先ほどの続き。
そして、現代では、大衆が『自己決定権』を持っているが、
『自己決定権を持っている』大衆は、複合的な他者を内在しておらず、
『自己決定権』という刃物を振り回している感じなのだろう。
※ちょっと、はさむと、『大衆』という言葉づかい自体が『危険』だが、
自分が『大衆』であるという『自己反省』もありつつです。
大衆は、砂粒化して、『自己決定』しまくりで、まあ、『他者』を
切り倒す、切り倒す、すごい勢いで。
でも、しょうがないよな、とめることも出来ない。
使い慣れない『自己決定権』を振り回すヒトがいたら、『逃げる』しかない。
つまり、かかわらないということになるんだろうな。
そして、現代では、大衆が『自己決定権』を持っているが、
『自己決定権を持っている』大衆は、複合的な他者を内在しておらず、
『自己決定権』という刃物を振り回している感じなのだろう。
※ちょっと、はさむと、『大衆』という言葉づかい自体が『危険』だが、
自分が『大衆』であるという『自己反省』もありつつです。
大衆は、砂粒化して、『自己決定』しまくりで、まあ、『他者』を
切り倒す、切り倒す、すごい勢いで。
でも、しょうがないよな、とめることも出来ない。
使い慣れない『自己決定権』を振り回すヒトがいたら、『逃げる』しかない。
つまり、かかわらないということになるんだろうな。