特攻艇による自爆攻撃を行う部隊の隊長である「私」は、昭和20年8月13日夕方に、特攻戦発動の信令を受けて死の覚悟の中にいるが、いつまでたっても発進の合図は来ない・・・
「その機会を自分のところに運んでくる重大なきっかけが、敵の指揮者の気まぐれな操舵や味方の司令官のあわただしい判断とにかかっているかもしれないことは底知れぬ空しさの方に誘われる。」という言葉に、特攻隊の置かれた状況の深刻さとそれに反する運命の浮薄さを感じます。
いったん死を与えられてしまった者が、突然それを無効にされてしまったときの心の揺れは想像もつきません。
日本が降伏し、特攻の任務から解放されたのかもしれないと思いついて、「私」が笑いを吐き出す場面がとても印象的です。
そして、周囲の人たちが特攻隊に対して持つある期待の感情に、ズレを感じていたたまれくなる気持ちもヒリヒリと伝わってきます。
部下に士官としての責任を指摘されつつも、最後に生への執着が生じてくるところに、人間くささが描き出されています。
この短編小説は、昭和37年の作で、これだけの時間をおいたことが、冷徹な目で書き綴ることに寄与したのではないでしょうか。
「その機会を自分のところに運んでくる重大なきっかけが、敵の指揮者の気まぐれな操舵や味方の司令官のあわただしい判断とにかかっているかもしれないことは底知れぬ空しさの方に誘われる。」という言葉に、特攻隊の置かれた状況の深刻さとそれに反する運命の浮薄さを感じます。
いったん死を与えられてしまった者が、突然それを無効にされてしまったときの心の揺れは想像もつきません。
日本が降伏し、特攻の任務から解放されたのかもしれないと思いついて、「私」が笑いを吐き出す場面がとても印象的です。
そして、周囲の人たちが特攻隊に対して持つある期待の感情に、ズレを感じていたたまれくなる気持ちもヒリヒリと伝わってきます。
部下に士官としての責任を指摘されつつも、最後に生への執着が生じてくるところに、人間くささが描き出されています。
この短編小説は、昭和37年の作で、これだけの時間をおいたことが、冷徹な目で書き綴ることに寄与したのではないでしょうか。
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