さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

インド放浪 本能の空腹40 ただいま!

2022-03-14 | インド放浪 本能の空腹

イメージ 令和4年撮影

30年前、インドを一人旅した時のこと、当時つけていた日記を元にお送りしてきました『インド放浪 本能の空腹』いよいよ帰国、最終回です

前回、カルカッタのダムダム空港で、話しかけてきたバングラディシュ人の男、同じ便に乗ると言っていたので油断していたらフライト時刻が迫り、すったもんだの末、無事に離陸、悠久の大地に空から別れを告げた、というところまででした。

では、最後です

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 ダッカに到着、来た時と同じように長いこと待たされ、来た時と同じように扉の締まらないオンボロリムジンに乗り、来た時と同じホテルに着いた。来た時には汚いホテル、と思っていたが、こうしてインドを旅した後に来てみると、随分高級感のあるホテルだったんだな、と感じられた。
 これからインドを旅する予定だという韓国人がホテルに泊まっていた。韓国語で『こんにちは』ってなんだっけっかな、覚えてたはずだが、思い出せない、今のような韓流ブームなんて時代でもない、英語で一言二言会話をして別れた。
 
 翌日、食堂で朝食にチキンカレーを食っていると、テーブルの上に新聞が置いてあるのが目に入った。一面にデカデカとゴルバチョフの顔が出ている。そう言えば、カルカッタで帰りの便がとれてからの一週間くらい、町の売店の新聞にはやたらとゴルバチョフの顔が出ていた。ソ連で何か起きているのか…。

 カレーを食い終えるとすぐにリムジンが迎えに来た。ダッカ空港に向かう。

 空港では相変わらず、トランジットのチェックイン作業はノロマで、時間が掛かった。同じように長時間待たされていたドイツ人カップル、彼女の方がおれに突然話しかけて来て言った。

Biman Bangladesh Airlinesは、世界で一番素晴らしい航空会社だわ! あなたもそう思いませんか!?』

 まだこの辺りの国に旅慣れていないのだろう、おれは苦笑するように相槌をうち、同感だ、というようなことを言った。まあ、おれはこんなことにはすっかり慣れていたので、いずれ飛行機には乗れるだろう、くらいの感覚で離陸の時を待っていた。

 ダッカ⇔成田便は、週に一便、採算のとれるような路線でもないのだろう、途中、バンコクとシンガポールを経由して乗客を大勢乗せて、直行なら6時間くらいのところ、10時間以上の時間をかけて成田まで飛んでいた。

 バンコクで機内の座席が半分以上埋った。さらにシンガポールでは日本人乗客がたくさん乗り込み、ほぼ満席となった。

 シンガポールからは日本の航空会社(JALだったかな)との共同運航なのだろうか、日本の航空会社の制服を着たCAも乗り込んできた。ちなみに、BimanのCAの制服はサリー姿である。

 JALのCAさんの、きめ細かく丁寧で行き届いたその仕事ぶりを見て、おれは日本に確実に近づいていることを実感した。こういうサービスが当たり前なのだ、と思っていたが、インドの旅でそれは全く当たり前のことなどではない、日本人らしい心づくしなのだと実感した。

 機内で上映していた『ホームアローン』も終わり、暫くして飛行機は着陸態勢に入る、機体が早朝の雲を引き裂く、眼下には『枯れ木も山の賑わい』と言った山々、真冬の枯れた田園風景が広がった。

『日本だ!!』

 あああ、帰って来たのだ。日本に…。

 無事に着陸し、入国審査の列に並んでいると、一人の警備官がおれに近づき、『こちらで荷物検査を受けて下さい』と、別室へ連れて行かれた。別室で若い警備官は、おれのバッグを開け、中身を入念にチェックしながら言った。

『随分、長くインドへ行かれていたのですね、目的は?』
『旅行ですよ』
『旅行ねぇ、サダルストリートなんか行ったんでしょ?』
『ええ……』
『色々と、誘われたりしたんじゃないんですか? 例えばぁー、タバコじゃないモノ、とか』

 カルカッタに着いた早々、詐欺師のラームにまんまと乗せられ、仲良くなった証の物々交換で、お気に入りの春物コートを偽カシミヤのセーターに換えられ、時計やバッグもインド製のボロに変わっていた。靴も、プリーでロメオに意味の分からない礼を言われ取られてしまった。

 だからこの時のおれの格好と言えば、頭には紺色のバンダナを被るように巻き、上半身はTシャツの上に、彼女のK子から誕生日にもらった紺色のパジャマ1枚、シンプルで洒落たパジャマではあったが、パジャマはパジャマだ。そしてくたびれたGパンに黒いサンダル、無精ひげが雑に頬を覆っていた。

 そうか! この格好でインドから日本へ! おれは疑われているのだ! つまりは見た目で怪しいヤツと判断されているのだ!

 真冬に、パジャマにサンダルで飛行機に乗ってインドから帰ってくるヤツ、このあともその恰好のまま、公共交通機関に乗って移動するようなヤツ、外は無茶苦茶寒いのに…。まあ、疑われても仕方なかったのだろう。

 このころのおれは、自慢じゃないが結構イケメンだった。おれが自分でそう言っていたのではなく、周りの女性からそう言われていたのだ。K子の女友達は、『彼氏、ジャニーズ系でカッコいいよね』と言っていたそうだし、学生時代には、彼女でもない女友達から、自慢したいので一緒にキャンパスを並んで歩いて欲しい、と言われたり、洒落たバーで一緒に飲んで欲しいとか、そういう話には枚挙にいとまがなかった。

 そんなおれだったから、まあ、真面目な方でもあったし、人から外見で悪く判断されるような経験は一切無かったのだ。だが今、おれは外見で悪く判断されているのだ、高校時代の不良たち、さぞ悔しかったろうなぁ、今ならその気持ちがわかる。

『そういったモノは、マリファナとか、僕は全て断っていましたのでやってもいないし、持ってもいません』
『一切断っていた… ねぇ… へえ… 』

 あああ、悔しい!! 外見で判断されるのはこんなにも悔しいのか!

 警備官が、画きかけのガネーシャの絵を取り出した。未完成のまま持って帰って来ていた。かなり精神状態の良くない時に描いていたそれは、ガネーシャにはとても見えず、ピンク色の他、極彩色の未知の生物がのたうち回っているような絵になっていた。

ガネーシャ・イメージ


『ええっと…、これは?』
『ガネーシャです…。。』

『……』

 若い警備官はまじまじとその絵を眺め、ため息をつくように大きく息をしてそれをしまった。

 当然おれは何も疚しいことはない、時間はかかったが無事にゲートを出た。そして成田エクスプレスの切符を買い、新宿へ向かった。朝が早かったから駄目だろう、とは思っていたが、もし、K子とよく行っていた、新宿の地下街、サブナードの寿司屋が開いていたら、まず寿司が食いたかったのだ。

 新宿へ向かう列車の中、おれのはす向かいに4人家族が向かい合って座っていた。聞こえてくる話から、どうやらバンコクからの帰りらしい。バンコクのスラム街の話をしている。

『いや、本当にあの路地の光景は、お父さんショックを受けたよ、きっと忘れられないな』

 息子らしい小学生くらいの男の子が言う。

『ボクもショックだった、一番ショックだったのは、あの中に日本人みたいな人がいて、とても汚くて、なんか危ない感じがしたのが怖かった』

 その時、はす向かいの母親とおれの目が合う、瞬間、母親は男の子の口を塞ぎ…

『シッ!!』

 ああ、また見た目で判断されたようだ。

 やがて新宿に着く、案の定サブナードの寿司屋はまだ開いていない、おれは諦めて小田急線乗り場の方へ向かう、どうしてもロマンスカーで帰りたかったのだ。
 江の島方面へのロマンスカーの出発まではまだ時間があった。パジャマ姿のおれは寒さを凌ぐため、地下街に戻り端の方でうずくまった。

 前方から一人の浮浪者がゆっくりと歩いてくる、おれの近くまで来ると、見慣れないヤツがうずくまっているのを見つけ、じっと見つめて来た、そしておれと目が合う、すぐに浮浪者が目を逸らし、おれの視界から逃るように別の方向へ消えて行った。

 あいつもおれを見た目で判断したようだ。

 暫くしてようやくロマンスカーに乗り込む、おれの実家のある街へと帰る、そして実家の玄関の前に立つ、勢いよく扉を開けた。

『ただいま! 今帰りました!!』



おわり


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長く続けてきたインド放浪、本能の空腹、今回で終了です。多くの人たちからコメントを頂き、励まされ、自分の人生の最大級のイベントをこうして文章に残すことができました。今後、過去の文章などを少しずつ手直しし、読み物としてもより良い物にしていきたいと思います。

実家に帰ってから父から聞いたのですが、私がインドへ行っているとき、ある日の夜中突然母が飛び起きて、『今、小平次が死んだよ、』とわけのわからないことを言ったそうです。当てにもならない虫の知らせがあったようです。

ちなみに、カルカッタで騙され買わされたシルクなど15万円分の商品は、無事に届いておりました。そういう意味では、詐欺と言うより悪質な物売り、だったのでしょう。

私はこの6年後、再びインドを訪れています。その時の珍道中も、また書きたいと思います。

皆様、本当にありがとうございました!

毎回コメントを下さったカワムラさん、本当にありがとうございました!

コメント (11)
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