今年も用水路の土手の桜が満開になりました。 日本には桜の名所でなくてもあちこちで立派な桜を見ることができます。 それは、誰か桜を植えた人がいるのです。
もう15年も前のこと。 淋しい用水路沿いの道がありました。 しばしば廃棄物が捨てられて人通りも疎らな道でした。
ある秋の日、桜の苗木が水路の土手に植えられました。 幹が500円玉くらいの太さの枝と幹だけの裸の桜の木。
冬の寒さをいくつか越すと、さくらは小さな花をつけるようになりました。 その間、強風に倒れて枯れた木もありましたが、添え木で支えてあるのを見ると、桜を守っていた人がいるのがわかりました。
そのうちさくらの木は大きく伸びて立派な並木になりました。 人の背丈よりずっと高く。 もう支えもいらないほど枝も太く風に倒されることもありません。
穏やかな春の日に、桜の並木の道に散歩をしに来る人が増えました。 もうごみを捨てる人もいません。 歩く人もどこか明るく、楽しげです。
私の友人は「中国には桃のように果樹の畑はあるけれど、花だけを楽しむ桜の木は少ない」と言います。 宮沢賢治の「虔十公園林」という童話があります。 少し頭の弱い虔十が自分のおやつを買うお金を節約して、苗木を植えた話です。 それはやがて立派な公園林になりました。
日本では、童話の中の話が生きているようです。