安吾は、終戦の翌年に書かれたこの文章で、人間は元来墜ちていくものであるところ、政治的に作られた価値観によって抑えられていたが、それから自由になることが必要だと、「生きよ墜ちよ、その正当な手順の他に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。」と書いています。
しかし、墜ち続けることはとても苦しいことですから、人間は、そういう分かりやすい枠を求めてしまうわけなんですね。
作られた枠に従えば、ある意味で楽かも知れませんが、その術中にはまって後悔しないためには、自らよく考えていくことが必要ですね。
ところで、「堕落論」の中にも、靖国神社のことに触れられているのですが、世論調査で、首相の参拝に賛成する人が半分以上だったというのは、驚きでした。
(実際には、私の周囲の人に聞いてみると、そんなことはなさそうなのですが…)
ちくま文庫『坂口安吾全集14』で、12ページ。
しかし、墜ち続けることはとても苦しいことですから、人間は、そういう分かりやすい枠を求めてしまうわけなんですね。
作られた枠に従えば、ある意味で楽かも知れませんが、その術中にはまって後悔しないためには、自らよく考えていくことが必要ですね。
ところで、「堕落論」の中にも、靖国神社のことに触れられているのですが、世論調査で、首相の参拝に賛成する人が半分以上だったというのは、驚きでした。
(実際には、私の周囲の人に聞いてみると、そんなことはなさそうなのですが…)
ちくま文庫『坂口安吾全集14』で、12ページ。
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