今日は旧正月
今年の「旧正月」は、2月14日、2月14日はバレンタイン デー でも有りますね。
沖縄は復帰前までは旧正月で祝う家庭が多かったが、今は違う、復帰前までは正月らしさが有った。
太陽暦をもとにする新正月は 大和正月(yamatu sougwachi)といい。此れに対して 旧正月を沖縄正月(utina- sougwachi)とも言う。
沖縄全域ではなお 旧正月主体もしくは 新正月との兼用地域も多い。
一昔前の旧正月は何処の家庭でも門には日の丸の旗がひらめき、その日だけは、綺麗な着物や服が着れたし普段は食べれない美味しい物が食べれた。
テレビやラジオも朝からお祝いムードで沖縄の民族音楽が朝から晩まで流れ、
正月だと言う気分が味わえたし,お年玉を貰い心うきうきしたものであるが、どうしたことか、今では、平日とあまり変わらない雰囲気。
時間を遡る事数十年前、僕がまだ幼小の頃の正月はどうだったのかと言うと、普段は穴のあいた靴、つぎはぎの服であったが、正月と言う事で靴や服も新しく買って貰えた。
それが楽しみでもあつたし、美味しい物も沢山食べれた。
ふと、幼い頃の正月が懐かしく思い出される。
時は昭和の20年代~30年代、当時は沖縄県の北部の片田舎に住んでいた。
家の前には澄み切った水が豊富に流れる川が有った.。
えびや川魚うなぎも取れた。
水浴びをしたり、洗濯をするのにも使われていた。
一日の内に川の利用方法が変わって居たのも面白く思い出される.
朝の早い時間は、飲料用や、食事のための水を汲み、水甕や桶などに貯めた。
大体、今の時間帯で言うと午前9時ごろまでで、後は川で洗濯等したり雑用品を洗ったり子供は川で遊びながら、えびや、うなぎを捕まえたりと、自由に遊び回っていた。
また山仕事の人は、飲料水の確保された時間帯以降にしか山に行けなかった。
それは馬を使い山に薪やスミ焼きに行くので、川の中を通って行かねばならない所も有る為に、生活の知恵、いやルールが決められて居たのです。
夕方には、川べりにドラム缶に水を入れて、撒きで湯を沸かして近所の皆で代わる代わるドラム缶の風呂に入った。
それが、隣組の絆を強く結びつけるのに役立って居たのではと思う。
生活の総てが自然と一体で有ったように思う。
正月の決まりの一つに、
女子は午前中、自分の家から出かける事が禁じられていた。
「女子が男子より先に訪れると」その家の人から「縁起」が悪い、と嫌われるからである。
だから女性は午前中は家の手伝いをしていました。
その分男の子は持てはやされました。
どこの家でも、正月元旦の朝、一番、男の子が真っ先に「若水」を川で汲んで持って来るのを待ちわびていました。
旧正月の朝一番に汲まれる水の事を「若水」と呼んでいました。
この年の一番早く若水を汲んで持って来た男の子には特別な「お年玉」が準備されておりました。
若水が届くと、その水で茶を沸かし、火の神様や仏壇にお茶を供えた後家の人が飲んで居りました。
正月は若水から始まるといっても良い、大変良い風習でしたが、今ではまったく見られなくなりました。
僕は、子供ながらにも、お年玉の多い家から先に、若水を汲んで持って行き、直ぐに次の親戚の若水を汲んで持って行くのが正月の楽しみでした。
若水を届けるのが遅く、他の子に先を越されると、お年玉の中身が超薄っぺとなるため、ある面は、早起き競争であった。
しかし、今は全く見られなくなりました。
今は家の中で、「ひねるとシャー」と水が出る様になったのが原因では、と自己分析しています。
それと、自然をあがめる気持ちが無くなったのも、一因しているかも知れない。
総てが昔が良かったとは言えませんが、人の心の温かさ思いやりの心、隣人愛は昔の方が良かった様な気がします。
今年の「旧正月」は、2月14日、2月14日はバレンタイン デー でも有りますね。
沖縄は復帰前までは旧正月で祝う家庭が多かったが、今は違う、復帰前までは正月らしさが有った。
太陽暦をもとにする新正月は 大和正月(yamatu sougwachi)といい。此れに対して 旧正月を沖縄正月(utina- sougwachi)とも言う。
沖縄全域ではなお 旧正月主体もしくは 新正月との兼用地域も多い。
一昔前の旧正月は何処の家庭でも門には日の丸の旗がひらめき、その日だけは、綺麗な着物や服が着れたし普段は食べれない美味しい物が食べれた。
テレビやラジオも朝からお祝いムードで沖縄の民族音楽が朝から晩まで流れ、
正月だと言う気分が味わえたし,お年玉を貰い心うきうきしたものであるが、どうしたことか、今では、平日とあまり変わらない雰囲気。
時間を遡る事数十年前、僕がまだ幼小の頃の正月はどうだったのかと言うと、普段は穴のあいた靴、つぎはぎの服であったが、正月と言う事で靴や服も新しく買って貰えた。
それが楽しみでもあつたし、美味しい物も沢山食べれた。
ふと、幼い頃の正月が懐かしく思い出される。
時は昭和の20年代~30年代、当時は沖縄県の北部の片田舎に住んでいた。
家の前には澄み切った水が豊富に流れる川が有った.。
えびや川魚うなぎも取れた。
水浴びをしたり、洗濯をするのにも使われていた。
一日の内に川の利用方法が変わって居たのも面白く思い出される.
朝の早い時間は、飲料用や、食事のための水を汲み、水甕や桶などに貯めた。
大体、今の時間帯で言うと午前9時ごろまでで、後は川で洗濯等したり雑用品を洗ったり子供は川で遊びながら、えびや、うなぎを捕まえたりと、自由に遊び回っていた。
また山仕事の人は、飲料水の確保された時間帯以降にしか山に行けなかった。
それは馬を使い山に薪やスミ焼きに行くので、川の中を通って行かねばならない所も有る為に、生活の知恵、いやルールが決められて居たのです。
夕方には、川べりにドラム缶に水を入れて、撒きで湯を沸かして近所の皆で代わる代わるドラム缶の風呂に入った。
それが、隣組の絆を強く結びつけるのに役立って居たのではと思う。
生活の総てが自然と一体で有ったように思う。
正月の決まりの一つに、
女子は午前中、自分の家から出かける事が禁じられていた。
「女子が男子より先に訪れると」その家の人から「縁起」が悪い、と嫌われるからである。
だから女性は午前中は家の手伝いをしていました。
その分男の子は持てはやされました。
どこの家でも、正月元旦の朝、一番、男の子が真っ先に「若水」を川で汲んで持って来るのを待ちわびていました。
旧正月の朝一番に汲まれる水の事を「若水」と呼んでいました。
この年の一番早く若水を汲んで持って来た男の子には特別な「お年玉」が準備されておりました。
若水が届くと、その水で茶を沸かし、火の神様や仏壇にお茶を供えた後家の人が飲んで居りました。
正月は若水から始まるといっても良い、大変良い風習でしたが、今ではまったく見られなくなりました。
僕は、子供ながらにも、お年玉の多い家から先に、若水を汲んで持って行き、直ぐに次の親戚の若水を汲んで持って行くのが正月の楽しみでした。
若水を届けるのが遅く、他の子に先を越されると、お年玉の中身が超薄っぺとなるため、ある面は、早起き競争であった。
しかし、今は全く見られなくなりました。
今は家の中で、「ひねるとシャー」と水が出る様になったのが原因では、と自己分析しています。
それと、自然をあがめる気持ちが無くなったのも、一因しているかも知れない。
総てが昔が良かったとは言えませんが、人の心の温かさ思いやりの心、隣人愛は昔の方が良かった様な気がします。