Goo Blog 美ら島沖縄

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終戦後沖縄に幾つの飛行場が有ったの?

2007年08月17日 11時10分58秒 | My投稿
終戦後沖縄に幾つの飛行場が有ったの?その後の基地は?

僕は1944年生まれだから、記憶に有るのはの後であるが、1950年代当時の記憶を辿ると、米軍関係の飛行場は大、小合わせるとかなりあった.

沖縄本島のみの記憶ですが、北から順に書くと、
1,本部飛行場、
2,伊江島飛行場、
3,読谷飛行場、ここには2つ有った、一つは現在の読谷村役所のある所、あと一つ箇所は、ホテル日光アリビラの有る所で残波岬はミサイル基地で有った。
4,嘉手納飛行場、
5,泡瀬飛行場、
6,ハンビー飛行場、現在は商業地域として「サンエーハンビータウン」等変貌している。
7、普天間飛行場、
8、牧港飛行場(現在の浦添市)
9、西原飛行場、
10、那覇飛行場、とかなり多い、それらは米軍が使用し。日本本土爆撃の発信基地で有った様ですが、一部はそうでも無い様に思う、ハンビーは小さい飛行場で軽飛行機やヘリ基地で有った、その他にも、飛行場と呼べるかどうかは定かではないが、国頭村の桃原や、恩納村の万座毛近くに軽飛行機が離着陸していた覚えが有るが、はっきりしない、金武町の今の基地内にも有った様ですが、僕の記憶には無い、現在も使用されているのは、伊江島飛行場、嘉手納飛行場、普天間飛行場、那覇飛行場である、基地も当時と比べるとかなり減っては居るが、それでも沖縄県面積の約11%ある、日本全国に有る米軍基地の75%は沖縄に有るのが実情だが、それを知って居るのはどれだけの方であろうか?知らない方が多いのであろう!その上更に基地を押し付け様とするのはおかど違いでは無いでしょうか、夕暮れから朝までは、基地建設の為の作業は行わないと、沖縄県と約束を交わし居るにも拘らず、辺野古の海上では、密かに夜間行動で、建設準備作業を強行している、本土では報道されて居ないかも、これが日本政府の、沖縄への態度である、本土の人間は「自分達には関係無い」と見て見ぬふりしているとしか思えないのが、実情である。
歴史は見ている、沖縄は本土を守る為の捨石では無い。
二度と捨石扱いさせない運動が必要かも!
コメント
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