Goo Blog 美ら島沖縄

個人の趣味で、沖縄の諸々の情報を掲載

Peace to the pacifism world

無能な政党と政府

2008年01月31日 11時28分30秒 | My投稿
中国産の冷凍ギョーザを食べた千葉県内や兵庫県内の計10人余の一家らが下痢や嘔吐(おうと)の食中毒症状を訴えて入院していた問題で食の安全が脅かせている現状が証明された。
 過去にも中国産の野菜、健康食品等でも様々な問題が起きてきたのだが、政府の対応は何時も後手後手である。
アメリカの牛肉問題もそうである。
問題が起きても、日本政府はアメリカの言いなりで輸入再開、今回の中国産の冷凍ギョーザ問題初め「農薬」問題も対策が取られていたのか甚だ疑問が残る。
国民の安全を優先すべきと思うのだが、何故か、何時も相手の言いなり、現政府は半世紀以上も政権の座に居座り思考回路が完全麻痺している。
何度も同じ様な問題が起きているが、国民の納得の行く説明がない。
こんな政党政府は日本には要らない、真に国民を守り国民の為の政治が行いうる政治家は居ないのか、今の政治家は、選挙前の言動行動と当選後の行動が伴わない。
特に現政府政党は一番の売国奴でる。
税金の無駄使い、汚職ワイロ、福祉の切捨て、自己保身の為には国民をも切り捨てる。
そんな政治家政党政府。もっと、国民の暮らしにも目を向けた政治を行って欲しいと願うのは僕だけでしょうか?
いいえ、多くの国民が望んでいる事柄と思う。
今回の中国産の冷凍ギョーザに含まれていたとされる殺虫剤は

「有機リン系殺虫剤」

有機リン系殺虫剤は、ドイツのバイエル社によって1940年前後に開発された。元来、神経ガスの研究から発展したものであって、パラチオンなどの初期の製品は、殺虫力が強力であるのと同時に、人に対しての毒性が極めて高いものであった。その後、各国で低毒性化の研究開発が行われ、選択性の高い、低毒性の化合物が登場した。有機リン系殺虫剤は、典型的な酵素毒であり、体内のコリンエステラーゼとの間に共有結合を作り、その活性を特異的かつ不可逆的に阻害し、体内にアセチルコリンの蓄積をもたらす。その結果として、コリン作動性の症状が現れる。有機リンの定性分析には、コリンエステラーゼ活性試験、DTNB法、Hestrin法があり、さらには薄層クロマトグラフィーやガスクロマトグラフィーを用いていた。クロマトグラフィーを行うには、検査試料から有機リンを精製する必要があり、救急医療の現場で行うには手間を要するため、現状では、患者の症状とコリンエステラーゼ活性値から有機リン中毒を十分に推定できている。しかし、有機リン系殺虫剤と同様にコリンエステラーゼの活性を阻害するものにカーバメート系殺虫剤がある。カーバメート系殺虫剤の治療には、有機リン系殺虫剤の拮抗薬であるPAMは効果的でない、とされている。

僕の家庭では、以前から「中国産」は一切買わない、近くに安い八百屋があるが、最近は 「中国産」が多く、今は全く利用してない。
これは自分の健康は自分で守らなくては、と実践してます。
如何なる時にも、今の日本政府は信用出来ないため。
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暫定税

2008年01月30日 12時18分24秒 | My投稿
暫定税率維持租税特別措置法改正案問題の「沖縄タイムス 2008年1月30日朝刊」の社説

社説(2008年1月30日朝刊)

[つなぎ法案]

混乱回避策が混乱招く

 自民、公明両党は、3月末で期限が切れる揮発油税などの暫定税率を5月末まで二カ月延長する「つなぎ法案」を国会に提出した。
 混乱を回避するための緊急避難策だと与党は言うが、平地に波乱を起こすようなものだ。

 道路特定財源の暫定税率の扱いをめぐっては、政府が提出した延長案にも民主党の廃止案にも、それぞれ難点があり、どちらも丸のみできるような内容ではない。

 話し合いの余地を自ら狭めるような、一点突破の強硬策は、国会を混乱させるだけである。与野党は国民生活を第一に考え、歩み寄れるところは歩み寄り、ぎりぎりまで一致点を模索してほしい。

 ガソリン税(揮発油税+地方道路税)は、租税特別措置法によって本来の税率に上乗せした暫定税率が適用されている。例えば、揮発油税の場合、本則に基づく税率は一リットル当たり24・3円だが、これが二倍の48・6円になっている。

 租税特別措置法に基づく暫定税率の期限が切れ、廃止されれば、ガソリンの値段が一リットル当たり約25円、上乗せ分だけ安くなる計算だ。

 政府、与党は暫定税率の10年延長を盛り込んだ租税特別措置法改正案を国会に提出した。道路特定財源の暫定税率が全廃されると、2兆6千億円の税収減になるという。

 「道路整備はまだまだ必要であり、暫定税率は維持しなければならない」というのが政府の言い分だ。

 民主党は、道路特定財源を一般財源化し、暫定税率を廃止して本来の税率に下げるべきだと主張する。

 ガソリン値下げにつながる暫定税率廃止か、それとも道路整備のための暫定税率維持か。与野党の攻防は激化するばかりだ。

 だが、この問題をガソリン値下げか道路整備かの二者択一の議論に収れんさせるべきではない。

 政府案は、10年間で59兆円を道路整備に投入する計画だが、いつまで道路優先なのか。一般財源化して福祉や教育などの分野にも使えるようにするという考えは検討に値する。

 民主党案は、道路整備が必要な地方への配慮があまり感じられない。道路財源が削られたために、その穴埋めで福祉、教育などの予算が削られることだってありうるのだ。

 1974年から始まった暫定税率が暫定の名を冠したまま今も続いている。これもおかしな話だ。暫定税率や道路整備の在り方を根本から問い直し、「第三の道」を模索してもらいたい。

と報じている

暫定==>正式な決定がなされるまで、仮の措置として、とりあえず定めることと辞書には書いてある。
政府の言い分は「道路整備はまだまだ必要であり、暫定税率は維持しなければならない」としているが、国土交通省は拡大解釈で本来の目的以外の使用が確認されている。
本音は何処にあるのか、暫定税率が無くなれば自分達の無駄使いが出来なくなる。
暫定税率云々するより、如何にして無駄使いを食い止めるかと真剣に話会うべきであるが、その兆しは全く見えてこない、
与党、野党とも、本当に国民の方へ目を向けているの、国民を無視した政治は要らない。
国民の為の政治が行いうる政党は、政治家は今の日本国に存在するのか、甚だ疑問だ。
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沖縄県の年中行事表

2008年01月29日 16時14分48秒 | My投稿
沖縄県の年中行事表

旧暦12月8日   鬼餅(ムーチー)(県内各地)
旧暦12月24日  ウガンブトゥチ(御願解き)(県内各地)
旧暦12月30日  トゥシヌユール(年の夜)(県内各地)
旧暦1月1日   旧正月(県内各地)
旧暦1月2日、3日  ハチウクシー(初起こし)(県内各地)
旧暦1月2日~13日 生年祝い(トゥシビー) (県内各地)
旧暦1月16日  十六日祭(ジュウルクニチー)(県内各地)
旧暦1月20日  二十日正月(沖縄島中南部)
旧暦2月15日  二月ウマチー(県内各地)
旧暦2月~4月  クシユックイ(県内各地)
旧暦2月     シマクサラシ(県内各地)
旧暦2月2日   土帝君(トーティークン )
旧暦3月3月   浜下り(ハマウリ)、サンガチサンニチー(県内各地)
旧暦3月酉の日  ナーパイ(城辺町)
旧暦3月15日  三月ウマチー(県内各地)
4月       清明祭(シーミー)(県内各地)
旧暦4月、5月         海留・山留(各地)
旧暦4月14日、15日     アブシバレー(各地)
旧暦4月、5月 壬申の癸巳の日 スツウプナカ(宮古・多良間島)
旧暦4月末~5月1日(隔年)  渡名喜のシマノーシ祭
旧暦5月4日   ユッカノヒー(ハーリー)(各地)
旧暦5月15日  五月ウマチー(各地)
旧暦6月15日   六月ウマチー(各地)
旧暦6月24日、25日 カシチー(強飯)(各地)
旧暦6月25日頃  綱引き(各地)
旧暦6月      プーリー(八重山地域)
旧暦7月初亥の日    シヌグ(沖縄島北部地域)
旧暦7月7日      七夕(各地)
旧暦7月13日~16日未明 盆(各地)
旧暦7月15日、16日 エイサー(沖縄島各地)
旧暦7月13日~16日 アンガマ(八重山)
旧暦7月14日     ムシャーマ(八重山・波照間島)
旧盆明けの亥の日    ウンジャミ(沖縄島北部)
旧暦8月8日      トーカチ(各地)
旧暦8月8日      ヨーカビー(各地)
旧暦8月吉日      結願祭(きつがんさい)(八重山地域)
旧暦8月        ガンゴー(各地)
旧暦8月9、11日   柴指(シバサシ)(各地)
旧暦8月8日~15日  多良間の八月踊り(宮古・多良間島)
旧暦8月10日前後   村アシビ(各地)
旧暦8月15日     八月十五夜(各地)
旧暦8月~10月    各地巡礼(各地)
旧暦9月7日     カジマヤー(風車祭)(各地)
旧暦9月9日     菊酒(各地)
旧暦9月       パーントゥ(宮古地域)
旧暦9月       節祭(八重山地域)
旧暦10月1日 カママーイ(各地)
旧暦10月   ウヤガン(宮古・大神島)
旧暦10月   種子取祭(タナドゥイサイ)(八重山)
午年の旧暦11月15日~ イザイホー(久高島)
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山原(やんばる)とは、どこ?

2008年01月28日 10時29分04秒 | My投稿
やんばる「山原」とは?

「やんばる(山原)」とは「山々が連なり、鬱蒼とした常緑広葉樹の森が広がる地域」という意味を持ち、具体的には沖縄島北部を示す言葉ですが、地域範囲に関して明瞭な定義はありません。かつては現在の金武町、恩納村以北の1市2町9村が「やんばる」と呼ばれていましたが、しだいに「やんばる」と呼べる範囲が狭まり、現在では名護市以北がやんばる地域の概念となっています。

 また、ヤンバルクイナやヤンバルテナガコガネをはじめとする希少動物の集中する「やんばるの森」は、塩屋湾と平良湾を結んだライン以北の地域で、国頭村、大宜味村、東村にひろがっています。
やんばる地域が含まれる沖縄島は、太平洋と東シナ海の境、琉球列島の中央に位置する亜熱帯の島で、東京からは約1,600km離れ、同距離を南へのばすとフィリピンの主要島嶼が含まれる位置にあります。さらに北海道の知床半島までと同距離の範囲内には、ベトナムやブルネイ北部を含む多くのアジア諸島があります。

 沖縄島はこのような地理的・気候的位置や地史的に見た大陸との関わりの断続性から多様で豊かな生物相と、多くの固有種、遺存種を持つ地域となりました。やんばる地域は、その特異な生物相を象徴する地域です。
沖縄島は南北110Km、東西10Kmの細長い島です。島の中南部は石灰岩段丘と小さな起伏丘陵で代表される地形になっていて、 最も高い段丘でも200m以下の低く平らな地域であるのに対し、やんばる地域を含む北部周辺は、西銘岳(420.1m)、与那覇岳 (503.0m)、伊湯岳(446.2m)など、標高400m以上の山地が北東から南西方向に沿って島の中央部に発達した脊梁山地となって います。
沖縄島の表層地質は、中南部は新生界第三系の島尻層群のシルト質泥岩を基盤にして琉球石灰岩が分布しています。北部地域 は中生界白亜系の名護層と新生界第三系の嘉陽層が主体となっています。

 やんばる地域の地質を詳しく見ると、脊梁山地を主に構成するのは白亜系から第三系の千枚岩と砂岩で、高温多湿の気候環境 のため深くまで風化しています。与那覇岳一帯は第三系砂岩、西銘岳一体は白亜系千枚岩からなっています。
沖縄島がある琉球列島の中南部の属する亜熱帯海洋性気候の地域では、夏は蒸し暑く晴れた日が多く、冬は時折小雨を交えた曇りがちの日が多いのが特徴です。夏は南東から南の季節風が吹き、6月から7月が最盛期となります。冬の季節風は北西から北へ吹き、12月後半から2月にかけてが最盛期となります。特に冬の季節風は強く、最大風速が10mを越える日が数日続く日が多くあります。

 周囲を海に囲まれているため、気温の変化が小さく湿度が高いのも特徴で、沖縄島の年平均の降水量は2,000mm以上あり、日本の中では多い方に入ります。
 年平均気温は東京の15.6度や鹿児島市の17.6度に対し、トカラ列島中之島が20.4度、奄美大島の名瀬が21.3度、沖縄島の那覇で22.4度と南下するにつれ連れ高くなります。東京や鹿児島では8月に平均気温が最も高くなりますが、琉球列島の各地では一月早い7月に最も高くなります。
 平均気温の年格差が小さいのも特徴で、東京の22.0度に対し、名瀬で14.2度、那覇では12.3度となります。

 沖縄島は南北で地形が大きく異なるため、島内で気候の特徴に違いがあります。やんばる地域では、那覇などの沖縄島南部に比べて降水量が多く、気温が低いのが特徴です。また、森林地帯では更に降水量が多く、沖縄島最高峰の与那覇岳では3,000mm以上あります。

 また、局地風が多いのも特徴で、夏は南、冬は北または北東の季節風が卓越し、冬の体感温度は気温に比べいっそう寒く感じます。
 沖縄島の河川は、流域面積が小さく、流路延長が短く勾配がきついため、水量、流速の変化が大きいのが特徴です。

 大規模な河川の多くは北部に集中しています。沖縄島にある二級河川は37水系57河川ありますが、そのうち20水系32河川が名護以北に、9水系18河川がやんばる地域にあります。これらの河川の多くはやんばる地域の南北に走る国頭山地を源に東西方向に流下しています。

 やんばる地域は、集水域に豊かな森林が広がっているため、沖縄島中南部の河川と比較して水量が安定しています。そのため中南部の水瓶として多目的ダムや取水場が建設されています。
琉球列島は他の地域に見られない固有種が豊富に存在することが良く知られています。特に山がちで豊かな常緑広葉樹林が広がるやんばる地域には、ヤンバルクイナ、ノグチゲラ、イシカワガエル、ヤンバルテナガコガネなど、多くの固有種が生息しています。
やんばる地域3村、国頭村、大宜味村、東村では、平成13年3月末日現在で人口は合計で11,380人、世帯数4,544で、これは沖縄県全体に比べると1%に満ちません。昭和50年代に人口の大幅減少があり、その後緩やかに減少傾向が続いています。人口の減少は転出超過による社会減だけでなく、自然減要因も加わっています。
 65歳以上の人口の割合は27.3%で、沖縄県計13.9%の約2倍です(H13版全国市町村要覧)。

 やんばる地域3村の森林面積は269平方kmで総面積340平方kmの79%に相当し、沖縄県全体の森林面積1,050平方km(H12世界農林業センサス)に対しても26%を占めています。特に国頭村では森林面積の割合が高く80%を越えています。
 3村の森林面積のうち国有林の割合は30%弱です。

 集落は、少ない平坦地を求めて大半が海の近く、小河川が刻んだ谷沿いに立地します。周辺には農耕地が拓かれていて、主要集落だけでも3村計で43を数え、長い間集落ごとに独立した生業が営まれてきた経緯から、それぞれに異なる特性が色濃く残されています。
中南部からやんばる地域へアクセスするには(那覇から約75km)、那覇市から名護市南部の許田まで伸びる沖縄自動車道を利用します。やんばる地域内の主要道路は、西海岸を南北に貫く国道58号線のほか、東海岸沿いの主要地方道国頭東線、塩屋から平良の間を東西に結ぶ国道331号線があります。
 また山中を走る大国林道は、大宜味村と国頭村をつなぐ全長35.5kmの広域基幹林道です。
 3村の乗用車保有台数は合計で約5,500台(H14沖縄総合事務局陸運事務所)、保有率は121%に達しています(県平均99%)。

 産業別就業人口は1次産業(農業が主体)が34%を占め、県平均の7.4%を大きく上回っています(H7国勢調査)。特に東村では1次産業就業者が半数を超えています。大宜味村では2次産業就業者割合が高いのですが、域外への通勤者によるものと考えられます。国頭村をはじめ3次産業人口が多いのは建設業が多く含まれています。
 基幹産業は農業で、主要作物は、さとうきび、パイナップルで、養豚も盛んです。このほかに野菜、花き類、熱帯性果樹、い草の栽培、鶏、山羊の飼育も活発に行われています。3村の農業粗生産額は66億円で、県全体の7.0%を占めています(H10年農業生産所得統計)。
 やんばるの集落の多くは、少ない平坦地を求めて海に近く、小河川が刻んだ谷沿いに立地します。長い間集落ごとに独立した生業が営まれてきたため、集落単位でのまとまりが強い傾向があります。それぞれの集落が独自性とまとまりを持ちながら地域社会を形成してきたことがやんばる地域の大きな特徴といえます。
  やんばるの集落は、脊梁山地から流れ出る水脈の一つ一つに立地していて、分水界から浜までの短冊状の範囲がそのまま字界になっています。

 このような地理的条件以外に、海の向こうの原郷、「ニライカナイ」の信仰と祖先崇拝とが大きな影響を与えていて、家「イエ」、集落「シマ」の空間構成は、海からの神や海の幸を迎え入れるように方格地割されています。
 集落の観念的な中心は草分け家(ニーヤー「根屋」)や神女(ノロ)殿内で、その西と南に家が配置されています。ニーヤーの近くが集落の中央部となります。ここが共同店など集落生活の中心になっています。
 信仰の対象となる御獄や拝井泉などを大きく包み込む集落の後背林は、腰宛の森(クサテヌムイ)として良く保存され、集落を包む森を構成しています。
 また、集落を中心とした同心円状に以下のような段階的な土地利用が行われていました。
・耕地: 集落周辺の平地や斜面を利用
・猪垣: 石や珊瑚等で作られた耕地を猪から守るための柵
・薪炭材利用区域: 集落に近い森で薪炭材を採集する地域
・建築材利用区域: 薪炭材利用区域の更に奥地で建築材を択伐する地域
・源流域: 集落から遠距離にあり林業が不可能である地域.脊梁部周
戦前のやんばる3村地域は、それぞれの集落が海岸沿いに立地し、集落間の距離も離れお互いの交流が容易でなかったため、当時経済の中心地である那覇との物資の交流はもっぱら「山原船」と呼ばれる交易船に頼っていました。
 昭和初期まで主要な物資だった林産物は山原船で那覇に運ばれていました。生産物の出荷、販売、生産資材の購入、日用品の調達は山原船によって行われていたのですが、山原船の運行と商品の取り扱いはほとんど外来の商人に握られていました。
 外来の商人的資本は、主要な集落で町屋(商店)を経営し、農民の林産物売却代金をそっくり町屋に吸収する「マチヤミシン(町屋未進)」という仕組みをつくりました。貧しい農民たちは町屋からの掛けで日用雑貨を買い、未払い金が一定額になると日常の林産物はすべて町屋に差し押さえられてしまいました。
 集落では、生活を防衛する方策として、集落単位の団結による生産物の共同販売、日用品の共同購入を主な目的とした共同店を誕生させました。その先導的役割を果たしたのが国頭村奥集落の共同店です。共同店開業と同時に個人所有の山原船は共同店に買収されました。
 共同店による集落民の物品購入の仕組みは、集落民が持ち込む薪木や米による現金収入の対価として、必要な日用雑貨を安価に共同店で集落民に販売するものでした。その共同店の経営を支えるのが集落の共有財産としての山原船でした。
 奥集落の共同店を皮切りに、やんばる3村では各集落に共同店ができ、道路開通による山原船水運の終焉など紆余曲折を経て、奥集落の共同店のように「集落経営」のまま現在に至っているところ(国頭村に多い)と、「個人経営」に移行していったところ(大宜味村、東村)があります。
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1月 沖縄過去の出来事

2008年01月27日 23時51分25秒 | My投稿
1月、沖縄の出来事

1日  平成18年 玉城村、知念村、佐敷町、大里村が合併して「南城市」が誕生
         東風平町、具志頭村が合併して「八重瀬町」が誕生した。
3日  昭和15年 沖縄県の標準語励行運動を柳宗悦が批判、方言論争起きる。
5日  昭和25年 オリタ商店開店(創業)現在のサンエーの前身。
6日  1854年 ペリー提督、兵200人を率いて首里城訪問。
7日  昭和29年 アイゼンハワー米大統領、沖縄諸島永久保有を宣言。
8日  昭和64年、平成元年 昭和から平成へ年号改元。
9日  昭和29年 沖縄県全島で豪雨、糸満で「ひょう」が降る。
13日 昭和46年 米軍貯蔵毒ガス撤去で住民避難
15日 昭和28年 映画「ひめゆりの塔」沖縄県内で封切り大反響起きる。
16日 昭和42年 沖縄全県下寒波来襲、那覇で6,6度記録。
18日 平成16年 国立劇場おきなわ開場
20日 昭和38年 沖縄大寒波、久米島で2,9度観測。
23日 明治33年 玉置半右衛門、南大東島開拓開始。
24日 平成9年  男性長寿日本一の「渡名喜元宗」さん死去。
25日 昭和50年 沖縄県初のDIY店「メイクマン」浦添店開店。
27日 昭和10年 首里市営バス、那覇ー首里間で運行開始。
29日 昭和38年 宮古島で接地気温1,7度を記録。
30日 1857年 沖縄県南部で降雪の記録。
    明治35年 那覇ー名護間で電話開通。
当方で調べた過去の1月の記録ですが、記録漏れが有るかも知れませんが、お判りの方はご指導お願いします。
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明日は旧暦の12月8日、(鬼餅)カーサムーチーの日です。

2008年01月14日 23時56分57秒 | My投稿
明日は旧暦の12月8日、(鬼餅)カーサムーチーの日です。

沖縄で昔から厄払いのために作られるおもち。現在でも旧暦12月8日には、多くの家庭でカーサ、ムーチー(鬼ムーチーと呼ぶ事もあります)を作り厄払いを行います。
ムーチーはサンニン(月桃)の葉に包んで蒸すのが一般的で、カーサ(月桃の葉=沖縄ではサンニガーサと言う)を用いるので「カーサムーチー」とも呼ばれています。
毎年カーサムーチーの日が来る頃沖縄ではなぜか必ず寒くなったもので、この寒さのことをこちらでは「ムーチービーサ」と言っていますが今年は暖かい、これも温暖化の影響なのでしょうか?
月桃(サンニン)とは、亜熱帯に自生する生命力旺盛なショウガ科の多年草で、赤い「実」は、健胃整腸や咳止めなどに優れた効果があるので、漢方薬として使用されまた、独特な香りを持つ「葉」には防虫、防菌、防カビの効果があるので、このようにお餅などを保存するために使用されたり、昔は防虫剤・芳香剤としても使用されていたようです。
強い繊維質をもつ「茎」で縄を結い、さとうきびを束ねたりするのに使われていましたが最近では和紙(月桃紙)の原料になり、ハガキ、便箋、名刺、壁紙などの製品としても利用され、月桃エキス(精油)には活性酸素を除去するポリフェノールが赤ワインの30倍以上も含まれていることが明らかになり健康茶や健康補助食品としの販売されております。
 
サンニン(月桃:げっとう)の葉で包んで蒸して出来上がった「カーサ、ムーチー」を仏壇や神棚、火の神(ひぬかん)などにそなえて、子供の健康祈願家内安全祈願をする行事です。
 普通の白餅に黒砂糖入れた黒い餅も有りますが、最近はや紅芋(桃色)やカボチャ(黄色)を入れたりして色取り取りの餅も見られます。
自分の子供の頃は何処の家庭でも山などや庭先のサンニンを取って来て、各家庭でムーチーを作って居りました。
子供の年の数っだけ壁などに縄で吊るしてましたが、最近はあまり見られません。(サギムーチー)
子どもが生まれた家庭ではその子の健康を祈願し、いつもより多めに作り、隣近所や親戚等へ、出来立てのお餅を「ハチムーチー」と言い ふるまって廻る習慣が今でも残っております。
私が子どもの頃、子どもたちは皆自分の歳の数だけムーチーをもらい壁に吊るして並べたものです。その時ばかりは年上の兄や姉をとても羨ましく思ったような気がします。
今ではスパー等でも売られており、家庭で作る事が少なくなった様な気もします。
この時期に成ると、NETでも販売されておりますが、何と言っても家庭で作るのが一番美味しいと思う。
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鬼モチ

2008年01月13日 20時40分30秒 | My投稿
旧暦12月8日はカーサムーチー(鬼餅)の日です。

ムーチーとは?

沖縄で昔から厄払いのために作られるおもち。現在でも旧暦12月8日には、多くの家庭でムーチーを作り厄払いを行います。
ムーチーはサンニン(月桃)の葉に包んで蒸したものなで、カーサ(葉)を用いるので「カーサムーチー」とも呼ばれています。
この日、餅をサンニン(月桃:げっとう)葉で包んだ物で、そのムチーを仏壇や神棚に火の神(ひぬかん)などにそなえて、子供の健康祈願をする行事です。
 普通の白餅に黒砂糖入れた黒い餅も有りますが、最近はや紅芋(桃色)やカボチャ(黄色)を入れたりして色取り取りの餅も見られます。
自分の子供の頃は何処の家庭でも山などや庭先のサンニンを取って来て、各家庭でムーチーを作って居りました。
子供の年の数っだけ壁などに縄で吊るしてましたが、最近はあまり見られません。(サギムーチー)
 また、子供が生まれた家庭では、初ムーチー(ハチムーチー)として親戚や近所にムーチーを配って居ましたが、今ではほとんど見れなくなりました。
今ではスパー等でも売られており、家庭で作る事が少ない様です。

ムーチーの由来には幾つかの由来があります。

① 昔、ある村に家畜を盗んだり、酒を飲んでは暴れていた男が村を追い出され、山の洞穴に住むようになり、人を食う鬼に変わってしまいました。
   そこで男の妹は、兄の好物であった餅を作り、洞穴へ行き見晴らしのよい崖の上に鬼を誘い出し、餅をすすめました。
   ところが、その餅は石が入れて有りました。
   妹は普通の餅を食べ、石入りの餅を食べた鬼は、妹の歯の強さに驚いていると、妹は着物のすそをたくし上げ足を開いて女性のモノをみせました。
   鬼が「その下の口は何だ」と聞くと妹は「上の口は餅を食う、下の口は鬼を食う口」と答えた。
   驚いた鬼は後ずさりして足を踏み外し崖下へ落ちて死んでしまいました。

沖縄では、旧暦の12月8日に鬼餅を作って仏前に供え、厄払いをする風習”一般的にムーチー(餅)と呼ばれる”があるが、大里村にはこの鬼餅に由来する民話が残されています。

② 昔、首里金城に兄妹がいた。兄は鬼になって大里の洞穴に住みつき、俗に大里ウナー(大里鬼)といわれ、近所の人々から恐れられていた。
ある時妹は、その兄が人を殺して食べているということを、村人が話しているのを聞いて兄の様子を見にいった。
話にたがわず、鍋の中にはハジチ(入れ墨)のある手が炊かれているのを見て、たまげてしまった。
一方、兄は「妹を食ってやろう」と包丁をとぎ始めていた。妹はびっくりして逃げ帰った。
「たとえ血肉を分けた兄弟でも、世の中に害するものは殺した方がいい」と心に誓った妹は、兄が帰ってきた時に、サンニンガーサ(月桃)の葉に餅を作り、言葉たくみに兄を誘って崖の端にすわらせ、自分も裸になって向かい合って座った。
「おいしいお餅をあがりなさい」妹は兄に餅をすすめ、二人で仲良く食べていた。
兄は、妹が裸になっていることにきずいてたずねたところ、妹は落ち着いて、「女には餅を食べる口と、鬼を食べる二つの口がある」と応えた。
これを聞いた兄はびっくりして、度肝を抜かれ、妹に押されて崖から落ちて死んでしまった。
その日を鬼払いといって、鬼の足をこがすために餅を炊いた煮汁を井戸のぐるりにかけたり、餅の葉を十字形に戸口にさげて鬼を追い払うマジナイをする事となった。
写真は月桃(月桃の葉と花)葉っぱで餅を包みます。
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桜祭り

2008年01月09日 01時05分28秒 | My投稿
沖縄県は日本一桜の開花が早い??・・??
本当に早いの・・・・・・
だってNHKのニュースは九州が開花して初めて、日本一早い桜の開花と言うんでは・・・・・
当たっているようでもあり、違う様でもある・・どっちだろう・・・
NHKの紅白歌合戦の会場には毎年沖縄県から「桜が」送られ飾られている。
すると、日本で一番遅い開花と言う事になるのか・・・ん
兎に角、春が日本一早い県、夏の来るのも沖縄が早い、
早い、遅いの話題ではなかった、一部の開花の話は置いて、全体的な開花はやはり沖縄が早いのである。
なぜなれば、桜花見祭りが出来る程に咲くのはやはり沖縄が早いからである。
今年の沖縄県の桜祭りは、本部町、今帰仁村、名護市は1月の中頃から「桜花見祭り」が行われる。
ただいま情報収集中ですが、各市町村の実施日が解り次第掲載いたします。
本部町や今帰仁村は18日からでしょうが名護市がまだ判らない、近日中に判明するでしょう。
沖縄の桜は濃厚なピンク色で、色鮮やかです。見に来て下さいね、
お待ちしております。
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目出度い出来事

2008年01月07日 21時06分08秒 | My投稿
1月2日は妻の誕生日、日付けが1月2日の為、結婚以来一度も誕生祝いをしたことが無かった。
毎年正月の2日目は妻の実家に集う事が何時しか定着し、兄弟姉妹婿嫁孫達が集合して、正月を祝うのである。
狭い部屋に通勤ラッシュ並の込み合いで有るが、それが互いの距離を無くし余計に話が弾むのである。
 夜も更け、其々が家路に就くが我が子供たちが、今日は知人のスナックを貸し切りにした様である。
 現場に着くまで、てっきり正月で皆で呑む為と思いきや、目的が有ったのだ。
 妻の62歳の誕生祝いと結婚43年祝いであった。
子供達からの心の籠った祝いに妻は涙を流して感激。
久しぶりの酒も杯が進み午前様で家路ついた。
翌3日は甥の結婚式、那覇のホテルで式を行い、披露宴は場所を料亭那覇に移し、予定をオーバーしてのどんちゃん騒ぎの宴会である。
 新婦はフイリッピン生まれで有るが、もう既にウチナーンチュ、和気あいあいと皆と杯を交わしている。
こんなに和やかな結婚式は久々である。
 このあと、新年会などが続く、飲み過ぎ注意し、健康に留意して、この一年過ごせるよう祈願しよう。
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年始挨拶廻り

2008年01月02日 01時42分11秒 | My投稿
沖縄は復帰前までは旧正月で祝う家庭が多かったが、今は違う、復帰前までは正月らしさが有った。
何処の家庭でも門には日の丸の旗がひらめき、その日だけは、綺麗な着物や服が着れたし普段は食べれない美味しい物が食べれた。
テレビやラジオも朝からお祝いムードで沖縄の民族音楽が朝から晩まで流れ、正月だと言う気分が味わえたしお年玉を貰い心うきうきしたものであるが、どうしたことか、今では、平日とあまり変わらない雰囲気。
時間を遡る事数十年前、僕がまだ幼小の頃の正月はどうだったのかと言うと、普段は穴のあいた靴、つぎはぎの服であったが、正月と言う事で靴や服も買って貰えた。
それが楽しみでもあつた。ふと、幼い頃の正月が懐かしく思い出される。
 時は昭和の20年代~30年代、当時は沖縄県の北部の片田舎に住んでいた。
家の前には澄み切った水が豊富に流れる川が有った、えびや川魚うなぎも取れた。水浴びをしたり、洗濯をするのにも使われていた。一日の内に川の利用方法が変わって居たのも面白く思い出される、
 朝の早い時間は、飲料用や、食事のための水を汲み、水甕や桶などに貯めた。
大体、今の時間帯で言うと大体9時ごろまでで、後は川で洗濯等したり雑用品を洗ったり子供は川で遊びながら、えびや、うなぎを捕まえたりと、自由に遊び回っていた。
 また山仕事の人は、飲料水の確保された時間帯以降にしか山に行けなかった。
それは馬を使い山に薪や墨焼きに行くので、川の中を通って行かねばならない所も有る為に、生活の知恵、いやルールが決められて居たのです。
 夕方には、川べりにドラム缶に水を入れて、撒きで湯を沸かして近所の皆で代わる代わるドラム缶の風呂に入る。
それが、隣組の絆を強く結びつけるのに役立って居たのではと思う。
生活の総てが自然と一体で有ったように思う、
 正月の決まりの一つに、女子は午前中、自分の家から出かける事が禁じられていた。
「女子が男子より先に訪れると」その家の人から「縁起」が悪い、と嫌われるからである。
だから女性は午前中は家の手伝いをしていました。
その分男の子は持てはやされました。どこの家でも、正月元旦の朝、一番先に男の子が、「若水」を川で汲んで持って来るのを待ちわびていました。
 この年の一番早く若水を汲んで持って来た男の子には特別な「お年玉」が準備されておりました。
若水が届くと、その水で茶を沸かし、火の神様や仏壇にお茶を供えた後家の人が飲んで居りました。
正月は若水から始まるといっても良い風習でしたが、今ではまったく見られなくなりました。
僕は、子供ながらにも、お年玉の多い家から先に、若水を汲んで持って行き、直ぐに次の親戚の若水を汲んで持って行くのが正月の楽しみでした。
 若水を届けるのが遅く、他の子に先を越されると、お年玉の中身が超薄っぺとなるため、ある面は、早起き競争であった。しかし、今は全く見られなくなりました。
今は家の中で、「ひねるとシャー」と水が出る様になったのが原因では、と自己分析、それと、自然をあがめる気持ちが無くなったのも、一因しているかも知れない、総てが昔が良かったとは言えませんが、人の心の温かさ思いやりの心、隣人愛は昔の方が良かったと思います。
 本日は正月で生まれ故郷のやんばるの兄宅と親戚縁者宅へ年頭挨拶に行って来たが、現在でも田舎と街では「心」の持ち方が違う気がした。
 何処の家に伺っても「カメーカメー」攻撃をされる。
★「カメーカメー」とは、食べなさい食べなさいと色んなご馳走を勧める言葉です。
 お蔭でお腹が相撲取りのお腹と間違う位パンパンに膨れ、ベルトの穴の位置を3つも変える羽目に成りました。
 再度、昔を思い偲び、自然との共存を再考する、いい機会かも、と心の中で自分に言い聞かせて、昔の童心のまま、物思いに更けつつ書いてます。
明日も、今日廻る事が出来なかった親類縁者の家へ挨拶周り、カメーカメー攻撃を受ける事になり、正月が終われば体重計が壊れるので暫くは乗らない事にしよう。
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