A級戦犯が合祀された靖国神社に政治家が参拝するのは,自分たちも免責してもらいたいからに違いない。なぜって,A級戦犯合祀を正当化する議論で一番に挙げられる理由が,「日本では死んでしまえば罪を問われなくなる」というものだから…。
政治家のA級戦犯合祀を正当化する発言を許すことは,いまの政治家の行為について責任を問わないことと同じことだ。政治家自らがそのような発言をするのはちゃんちゃんらおかしいというほかない。
この一点で,A級戦犯合祀された靖国への首相参拝に反対する。
政治家のA級戦犯合祀を正当化する発言を許すことは,いまの政治家の行為について責任を問わないことと同じことだ。政治家自らがそのような発言をするのはちゃんちゃんらおかしいというほかない。
この一点で,A級戦犯合祀された靖国への首相参拝に反対する。
刑期を終えて出所してきた人も、常に犯罪者として非難され続けるべきという主張でしょうか?
伝えればいいじゃないですか。
どうしたら首相の公式参拝に反対する理由になるんでしょうか? 全然関係ない話だと思いますが。
仮に「みなしている」ということにして、
>それでは,首相は「為政者の誤り」を許していることになります。
仮に「許している」ということにして、
>そのような首相の行為を許すことは,「為政者の誤りを後生に伝えていくこと」と矛盾しますから,
矛盾しませんね。
首相の思想は自由ですし、為政者の誤りを後生に伝えたい人のそれも同様であり、それらはお互い尊重しあうべきものです。
>許すわけにはいかないのです。
それは個人の感情でしょう。
【生き残るために真面目に勤勉に陣取り合戦に参加したまでじゃないか、日本が戦争をすれば一所懸命戦争をして】…結果的に日本が侵略した領土を手放していれば,どうなっていたでしょうね。そういう選択をするべきであったとは思いませんか?
unkownさんへ
【矛盾しませんね。首相の思想は自由ですし、為政者の誤りを後生に伝えたい人のそれも同様であり、それらはお互い尊重しあうべきものです。】
一市民としては,首相の靖国参拝を許すことは為政者の誤りを世に伝えることと矛盾するのです。首相の思想の自由とはまったく関係ありません。個人の「感情」ともまったく関係ありません。市民の為政者に対する監視の一環ですよ。