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沖縄戦から65年 沖縄慰霊の日

2010年06月23日 09時17分03秒 | 歴史の証言
沖縄戦から65年 沖縄慰霊の日 全戦没者を追悼

沖縄は23日、沖縄での全戦没者を追悼する「慰霊の日」を迎える。
糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園内にある平和祈念堂で22日夜、追悼式の前夜祭が営まれ、県内外から遺族ら約400人が参列した。

 午後7時過ぎ、前庭で鎮魂の火が献火されるとともに、遺族代表7人が平和の鐘を打ち鳴らし、参列者全員で犠牲者に黙とうをささげた。
主催する財団法人・沖縄協会の清成忠男会長は「戦争への反省と世界平和確立への決意を新たにし、御霊(みたま)のご冥福をお祈り申し上げます」と鎮魂の言葉を述べた。
この後、古典音楽や琉球舞踊が披露され、不戦と平和を誓った。

 沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦から65年の慰霊の日を迎え、最後の激戦地だった沖縄本島南部の糸満市では、正午前から沖縄県主催の戦没者追悼式が行われます。

今から65年前の昭和20年の沖縄戦では住民を巻き込んだ激しい地上戦の末、20万人を超える人が犠牲になり、沖縄の県民の4人に1人が命を落としました。
6月23日は沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日で、沖縄県は犠牲になった人たちを追悼する「慰霊の日」と定めています。
最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園には、早朝から遺族が訪れ、犠牲者1人1人の名前を刻む「平和の礎」の前で祈りを捧げています。
23日は正午前から沖縄県主催の戦没者追悼式が行われ、沖縄県の仲井真知事が「平和宣言」を読み上げることになっています。
追悼式には就任後初めて沖縄県を訪れる菅総理大臣も出席して、沖縄戦の犠牲者に哀悼の意を表すことになっています。
沖縄では、アメリカ軍普天間基地の移設問題をめぐって鳩山前総理大臣が打ち出した「県外移設」への期待が一気に高まりました。
しかし、結果として、先月、移設先を沖縄県内とする日米の合意がなされたことで、沖縄では反発や落胆が広がっています。
戦後65年たった今も戦争が残した傷や負の遺産と向き合う沖縄では、23日は犠牲者を追悼する行事が県内各地で開かれ、平和を願う祈りに包まれます。

概要

1945年6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなんで、琉球政府及び沖縄県が定めた記念日である。
 復帰前は、住民の祝祭日に関する立法(1961年立法第85号)に基づく公休日とされた。

 1972年の本土復帰後は日本の法律が適用となって慰霊の日は休日としての法的根拠がなくなったが、1991年に沖縄県の自治体が休日条例で慰霊の日を休日と定められたことによって、沖縄県内では法的に慰霊の日が休日となった。
ただし地方限定の公休日であるため、当該日が日曜日にあたっても翌日が振替休日にはならないが、過去には学校などによって翌日も休日になることもあった。
そのため、国の機関以外の役所・学校等は休日となる。
なお、国立大学法人である琉球大学は、1999年までは通常通り授業を行っていたが、2000年より授業は休講としている。
なお、教職員などは国家公務員扱いのため休日とはならない。

経緯

1945年4月1日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始された沖縄戦は、第32軍司令官牛島満大将(当時は中将)をはじめとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結したとされている。
 この自決がいつあったのかについては、6月22日説と6月23日説があり、現在、沖縄県では6月23日説を採用している。

どちらが本当に自決があった日であるかについては議論があり、1961年に当時の琉球政府が慰霊の日を定めた際にも、当初は6月22日としていたものを、1965年に6月23日に改めた経緯もある。
現在は1974年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」により、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、6月23日を「慰霊の日」と定めている。

 一方で、司令部が壊滅してもそれを知らされなかった兵士たちが抵抗を続けたため、散発的な戦闘は司令官自決の日以降も続いた。
このため、慰霊の日を司令官自決の日と定めることに対して疑問を投げかける立場もある。
たとえば沖縄市では、慰霊の日を休日とする一方で、1945年9月7日に降伏文書への調印が行なわれたことから、9月7日を「市民平和の日」と定めている。

 1962年から、6月23日には沖縄県が主催する沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、沖縄戦犠牲者の遺族やその子孫などが集まり、式典中の正午には黙祷が捧げられる。
また、この日6月23日は沖縄県平和祈念資料館が入場無料となる。

沖縄戦(おきなわせん)とは、

 太平洋戦争(大東亜戦争)末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸した米軍と日本軍との間で行われた戦いである。
アメリカ軍の作戦名はアイスバーグ作戦(英: Operation Iceberg、氷山作戦)。

 第二次世界大戦における日本国内での最大規模の陸戦であり、また日米最後の大規模戦闘となった。
国内唯一の地上戦と言われる事もあるが、硫黄島の戦いや占守島の戦い、南樺太での戦闘があるため、厳密に言えば誤りである。
民間人が多く参加、ないし巻き込まれたのもこの戦闘の特徴である。

 沖縄戦は1945年3月26日から始まり、組織的な戦闘は6月23日で終了したとされる。
米軍の作戦目的は本土攻略のための航空基地・補給基地の確保であり、日本軍のそれは当時想定されていた本土決戦への流れの中に位置づけられる。

 主要な戦闘は沖縄本島で行われた。
日本軍は水際迎撃を避けて、持久戦闘を基本方針として戦った。
特に首里(現那覇市の一部)北方で激戦となった。
沖縄諸島周辺の海上でも、神風特攻隊を中心とした日本軍航空部隊や戦艦「大和」などと、連合軍艦隊の間で戦闘が行われた。
上陸後2ヶ月経った1945年5月末に、連合軍が首里を占領した。
日本軍は南部に後退したが、6月下旬までに組織的戦力を失った。
掃討戦は終戦まで続いた。

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1 コメント

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慰霊の日 (とらかん60)
2011-06-21 21:25:35
慰霊の日の前の検索をしていてこのブログに辿りつきました。よろしくです。
私は兄、姉と伯父、叔母を戦争で亡くしました。母は存命中、そのことで苦しい人生を送っていました。戦争の傷跡は60年余経っても消えないのですね。
23日の慰霊の日は妻と共に八重瀬の塔とまぶにが丘の逓魂の塔に参拝します。毎年参拝しています。
沖縄線で犠牲になった人達のことを忘れてはならないと痛感しています。
私は昨年、在沖縄米軍を定年退職したばかりです。在職中は心に葛藤がありました。退職することで心の重みが取れました。
二度と戦争をしてはならないし、肯定してもならないと思います。
最近、沖縄戦の犠牲のことが風化されつつあります。寂しさを感じます。絶対風化させてはならないです。イデオロギーの問題ではないのです。沖縄県民が目覚めつつあることを歓迎します。
ブログ頑張って下さいね。時々のぞきにきます。
沖縄を愛する、とらかん60 より。 
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