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機能美重視の両親と、優美路線の娘

2013年12月01日 | あたしンちの話
あたしンちの話。コーヒ-ドリッパーの回。みかん(娘の名)としては「おいしいケーキには、おいしいコーヒーで、ゆっくり味わいたい」考え。で、コーヒーソーサーの上に、ケーキが乗っているのが気にいらない。母としては、家族4人分のコーヒーカップ、コーヒーソーサー、ケーキ皿を出すと、洗う量が増えて面倒と考える。

次の日、コーヒードリッパーが欠けたので、新しいのを買った。使ってみたら、注ぐお湯の分量が目視できず、こぼして吹く手間が増えた。以前のは、欠けた所から、「あとどの位のお湯が入るか?」が確認できて便利だったと、母が主張。そこで、父は「じゃあ、これも割るか」と、ハンマーで欠けを作った。今度は、欠けた所から、分量がわかる。
それを見ていた娘的には「もういいや。雰囲気ぶちこわし」との事だが。

両親の発想は、機能美。片付けの手間、こぼした時の処理、それを考えると、洗う量は少なく、こぼさない構造を望む。対して、娘は片付けをしない。趣、風情、優雅、雰囲気、優美。その瞬間、その行為を楽しみたい考えという事。そう考えると、どちらの主張も正論であり、どちらが良いとか悪いと、決められる事でもない気がする。


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