出たときに何それって言われる。おにぎりにお味噌をつけて食べるのは自分の中のおやつだったりするのが、東京の人はおにぎりに味噌なんてつけないよみたいな(笑)。あと、東京に出て生活し、秋田に帰ったときに、なんかこう帰って来れたっていう安心感というか、それが知らない土地でも、あっ、この空気知ってるとか。なので、東京に出たときもまず部屋探しから始めるのですけど、どこか秋田に風景が似ていて、なるべく部屋の周辺には大きめな公園や、緑がたくさんあるところを選んで住むようにしているんで


「引き出し」の増える生き方をしていきたい

村岡  話は変わりますが、本荘でお菓子屋さんの吉野屋さんに立ち寄ったら、偶然にも夏希さんの親戚のお家とかで、夏希さんはいちじくが好きなはずだっていうのでこれを・・・

加藤  うわぁ、どうもありがとうございます。いちじく大好きなんですよ。よそんちの庭に生えてるいちじくもぎ取って食べてたりとか(笑)でも憶えててくれるっていうのは嬉しいですね。 

村岡   故郷への思いとは逆に、加藤さんから見た東京の良さっていうのはなんですか?

加藤  生活に不便なところがないので単純に便利っていうのはありますね。とても多くの人にお会いするので、例えばその方の出身地の地名や名物など、新しい知識が増えてきます。初めて行ったお店でもそこがすぐに行きつけのお店になっていったり、いつの間にか、自分の世界に広がりを持てるところでしょうか。実際に東京に住み始めたときは、なんでみんなこんなに歩くの速いんだろうとか思ってましたけど、秋田に帰ると自分が歩くのが速いと友だちに怒られたり。不思議な感じがします。いろんな面でくじけずに頑張っています。

村岡   そういう意味では東京と秋田を知ってる加藤さんのような方が、FMの番組も持っておられますし、秋田にも時々帰ってこられるから、いろんな刺激を秋田のみなさんにも分けてほしいですね。コマーシャルの中でお話してる「引き出しが増えた」というようなことを。
          
加藤   そうですねぇ。例えば、この作品やりますって映画のお話がきて、それは映画としても作品としても初めてで、さらに2回目の映画出演の話があっても、経験は2回なんだけど作品や役、監督さんもみんな初めての出会いで常に一からのスタートです。そこで、一からスタートして覚えたものをどこかで使えるように、いつも大切にしています。私こんな事も出来るのよみたいな、そういうものを「引き出し」にしまい込み、それをちょっとずつ見せられるようにはなってきましたね。

村岡   『白雪姫』というお芝居をされていますね。
          
加藤   はい、今舞台中なんです。子どものお客さんも多くて、大人の方なんかは、ある程度ストーリーが分かってるから、展開を冷静に見てるんですけど、子供たちはもう毒リンゴを食べるシーンなんかは、「食べちゃダメー!」って叫びます(笑)で、死んだら「ほら死んじゃったじゃんか」って。「1回1回言わなくていいから」みたいな感じで聞いています。(笑)

村岡  「ブラッドエンジェル」でバイクに乗ってイナバウアーをやって人を斬るっていうあのアクションシーンを自身でやったっていうことなんですけど、あんな映画なんかではしょっちゅうケガしませんか? 
          
加藤   そうですねぇ、ただロボコンっていう最初にやったドラマで、アンドロイドの役で共演していた役者さんが、ジャックのアクション専門の役者さんたちばっかりだったんですよ。それを最初に見てしまったがために、私もバク転しなきゃいけないのかなとか・・・。出来ないんですけどねぇ(笑) でもそんな刺激があってもっとアクション映画やってみたいなって。

自分よりも年下の子供たちに夢を与えたい 

村岡  夏希さんは一人っ子でしたっけ?

加藤  大学生の兄がいます。仕事始めるときには、実はうちのおじいちゃんに反対されたんです。芸能界なんてそんな仕事はダメだ、みたいなこと言われたんですけど、父と兄が「いいじゃない、今の時代が変わったんだから」って賛成してくれました。失敗することもあるかもしれないけど、そのときは帰ってくる家を僕たちで作っていこうといった話をしてくれました。その時初めて兄が私をかばってくれたんですね。そうかと思えば、まだケンカもするんですよ。ゲームの取り合いとかで(笑)なんかお兄ちゃんって、こういう感じなんだなって・・・。  

村岡  それはお兄ちゃん聞いたら喜びますよ。僕も妹いますけど、妹からそう言われるお兄ちゃんにならないと(笑)。将来的にはどういう方向を見据えていますか?今のところは、「引き出し」をどんどん増やしていこうっていう形なんでしょうか?

加藤  そうですね、今はお芝居でもまだ自分の中で未完成な部分がほとんどなので、それをうまいこと年齢に合わせて、今まで10代の頃は学生役、少女役をやっていたところを、20歳が過ぎたらOLさんの役をやった後に、今度はお母さんの役が待っているっていう、まぁ役者としてはそこの自分の中にいつでも切り替えられるような準備っていうものを、今のうちにつくっておきたいと思っています。

村岡  女優としての道をその年代その時代の中で演じていきたい、ということですね。そういう意味では、21歳とは思えないほどビジョンがしっかりしてますね。5年後の夏希さん、10年後の夏希さんががとても楽しみです。

加藤   初めてゲームのイメージガールに受かったときに三國連太郎さんにお会いしたんです。その頃はまだ、テレビに出れればいいやとしか思ってなかったんですが、役者さんのオーラ、風格がすごいなぁって非常に影響を受けて、三國さんのような役者になりたいなって思ったりしました。はるかに年下の子役たちにそういう風にいい夢を与えていけたらなぁっていう思いもあります。三國さんになるっていうのはおかしな話ですけど、理想はそういう形です。その年代になったら極妻やりたいなっていうのがあります。一度極妻の娘役っていうのはやったんですけど、娘やったらここで止まっちゃうと思って、その後はお断りして、今は極妻待ちです(笑) 

村岡  将来の夢を聞かせてもらいましたので、最後に秋田のファンのみなさんに一言メッセージをお願いします。

加藤  いつも帰ってくるたびにみなさんの笑顔だったり、方言、なまりを聞くとホントにあっ帰ってきたって心が安らぐんです。また東京で1から頑張るぞっていう気になります。多分私が出来ることはテレビなんかを通してになると思うんですけど、みなさんに何かお返しをちょっとずつでもしていけたらいいなと思っています。これからも頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いします。 

村岡  私も同じ由利本荘市の出身なので、夏希さんには頑張っていただきたいですし、1年1年成長していく夏希さんを見させてもらいたいと思います。私のせがれもファンですけど、私もファンクラブに入りたいと思ってます、お父さんみたいな年代ですけどね(笑) 今日はどうもありがとうございました。


 


いちじく畑

2012年10月11日 | 活動報告
いちじく畑に行ってきました。(にかほ市大竹)
いちじくの葉は、あのアダムとイブが裸を隠すのに使用し(^。^;)6000年前に栽培が始まったといわれる歴史ある果物だそうです。
この地域では、約50軒の農家のみなさんが1万本以上栽培しています。
加工品で有名なお店が地元の佐藤勘六商店さんのいちじく甘露煮です。子供の頃、大好きで食べすぎ母に叱られた思い出があります。(*^^*)
今、カリウム、ペクチンが多く含まれ、栄養価が高いと人気上昇中。秋田の伝統名産品として売り込みたい一品です。
ちなみに、いちじくの名の由来は、毎日1つずつ熟すことから「一熟」なまってイチジクとなった説があるそうです。
今収穫真っ盛りですが、今年度産がまもなく市場にでます。いちじくの美味しさを是非味わってください。
多くのことをいちじく屋四代目佐藤さんからお聞きいたしました。伝統の味を全国にひろめたいものです。
4代目ありがとうございました。




パンの自動販売機

2012年10月10日 | 活動報告
本荘で人気ナンバー1の自動販売機をご紹介いたします。
渡部製パン直売販売機です。(工場前にあります)
できたての新鮮なパンが30種類以上。チリドック、本荘ハムフライバーガー、チーズソフト、ピザトースト、サンドイッチ等々。
さらに、24時間営業中なので、いつでも美味しいパンが買えます。
今日の昼食は、本荘ハムフライバーガー。

現在、夫婦で全種類制覇挑戦中。!(^^)!
みなさん。本荘お立ち寄りの際は、是非お薦めです。
(場所は、本荘の人に聞いていただければ、誰もが知っていると思います)






山中教授おめでとうございます!

2012年10月09日 | 活動報告
山中教授ノーベル生理学・医学賞受賞おめでとうございます。

【東日本大震災や原子力発電所の事故で国内では科学技術への信頼が揺らいでいるだけに、山中教授の受賞は日本の科学界や国民全体に勇気と元気を与えるものになるだろう。日本経済新聞社説抜粋】

日本が、経済・財政・領土等々大きな問題を抱えている現状の中、夏のロンドンオリンピック日本人選手の大活躍に続き、科学の分野での受賞。昨日の嬉しいビックニュースに日本人全体が勇気と誇りをいただきました。
ノーベル賞は、他の分野でも発表があるそう
ですが、大いに期待しています。がんばろう日本!頑張ろう東北!